第19話 帰還と追憶と喪失と
トヘアからネベロンまでの車旅で、九死に一生を得た余韻は流石に消化されていた。
テオドールとは雑多な話が尽きなかったが、エリシャとはほとんど話をしなかった。
教国に帰ってきた。
テオドールはこの後すぐ、上に報告しなければならない。今回ばかりは心から同情する。
さっさと帰って寝転がりたい気分であろう事は、痛いほど分かるつもりだ。
テオドールのみならず、あの戦いに参加した騎士・従士には不思議な共感のようなものが生まれたのでは無いかと思う。
それまで他人でしかなかった他パーティの連中と、撤収時には結構馴れ馴れしく話していたものだ。
とにかく。
俺も俺で、仕事が完了したわけでもない。
テオドールが報告から戻り次第、エリシャも交えたパーティ単位でのデブリーフィングが残っている。
こちらはまあ、話す事もそんなに無いだろうから、すぐに済むだろう。
とにかく俺は、騎士に先んじて、エリシャの待つ会議室へと入った。
「エリシャ? 今、戻っ」
入室一番、エリシャが俺に飛び付いてしがみついてきた。
俺の胸に顔を埋めたまま、こちらを見ようとしない。
「何だよ」
「最初の時も、本当はこうしたかった」
最初の時……ショッピンクモール……ああ、あの謎のボディチェックか。
「テオドールにも同じようにするのか」
「するわけないでしょ」
少しまずい事を訊いたか。
だが、そんなに怒っているように見えないあたり、些末な問題だったらしい。良かった。
「今回のはほんとに怖かった。こうしておけば良かったって、沢山後悔した。ごめん、戦闘中に不謹慎だけど、でも、思ってしまったんだもの」
そして彼女は、ここに来てやっと顔を上げた。
メイクが崩れて酷い有り様だった。
そして、真っ直ぐに俺を見つめている。
不思議と、彼女の考えている事が言われずとも理解できる。
男と女の間には、そう言う瞬間が存在するものだと思う。
“察しろ。早く察しろ、ばか”
一語一句、外していない自信が、今だけはあった。
俺は、見上げる彼女の唇に自分の唇を重ねた。
キスは恋愛の記号表現とされがちではある。下品な事を言えば
だが一方で、崇高な通過儀礼でもあると思う。
いずれの意味としても、一言で言い表せる単純なものではないと思う。
キスの解釈は、それこそ万国・万人千差万別だ。
前門の水神さま、後門のエメリィ・ロス。そんな極限の死闘を経て、俺も彼女も気持ちが昂っているのは確かだと思う。
そして、その死闘を共有した絆もあるのだろう。個人的には、絆と言う言葉を簡単に使う奴は信用ならないが、今回の事件に関しては別次元とは思う。
ただ、どうでも良い不特定多数にする行為でもないと俺は思う。彼女くらい気位が高いと尚更では無いのか。
俺自身、エリシャを好いているのかはわからない。
そして、ここで胸を張って好いている! と断言出来ない時点で、きっと“今は”愛しては居ないのだろう。
ごちゃごちゃ考えすぎたが、とにかくーー
頭蓋骨のズレるような感覚。
俺の身体が突然、湿った夏の夜に投げ出された。
割合大きな家が燃え上がる、火事現場の夜に。
幼いエリシャが、俺の姿を認めた。
「ごめんね、アルシ」
その言葉で、当時の俺は全てを察した。
彼女は、自分の生家を燃やしたんだ。
俺の魔法食で得た、炎の魔法で。
当時の俺も、魔法起点が定着した頃だった。
幼い男児の例に漏れず、俺も“ちょっとした火遊び”に憧れてしまう年頃で。
だから、その魔法を、込めてしまった。
エリシャはそれを、食べていた。
「パパとママ、これで死んだかな?」
両親がこだわり抜いた末に誂えたであろう純白のドレスを纏った少女が、俺に歩み寄った。
「ねえ、アルシ。いっしょに逃げない?」
放心する俺に、彼女はそんな事を持ちかけてくる。
「二人でどこか遠くに逃げて、ぜんぶやり直そう?
あなたとなら、私、大丈夫だと思う」
そうして、彼女は俺の顔を引き寄せて無理矢理唇を奪った。
そこに愛情は無かっただろう。
これをすればケッコンできて、一緒に逃げられる、と思い込めるほど幼くも無かっただろう。
ただ。
俺は、俺の魔法食が起こした事の重さに耐えきれず、
「あぁアあァァあアァア!?」
俺は、どういう形であれ俺を求める彼女を突き飛ばして逃げ出した。
その翌日、俺の親父は、転戦を理由に拠点を移した。元々、俺達一家は移民出の根なし草だったのだが。
もしかしたら、この事に関連しての判断だったのかも知れなかった。
その後の彼女がどんな経緯を辿ったのかは知らないが……いずれにせよ、この出来事の延長線上に、今の俺達がある。
長く交接していた唇を、ゆっくりと離した。
俺は、全てを思い出した。
思い出してしまった。
それをおくびにも出さず、気取られないように自然な所作で、彼女の肩を押して身体を離した。
この事を思い出さなければ……少なくとも俺の方は、この勢いのまま、彼女を本当に愛してしまった可能性は高い。
何となくの空気で身近な奴を好きになって、ともすればそれが嘘から出た真になったのかも知れない。
だが、この記憶を思い出してしまった俺は。
彼女は、どうなのだろう。
どこまでを覚えていて、どれくらい気に掛けているのだろう。
この事を思い出した事で。
俺はこれ以降、魔法を一切使えなくなってしまった。
魔法不能症。
何らかの心的外傷により、魔法思考がまともに編めなくなる、よくある精神疾患。
魔法とは、人の思考の具現化なのだから。
俺が全てを忘れていたのは、俺を無価値にするこの事実を封印する為だったのだ。
彼女に知られるわけにはいかない。
こいつは案外と良い奴だから、知ったらどれだけ自分を責め抜くかはわからない。
この事実は、俺が墓場まで持っていくべき事だ。
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