第2話 映画館での落とし物に関するご意見②

 午前0時20分、最後のレイトショーが終わったので、梨花は閉館作業に入った。

 映画館スタッフの同僚は、大雨を理由に早退していたので、すべてひとりでやらなければならなかった。

 あちこち動き回っていると、映画館の入口前で小柄な男に声をかけられた。

「こんばんは平沢さん。いつも母がお世話になってます」

 志乃の上の子供、勝也だった。志乃の家に遊びに行ったときに、一度会ったことがある。40台後半で独身、地味で穏やかなタイプだ。

「母はまだ仕事ですかね」

「もうすぐ出てくると思いますよ」

 さっき、帰り支度をすませた志乃とすれ違ったので、梨花はそう言った。

「よかった」

 志乃を待つ間、映画の看板を見ていたらしい勝也は、梨花にたずねた。

「この、『リバーシブル』っていう映画、面白いですか?」

「あーこれね、つまらないですよ」

 働いている以上、職場で公開される映画は全部薦めなければならないとわかってはいるが、正直な感想が口をついて出てしまった。

 勝也は意外そうな顔で、

「感動の超大作って、いろんなとこで宣伝してますけど……」

「脚本とか演出がいまいちなんですよ」

「そうなんですか」

 他の看板を見はじめた勝也に、梨花は気になっていることをきいた。

「仁美さんは一緒じゃないんですか?」

 勝也はそこで初めて仁美がいないのに気づいた様子で、あわててあたりを見回した。

「あれ? そばに居ろって言ったのに。ロビーのほうに行っちゃったのかな。ちょっと探してきます。それじゃまた」

「じゃあまた。気をつけてお帰りくださいね」

 別れの挨拶をして、梨花は閉館作業に戻った。



 ようやくすべての仕事を終え、映画館を出たところでフジ子に会った。

「兼浦さん、まだいたんですか」

 もう午前1時を過ぎている。志乃もフジ子もとっくに帰ったと思っていたがーー。

 フジ子は梨花をみとめると、興奮した声で説明した。

「梨花さん、お客様が、映画館に結婚指輪を忘れてしまったそうよ」

「えっ」

 それは大変だ。結婚指輪ともなると、かなり高価だろう。

「駐車場でその話を聞いたから、一緒に探すために引き返してきたのよ」

 驚いた梨花の目に、向こうから走ってくる男女ふたりがうつった。

 30台前半くらいの夫婦で、夫のほうはちょっと太め、妻のほうはかなり太めだ。

「すみません。映画館を開けてください。館内のトイレの洗面台に、指輪を置いてきてしまったんです」

 妻が慌てた声で叫んだ。

「わかりました。行きましょう」

 梨花たちは急いでトイレに向かった。

 誰もいない映画館に、4人の足音が響いた。

 一番最初にトイレに着いた梨花は、すぐさま洗面台の上を凝視した。

「ない……」

 3つの洗面台、すべてをよく見たが、指輪はなかった。

「洗面台の下に、落ちてるのかもしれない」

 ぜいぜい荒い息をしながらやってきたフジ子が言った。

 4人は、床にはいつくばってしばらく探したが、指輪はどこにもなかった。

「トイレでなくしたというのは、確かなんですか」

「それは間違いありません。私、手を洗うときしか指輪を外しませんから」

 ほとんど泣き顔の妻が答える。

「トイレに行ったのは何時頃ですか」

「レイトショーが終わったすぐあとです」

「どの映画を観ましたか」

「『リバーシブル』です」

「ということは……11時55分ですね」

 映画の上映スケジュールを思い出しながら梨花が言った。

「その時間帯なら、志乃さんがトイレ掃除してるはずよ」

 フジ子が口を入れた。

「何か知ってるかも。梨花さん、ちょっと電話してみて」

 フジ子言われるまま、梨花はスマホを取り出して志乃の番号を押した。

「もしもし志乃さん、ききたいことがあるんだけど」

「何?」

 志乃は少し眠そうな声で電話に出た。

「映画館のトイレで指輪を見なかった? お客様が洗面台に置き忘れたそうなんだけど」

「気がつかなかった」

「志乃さんがトイレ掃除したの何時?」

「0時ちょっと前よ。全然汚れてなかったから10分くらいで終わったわ」

「怪しい人とか見なかった?」

「ううん。だれもいなかった」

「その後は、すぐに帰ったのよね」

「うん。勝也たちを待たせてたから」

「わかった。ごめん夜遅くに」

「こっちこそ、役にたてなくて悪いわね」

 通話をきると、妻のほうが前のめりになって梨花にきいた。

「どうでした?」

「お客様が置き忘れた直後に掃除したけど、指輪に気がつかなかったそうです」

 梨花はしょんぼりと答えた。

「そんな……。その人が気づいてくれたら、盗まれずにすんだのに」

「ウチの者の不注意です。まことに申し訳ありません」

 嘆く妻は、頭を下げたフジ子をにらんだ。

「やめろよ。掃除の人に八つ当たりしたって、しょうがないだろ」

 夫がたしなめる。

「もっといい指輪を買ってやるから、そんなに落ち込むな。おい、元気出せよ」

 しかし夫の励ましは妻に届かなかった。

「でも、結婚指輪よ。十万もするのよ。ううん、お金じゃないわ。貴方が私のために買ってくれた指輪なのに……」

 両手で顔をおおってしまった。なすすべもなく立ち尽くす梨花とフジ子見かねたのか、を、夫がうながしてくれた。

「もう遅いですから今日のところは皆さん帰りましょう」

「そうですね。明日の朝もう一度指輪を探すよう、上の者に伝えます」

 映画館を出るとき、妻がフジ子に頼んだ。

「連絡先を交換してくれませんか」

「もちろんです。なにかわかったらすぐ連絡します」

 ふたりはスマホを取り出した。


 慰めるように妻の肩を抱き歩く夫を見送り、梨花たちは従業員用駐車場へ歩いた。

「はあ~なんか疲れたわね」

 フジ子がため息をついた。時刻はもう、午前2時をまわっている。

「志乃さんのせいでいい迷惑よ」

「志乃さんは悪くないですよ」

 梨花はムッとして反論した。

「指輪って小さいし、志乃さんは目が悪いから、気がつかなくてもしょうがないです」

 フジ子はそれに答えぬまま、梨花の目をのぞきこみ、言った。

「ねえ、指輪盗んだの……志乃さんじゃない?」

「なんてこというんですか!」

 フジ子は梨花の怒りから逃れるように、小走りで自分の車まで行き、

「でも平沢さんも、ちょっとはそう思ってんじゃない?」

 と捨てぜりふをはいて、ドアを閉めた。

「なんてこというのよ」

 走り去っていくフジ子の車に、もう一度叫んだ。

 志乃が犯人だなんて、そんなわけがない。

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