【2.3.1】 魔という言葉の表すもの。

「しかし、お前たちの言うというのは、一体何なんだ?」



 ギンが、倫太郎を見上げて言った。そういえば、家の台所で「魔法」と言ったことを、ギンに笑われたなと思い出す。牛乳を霧散させたあの力が魔法ではないというのなら、一体何なのだろうか。

 人間の言う「魔」とは、一体何なのだろうか。



「妖怪が魔物だというのなら、ここに描かれている奴らはみんな魔物か?」



 ギンはそう言って、棚に並べられた絵本を指差した。雪女、座敷童、ろくろ首など、名前ぐらいは聞いたことのある妖怪から、あまり馴染みの無いものまで並んでいる。児童書のコーナーらしく、それほどリアルに描かれているものは無いが、それでも皆一様に暗い色だ。怖さを助長するような、寒気がするような、そんな色。



「あ、そっか。妖怪は魔法を使わないのか。じゃあ、妖怪は物の怪。」



 岸間春は、一人で納得したようにうんうんと頷いた。まるで答えになっていない、ほとんど言葉遊びをしているような答えに、倫太郎は苦笑する。



「そういえば、妖術とか言うのもあったわね。呪術だっけ?」と、春はぶつぶつ言った後、「魔っていうのはね、目に見えない力なの。」と言い切った。



「ファンタジーの世界ではね、空気中に魔素っていうのがあって、それを元にして魔法が使えるの。その魔の悪いものが悪魔で、その親玉が魔王ね。」

「魔力は?」

「体内に持っている、魔の力ってことね。」



 倫太郎の問いかけに、漢字をそのまま読んだように説明した春があまりにも得意げで、倫太郎は再び笑う。



「あ、馬鹿にしたでしょ!」



 ちょっと不貞腐れたように言う春に、「ごめん、ごめん。」と倫太郎は謝りながら、また笑った。そんな倫太郎を見て、彼女も笑う。


 不思議な感覚だった。彼女と接していると、肩の力が抜ける。これまでずっと、妙に気を遣って生きてきた気がする。決して、彼女を見下しているというのではないと思う。「それで良い。」と、思わせてくれる何かが、彼女にはあるのだ。



「空気中にある、魔素ね。」



 ふぅんとでも言うように、ギンが腕を組んで言った。思い当たる節があるのだろうか。

 ギンが、人間の言葉を確認したがるのは、人間が何をどんな風に分類しているのかを知りたがっているようにも見える。ギンが求めるものが何かはわからないけれど、暇つぶしと言いながら精霊たちの元を訪れているのには理由があるはずだし、そこに人間が関与していることは間違いないのだから。


 それを「魔素」と呼ぶのか「魔」というのかは、きっとどうでも良いのだろう。名前に囚われてはいけないと、倫太郎は心の中で自分に言い聞かせる。

 勝手に人間が作り出した枠組みを外して考えれば、それが一体何なのかもう少し見えて来るのではないか。大事なのは、それが「何であるか」ということだ。


 空気中にあって、何かの力によって作用を起こすもの。


 昔は、日本人にも使える人がいたと聞くそれは、先ほどの亀の形をした未知なものをいじめていた子供たちと同じ話ではないだろうか。

 見えなくなった精霊。意思を持たず、そこにいるだけだったという精霊たちは、時に人間をおびき出し、何かを食らう。

 殻から出た下等動物たちの魂は、人間達によって形を帯び、時には人間の世界に何らかの影響を及ぼす。


 人間達の思い込みが、彼らを形あるものにするというのなら、奇跡と言われたような何かが彼らによるものである可能性も否定できない。

 昔の人間たちが精霊の姿を見ることができていたというのなら、卑弥呼や陰陽師といった存在を、ただの占い師だとか、天文学者だとかいうのも、違うのではないか。そんな風に考えてみれば、呪いや、占いや、予言といったものが、急に現実味を帯びてくる。



「惜しいな。」



 ギンが、倫太郎を見てニヤリと笑った。惜しいということは、倫太郎が考えていたことが、そこまで間違っていないということだろうか。そして、精霊や魂という存在で、全てを語ろうとしてはいけないということだろうか。



「この世には、もう一つ大事な存在がいる。人間も、精霊も、そいつらに生かされているということを忘れている。」



 銀色の瞳にじっと見つめられて、倫太郎は固まった。思考だけが妙に動かされる。


 人間や精霊を生かすもの。


 人間は何によって生きている?

 命。


 命を繋ぐためには?

 血。体。


 血は何からできている?

 この身体を作る物は?



「愛?」



 目をキラキラとさせて春が言った。思わず噴き出した倫太郎に、「そんなに笑う?」と言いながら、彼女も笑う。



「まあ、良い。今日はここまでだ。」



 ギンは呆れたように笑いながら、そう言って全てを終わらせてしまった。核心に迫れそうな所まできて、梯子を外されてしまったような気分で、倫太郎は少しだけ肩を落とす。

 その言葉を合図に、クロが棚から倫太郎の肩へと移動してくると、一人残されたお岩さんが、少し寂しそうに見えた。



「仲間に会えるなんて、思わなかったわ。」



 クロは何も答えなかった。尻尾が倫太郎の肩から垂れ下がって、ゆらゆらと揺れる。



「御馳走さまでした。」



 お岩さんが、倫太郎に頭を下げた。やはり何かを食べたらしい。それが倫太郎の何かはわからないが、「お粗末様でした。」と何となく答えてみれば、お岩さんは笑ってくれた。



「お前はここで良いのか?」



 ギンが銀色の目を細めて言った。憂うような、そんな優しい表情だった。シロにも向けた、あの表情だ。



「あの人の傍にいたいの。」



 そう言って、図書館の受付の方に視線をやったらしいお岩さんは、あのうっとりとした表情をしているようにも見えた。

 髪の毛で隠れたままの顔をゆっくりと戻すと、「来てくれて、ありがとう。また、会えると良いわね。」と言って、泣きそうな顔で笑ったような気がした。








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