【2.3.0】 精霊とは。妖精とは。妖怪とは。

 パタンと音をさせて、ギンが絵本を閉じた。


 空気を弾いたような軽い音のはずのそれは、浦島太郎との接点がブツリと切られたような、そんな音に聞こえた。


 竜宮城の絵が、小さく書かれた裏表紙。図書館の蔵書であるとわかるように、バーコードが貼られている。元あった場所にそれを立て掛けるギンの手元を見ながら、倫太郎は「あれ?」と思わず声を出した。


 なぜ、『浦島太郎』がこのコーナーにあるのだろうか?


 今回の特集は、「妖怪と鬼」だったはずだ。浦島太郎に、鬼や妖怪らしきものは出て来ない。このコーナーを組んだ人は、乙姫や亀を妖怪と思っているということだろうか。



「素敵でしょう?」



 倫太郎の頭の上にいるお岩さんが、そこから見下ろすようにして言った。髪がぶらりと垂れ下がり、目の前をゆらゆらするが、お岩さんの顔は見えそうもない。



「あの人はね、乙姫を海の妖怪だと言うのよ。」

「妖怪!?」



 岸間が真っ先に反応して、倫太郎の頭の上を見上げた。目がキラキラとして、何かを期待しているらしい。彼女のツボは、いまいち分かりづらい。

「なるほど。だから、あれほどの美味。」と、倫太郎の耳元で、クロがうっとりとしたような声で呟いた。



「あの人って?」

「さっき、声をかけてきたでしょう?」



 それが、エプロンをしたスタッフのことを言っているのだということはすぐにわかった。母娘に声をかけ、倫太郎と岸間に声をかけてきた、図書館のスタッフの女性。



「本当はここに置く物じゃないって他の人に言われたんだけど、どうしても譲れなかったみたい。」



 お岩さんはそう言って、愛しいものでも見るかのように受付の方に目を向けた。そのスタッフは今、受付カウンターのパソコンの前に座って、本を借りに来る人を待っているようだ。



「こんなそうぞう物の分類でさえ、生きていないものに任せてしまって、人間達はいったい何をしようとしているのかしらね。」



 そう言いながら、お岩さんは再び棚の上に移動する。最初に会った頃よりかは少し大きくなっただろうか。倫太郎はそれにホッとしながらも、これからの彼女のことを思えば心配にならざるをえない。

 人間が想像し、書きあげた小説や童話といったものでさえ、機械化が進み、勝手に分類される。本来その定義なんてものは、曖昧であって良いはずなのに。

 浦島太郎がここではないとわかってはいても、彼女は譲れなかったのだとお岩さんが言う。そんな彼女だから、精霊がそばにいるということなのだろうか。


 精霊達の望むことが少しずつでも分かってくれば、人間が目指している方向とは真逆であることを倫太郎は嫌でも知る。

 しかしその方向を、転換するようなことは、今更もう無いだろうと思えば、精霊の未来は一体どうなってしまうのだろうか。



「良くも悪くも、人間が生みだすものは精霊たちにとって魅力的だったんだ。だから今こんな状態になっても離れられない。そうだろう?」



 ギンがそう言って、倫太郎の肩の上にいるクロを見上げた。クロがひどく腹ただし気に、何度目かわからない溜息をつく。尻尾が、倫太郎の頭をペシペシと叩く。いつもより少し強いそれに、クロも少し大きくなったことに気づく。



「えっ!?あなた達って、精霊なの?」



 ギンの言葉に、岸間が素っ頓狂な声を出した。驚いているような、喜んでいるような、子供が新しい玩具でも手に入れたような、そんな表情だ。なぜ、こんなにも怖く無いのだろうと、倫太郎はますます岸間がわからなくなる。

 学校に行っていた頃に抱いていた岸間のイメージは、もうとっくに消えて無くなっていた。



「今の今まで、何だと思ってたんだ?」



 クロが棚の方へと移動しながら、呆れたように言った。尻尾がゆらりと揺れて、お岩さんの横にするりと座る。やはり、大きくなった気がする。



「え?妖精。」



 悪びれもせず、不安な様子も見せず、岸間は言い切った。だとしても、まずは疑問に思ったりしないのだろうか。「だから、量はあるけど味が悪いんだ。」と、クロが先ほども呟いたようなことを、倫太郎の耳元で溜息と共に吐き出した。



「精霊と妖精は、何が違うんだ?」



 倫太郎が岸間に向かってそう問えば、岸間は目を見開いてひどく驚いたようだった。クロは全く興味が無いとでも言うように、せわしなく手を舐めている。

 猫が手を舐めるのはストレスと聞いたことがあるが、クロにとって岸間はストレスなのだろうか。



「え?一緒なの?」

「え?一緒じゃないのか?」



 岸間があまりにもはっきり言うので、倫太郎の方が不安になる。岸間が無敵に思えて来た。


 精霊と妖精。言葉が違うのだからもしかしたら違うのかもしれない。でも、そんな風に考えることこそ、言葉に縛られているということではないのか?



「だって、小さくて飛んでいるから。」

「小さくて飛んでいるのが妖精?じゃあ、精霊は?」

「植物とかにいる神様みたいなもの。」


「じゃあ、妖怪は?」



 自信満々に答える岸間に、今度はギンが楽しそうに聞いた。心の中で「人間は面白い。」と言って笑っていそうだ。



「悪いことする魔物。」

「鬼は?」

「あれはでっかい人間って、学校の先生が言ってた。」

「幽霊。」

「死んだ人間。」



 ギンが、図書の本を指差しながら聞いていく。どうやら、そこに並んでいる者を順番に言っているらしい。



「魂。」

「人間の心ね。」

「じゃあ、天使。」

「神様のお使い。」

「神。」

「世界を作った人。」

「じゃあ、———は?」

「え?何?」



 どうやら、ギンを表すと思われるその言葉は、岸間にも届かなかったらしい。ギンは「ダメかー。」と楽しそうに言いながら、銀色の頭の後ろで手を組んで仰け反った。


 しかし、よくポンポンと答えられるものだと倫太郎が感心していると、「だから、春は美味くない。」と、棚の上にいるクロが、何度目かわからないその言葉を呟いた。


 春。岸間春。そういえばそんな名前だったと倫太郎は思い出す。


(名前によって、イメージはずいぶんと変わるものだな。)


 学校で見ていた「岸間」の頃のイメージはガラガラと崩れ去り、あっけらかんとした今の岸間を見ていれば、「春」という名の方が彼女に合っている気がする。クロが呼んだ名前が「春」なのは、倫太郎の中で言葉を変換する何かが変わったという事なのだろうか。



「ファンタジーの小説を読んでいれば、そんなのは常識よ。」



 ギンの名前が聞こえなかったことは、彼女にとってはもうどうでも良いらしい。しかも妙に得意げに言ったそれに、思わず倫太郎は笑ってしまった。



「あ!笑ったわね!」



 怒っているようで、彼女の口元は笑っている。それを見て、倫太郎は声を出して笑った。

 こんな風に笑ったのはいつぶりだったか、そんなことを考えながら、笑い過ぎて目に溜まった涙を手で拭った。







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