第30話 賢者とは

 通常、“賢者”と言う称号はあり得ない。

 歴史上、そう呼ばれたのはネベロン一世の軍師モノレ・モレリのみ。

 賢者の定義とは「回復魔法とその他分野の魔法を同時に会得した一個人」を指す。

 俺の目線では分かりにくかったのだが、回復魔法は特に、他ジャンルの魔法とは排他的な関係にあり、個人が両立する事は不可能だ。

 だから、あのフライ准将ですら“賢者”にはなれていないのだ。……気が向いたらその内なりそうだが。

 これは魔法思考と言う意識の向け方が関係する。

 回復魔法は、治癒と言う“対象の内側”に意識を向ける行為。それ以外の魔法は目に見えた空間の条理と言う“外側に意識を向ける行為”。

 どちらかを満足に会得すれば、もう片方の様式を会得する事は出来なくなる。

 俺のようなマジックアイテム型の人種にその垣根が希薄なのは、作った物品を通した間接的なアプローチでしか魔法を使えない「実感のなさ」に起因していると言うのが現状の定説だ。

 ヒーラーが国家資格として管理されている背景には、稀少な人材の確保、及び、潰しが利きにくい彼らの社会的立場を守る事情もあった。

 ハイデマリーの場合、とっくにネタは知れている。

 彼女は俺の魔法食で得た魔法を無限に使える。

 物理的に言えば彼女自身は飽くまでもヒーラーでしか無く、攻撃魔法は俺の魔法食と言う「見えないマジックアイテム」で補っているに過ぎない。

 別人のように痩せてしまったのは、回復魔法も俺から得た魔法を通して使うようになったからだろう。

 俺達が二人で行動していたあの時期、最後に食べたシュニッツェルだ。

 本来は物を食わないと出来なかった回復魔法が、無制約で出来るようになった。

 後衛とは言え、騎士団で魔物駆除をしていれば、身体があそこまで引き締まるのに時間は要らなかったろう。だから、俺からすれば早々に脱落したか、死んだかのように見えたのだ。

 こんなもの、ノーヒントで分かる筈がない。

 だが、詠唱も無しに見ただけで、それもこの滅茶苦茶な威力はどう説明したものか。

 

 

 

