第26話 継承
俺はまず、自分の魔法不能症を診てくれている主治医・ニコラス先生に自分の仮説を伝えてみた。
理論上、全く正しいとお墨付きを貰えた。
まず、彼女の属性を考えるなら、料理と言う魔法起点は精神的な親和性が高い……と言うかここまで自我が確立された今、それしかないとすら言えた。
プロの後ろ楯を得られたのなら、もう迷いは無い。
プロは正義だ。
そこから俺がミシェールにした事は、何とも陳腐なものだ。
俺が何を思って弟達の食事を作っていたか。
親が無い理不尽を、あいつらには与えたくない。当時、それしかなかった事をあらゆる角度から説明した。
後は、俺が持てる語彙で魔法思考を言語化したくらいか。
これで彼女の人生23年分の苦悩が解決出来るような甘い問題では無かった。後は、それこそ陳腐だが、彼女自身の問題だ。
ただ、最も大事な要点は、人狼に襲われたあの日に掴んだつもりだ。
要するに彼女は“手段”に拘泥しすぎていた。
俺に決定的なヒントをもたらしたのは、皮肉にも彼女が浴びせられた「料理の道を選んだのも消去法だろ」と言う言葉だった。
この暴言は、ある側面で的を射ていたのだ。
これもまた、魔法不能症の者がそれを克服しようとして陥りがちな過ちなのだが、魔法を使ってどうするのか、彼女はそのビジョンを描くのが下手なのだと思う。
“料理”を一生懸命頑張るのと“作ったものを食わせるのに一生懸命”なのとは違う。
勿論、料理に関して言えば彼女は食べる人を思いやって作っているし、その策はいつも的確だった。
だからこそ、外から見て、彼女の持つ魔法的な癖が分かりづらかったのだ。
俺なんかでも気付ける程、問題は単純だった。
いかに周囲が彼女に無関心だったか、いかに彼女が周囲に壁を作ってきたか。その結果だろう。
女手一つで彼女を育てた母親にそれを言うのも酷ではあったが。
後の事はニコラス先生に任せっきりだった。
俺も今回の事で、一生分の精神医学を勉強したつもりだが、それでもぽっと出の素人に解決できる程、簡単ではない。
プロフェッショナルこそが、絶対的な正義だ。
俺が何とかする! と宣言しておいて格好悪いが、大切なのは“手段”ではなく“目的”だ。
目的の為にはあらゆる手段を講じるべきだ。
俺の依頼に最初は難色を示していた先生だが、解決の糸口が見えたらしく、一転して本格的なカウンセリングを始めた。
仕事の外で患者を診るある種のルール違反よりも、目の前の治し得る患者を選んだのだろう。
そして。
「何か、取ってつけた薄っぺらい知識が増えた気がします」
「随分な言い種だが、やってみな」
「はい……」
硬い表情で、手をかざし、
彼女の指先に、小さな火が灯った。
"Hello world"と言う文字を作っては消える。
「やった! 出ましたっ!」
ミシェールは、俺の首に両腕を回して抱き付いて来た。
今まさに、一人の魔法不能者が治癒したのだ。
「うそ、夢みたい! 夢じゃないですよね!?」
「ああ」
俺は彼女の頬をつねってやると、流石に怒って身を離した。
目からポロポロ涙が落ちている原因は、どっちだろうな。
「ありがとうございます……本当に、ありがとう……」
そして。
俺も掌をかざして、久々に頭の中を浮遊する“取って付けた知識”に意識を馳せた。
小さな火の文字が、灯った。
Hello world.
俺の魔法不能症も、治癒していた。
要因は色々考えられる。
まず、先日の人狼との殺し合いが挙げられる。
元々、魔法に頼りきって魔物と戦っていた俺が、その一切を取り上げられ、斧なんぞで戦う羽目になった。
そこで死にそうな目を見た結果、魔法を拒否していた俺の深層心理が「やっぱ魔法、要るわ」と痛感したのだろう。
普通、こんなケースはほとんど無いと思う。
魔法無しで魔物に遭遇したなら、逃げるしか無い。
ミシェールが動けなくなって逃げる選択肢が無くなったからこそ、あの戦いがあった。
亡くなった農夫のじいさんを思えば、お陰様と言うのは不謹慎で申し訳ないとは思うが。
第一、俺の場合はたまたまハマっただけの、倫理的に問題のある荒療治だ。
そして、ミシェールの治療にあたって、俺が自身の魔法起点を再びおさらいした事も効いたのだろう。
一度剥がれてしまった魔法思考を、再度貼り直したような感覚があった。
ニコラス先生がミシェールの治療に乗り気となったのも、今にして思えば「俺の治療と言う自分の仕事」を全うする為だったのかも知れない。
とにかく。
「これで誰も、何も言えないな。後、悪い男にモーテルに連れ込まれる危険も無くなった」
俺がヘタレで助かったな。
実際、あの夜、彼女に元気が戻ってから“彼女を襲って良い理由”が幾つも頭の中を巡ったが、それと戦うのに難儀した。
「私だって、魔物を見てああなったの、今にはじまったことじゃないです」
むっとした様子で、ミシェールが言った。
「今までは一人で何とかしてました。死ぬわけじゃないんだから。
あの時も、他の男の人だったら、踏みとどまっていたと思います」
本当かよ。
喉元過ぎれば何とやら、じゃないのか。
「本当はそういう面でも怖かったけど、あなたが相手なら……一人で耐えるよりいいかなって思ったんです」
「何だよ、それ」
「あなたは悪い男や、魔物よりマシって意味です」
彼女は目を弓にして笑った。
俺は、これからもこの食堂で働くだろう。
だが、それは今までと意味合いが違う。
俺の魔法が戻ったもう一つの要因。
確かに、他人に力を与える事にも責任は伴う。
俺は今までそれに目を背けてきたし、だからこそ、気付いた瞬間に魔法を失った。
そして。
その上で俺は、力を捨てる事もまた、逃げなのだと思い知った。
例えば、人を殺めない“静雷”の標準化。
フライ准将の話を、もう少し真剣に考えてみようと思った。
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