第3話 映画館での落とし物に関するご意見③

 翌日、梨花が出勤すると、映画館はなくなった指輪の話題で持ちきりだった。従業員は、どこかに指輪がないか気をつけながら仕事をするようにと釘をさされた。十万円という指輪の高額が、皆を緊張させた。踏んづけて壊しでもしたら大変だ。

 深夜、無事業務を終えた梨花は、事務所に呼ばれた。行ってみると映画館の館長と志乃とフジ子がいた。

 穏やかな細身の中年男である館長は、少し言いづらそうに切り出した。

「橋田さんご夫婦の指輪のことなんだが……」

 昨日の夫婦は橋田というのかと思いながら、梨花は志乃の様子をちらりとうかがう。いつもと変わらないように見える。目があって柔和な微笑みを送られ、どぎまぎした。昨日フジ子が変なことを言ったから、妙な目で見てしまった。が、友人に対し失礼だ。金輪際、志乃がやったなどとは絶対思わないと誓った。

「何か知っていることがあれば教えてほしい」

 冷静な声で、フジ子が一番先に答えた。

「私はロビーを掃除してたので、よくわからないんです。館内担当だった志乃さんのほうが、詳しいんじゃないですか」

 館長は柔和な目を不安そうに細め、志乃に視線を移した。

「私も、わからないんです」

「怪しい人とかいなかった?」

「誰も……」

 志乃はおどおどしていた。

 梨花も、何も知らないと答えるしかなかった。実際そうなのだから。3人はすぐ解放された。フジ子は先に映画館を出ていった。梨花と志乃は指輪とはまったく関係のない話をしながらモールを出て、それぞれ駐車場と駐輪場へ向かっていった。



 従業員用駐車場についた梨花は、そこにまだフジ子の青い軽自動車が在るのに気づいた。妙な胸騒ぎがして、とって返した。

 フジ子は駐輪場で志乃が来るのを待ち伏せしていたようだった。

「正直に言いなさいよ」

 志乃の自転車の進路をふさいだちょうど、詰問が始まったところだった。駐輪場のまわりには柵があるので、ぐるっと遠回りしないと行けない。

「やめなさいよ」

 梨花は叫んだが、きこえなかったのか、フジ子は志乃いじめを続けた。

「志乃さんが指輪盗んだんでしょ」

 志乃は自転車にまたがったまま、真っ赤になって下を向いた。

「やめて。志乃さん、こんなのほっといて行こう」

 やっとたどり着いた梨花は、フジ子を押し退けて志乃の退路を確保した。

 梨花の剣幕に一瞬ひるんだフジ子はしかし、再び体勢をたてなおし、いい放った。

「私たちは親切で言ってるのよ。土下座でもして指輪返せば、今ならまだ、許してもらえるかもしれないじゃない」

「証拠もないのに、志乃さんを泥棒呼ばわりしないで」

「あら、状況証拠っていうやつはあるんじゃない」

 フジ子は意地の悪い笑みを浮かべた。

「梨花さんだって知ってるでしょ。指輪がなくなった時間、映画館にはぜんぜん人がいなかったこと。それに、悪いけど志乃さんって、あんな素敵な指輪とは縁がない人生じゃない。独り身で、老体に鞭打って働かなきゃなんないほど貧乏。子供はふたりとも独身。だから羨ましくなって盗んだのよ」

「くだらない」

 梨花は強引に志乃が乗った自転車を引っ張り、駐輪場の外に出した。

 フジ子は追いかけて来なかった。言いたいことを言えて満足したのだろう。

「大丈夫? あんなの気にしなくていいよ」

 うなだれて、自転車を漕ぐこともできない志乃の肩をたたいた。

「ありがとう……」

「ひどいね。志乃さんが犯人のわけないのに。きっと、映画館に残っていた客が盗んだのよ」

 口ではそう言ったものの、梨花の本当の考えは違った。フジ子の言うように、あのとき、映画館にはひとけがなかった。志乃が盗んだとは思わないが、客以外が犯人の可能性がかなりあるような気がした。

 志乃がようやくペダルに足をかけた。錆びだらけのママチャリがゆっくりと進み出す。梨花は手を離し、去っていく少し曲がった背中にエールを送った。

「元気だしてね」

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ご意見の女 深見空世 @fukamisorayo

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