 ハイデマリーの周りにはべっていた無数の雷光が、横殴りの驟雨しゅううのように、猟犬へ殺到する。

 庭の木々が繊維質な音を立てて千切れ、倒木し、炎上する。

 火災はすぐに消え失せた。

 炎を嫌う猟犬がレジストしたか、

 ハイデマリーが自らレジストして鎮火しているのか。

 透明な巨獣に、幾らか命中したらしい。

 だが、透明化は解除されず動きの俊敏さが衰えていないあたり、効き目は薄いようだ。

 出てきた数がおかしいだけで、一つ一つは俺の“雷杭らいこう”なりの電流量でしか無いのだろう。

 だが、俺はハイデマリーに関して残された謎をほぼ把握したと思う。

 テオドールと二人では決め手に欠けたが、ハイデマリーが居れば、あるいは。

 ただ、彼女は俺達のパーティ外にあり、エリシャの予知とは同期していない。

 流石の彼女も、不可視の獣が相手ではろくに狙点が定まらないようだ。

「俺の“焔槍えんそう”も、まだ覚えているよな?」

「もちろん」

 即答。

 俺達は猟犬との間合いを測りながら言葉を交わす。

「テオドールは、もう一度だけ隙を作ってくれ」

 俺の言葉を合図に、二人は黙って散開してくれた。

 テオドールが愚直に突進する。

 横薙ぎに振るわれた前肢を掻い潜り、軸足となっていた方の脚へ魔剣“四面楚歌”を突き刺す。

 一見して隙を突いた一撃だが、この後に猟犬に有効打が与えられなければ……テオドールは潰されるか何かして即死するだろう。これでは、ほとんど玉砕だが。

「静雷ッ!」

 蒼白い光球が猟犬を中心に爆ぜた。

 本来、非殺傷型の雷光が、本末転倒な事に猟犬を内側から焼き尽くすそれとなって筋肉を苛む。

 だが、それも一瞬。やはり、テオドールに襲い掛かる爪牙。これで済む話ならとっくにやっていた。

 だが。

 庭園が一瞬で大火に巻かれた。

 それは生き物のごとく一ヶ所に収束し、固体のように重く分厚い爆燃と化して猟犬を襲った。

 まともな物体なら、灰も残るまい。

 これが、今の彼女の“焔槍”。

 俺、今ので“槍”って言葉の意味がわからなくなった。

 だが猟犬は、野生の生存本能でこれも掻き消した。

 毛先数ミリも、もう燃えてはいない。

 ここからだ。エリシャから送られてくる、未来の奴の動きに集中。

検熱けんねつ

 俺の視界が、濃淡様々な赤と青だけの世界に塗り変わった。冷たい物ほど青く見え、熱い物ほど赤く見える。

 本来は、食堂で料理の芯温検査に使っていたものだ。

「ハイデマリー、この斧を狙え!」

 俺は叫びの勢いに任せ、手斧をぶん投げた。

 俺の目からみて、綺麗に巨犬の形をした赤影めがけて斧が激突した。

 こんな事もあろうかと。

 投げる力と距離に対して斧が何回転するかの把握ーーつまり斧頭が対象物に刺さる訓練を、仕事の合間にしていた。

 後は、エリシャの未来から、斧と猟犬の交わる位置を計算するだけだ。

 炎は消せても、身体に帯びた熱までは直ぐに戻るまい。

 そして。

 世界が一際眩しい光に満たされた。

 ハイデマリーを背にかばうように、無数の雷光が一点に集中。野太い、異形の羽虫を思わせる電流音が、大気を無機質にく。

 流石にあの数の雷杭が集中すると、圧巻の電流量だな。恐らく、首都の照明くらいなら彼女一人で賄いきれる。

 俺の投じた斧、ひいては猟犬目掛け、極太の雷波が走り。

 莫大な質量と存在感を持つ猟犬は、逃げる間もなく呑まれた。

 建物を滅ぼしてしまっては本末転倒なので、ハイデマリーは用の済んだ電流を瞬時に消し去ったようだ。

 にわかに晴れた視界。

 舞い上がった土埃や破片だけが、陽光を反射して、情景に薄膜をかけていた。

《目標、消失ロスト。一分以内の再襲撃は今の所確認出来ません》

 エリシャが、事実上の終わりを告げた。

 猟犬は、体毛一つ残さず、この世から蒸発した。

 

 

 仮定だが。

 ハイデマリーは、正確には俺の魔法を使っている訳ではない。

「俺の魔法食を食べた記憶を魔法起点としている」のでは無いか。

 俺の魔法食にした所で、焔槍だとか雷杭だとかの名前を口走る“詠唱”が必要なのに、今の彼女にはそれすら無い。

 ただ想起するーー“想う”事ーーそれ自体が魔法起点。

 俺が使える程度の中級魔法の詠唱なんて“秒数”からすれば大した事では無いが、コンマ秒刻みの魔物戦となると長大な隙になる。

 フライ准将の無詠唱ですら、本を一瞬目視すると言う“間”がある。

 現実にロスをする時間は果てしなくゼロに近いが、魔法思考が完成するまでのタイムラグとしては、やはり結構な遅滞となる。塵も積もれば、だ。

 ハイデマリーは、その僅かな遅滞さえも免除され、見ただけで、脳反応と等速で何十……ともすれば何百の魔法を発する。

 それを拡散して撃つか、収束して撃つかは、彼女の判断次第。

 俺と別れてからの数ヶ月、俺から得た数少ない魔法を組み合わせて、彼女なりに自分のスタイルに昇華して来たのだろう。

 そりゃあ、一年足らずで騎士に上り詰める訳だ。

 色々とタネがあるとは言え、実が伴っているし、戦術を確立したのはやはり彼女の努力があっての事だ。

 下手をすればフライ准将の再来……それも、プロのヒーラーとしての技能も兼ね備えている。

 俺の魔法食が、とんでもない人材を生み出してしまった事に震えが来た。

 

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