【1.0.1】 部屋と戦場と猫。

 倫太郎が、自分の部屋に入る。ギンが、後に続いて入って来るなり「ほぉ。」と呟いた。


 なんてことはない部屋だ。ゲーム関連の物が並んでいるでかい机と、ベッドがあるだけの部屋。本や漫画は全てネットで済ませるため、本棚は無い。押し入れにはいくつか服が入っているが、使う服は今着ているものと、おそらく今は外に干されているであろう昨日着た服、それだけで済む生活だ。改めて見てみれば、ゲーム以外何も無い。妙にスッキリとした部屋だった。

 学校の鞄だけが、その存在をアピールするかのように床に置かれている。



(そう言えば、制服はどこにやったんだっけ?)



 見回してみれば、壁にかけてあったはずの制服が無くなっていた。いつから無くなっていたのか、それすらもわからない。母親がどこかに片づけたのだろうか。行かなくなって久しい学校は、間もなく退学になるだろう。


 階段に置いておいた買ったばかりのゲーム機は、上がる時に持ってきた。倫太郎はそれを机の足元に置く。机の上は、キーボードやコントローラーだけでなく、様々なゲーム機で溢れていて、今現在、それが置ける場所は無い。


 それほど広さの無い部屋に、似つかわしくない子供がいる。彼は銀髪の髪を揺らしながらベッドにドカッと座ると、「悪くないな。」と言った。



「しかし、ほんと―――だらけだな。」

「ん?なんて?」



 言ったことが聞き取れなくて、聞き返す。



「ん?―――だらけだなって。」



 再び聞き取れず倫太郎が怪訝な顔をすると、ギンは「ああ。」と納得したように頷いた。



「なんて言うんだ?生きて無いもの?気の生まないもの?」

「…無機物?」

「ああ、の無いもので無物か。上手いな。」



 それでは漢字が違うと思ったが、どうやら彼は納得しているらしい。否定するのも説明するのも面倒だし、まあ良いかと倫太郎はそれ以上何も言わなかった。



「これは何をするものなんだ?」



 ギンが机の上を指差した。PCは倫太郎が高校の入学祝いとクリスマスとお年玉と、そんな感じで全てを一緒にして買ってもらった自慢のゲーミングパソコンだ。まさかそのせいで学校に行かなくなるとは、親も思わなかっただろう。まあ、原因はそればかりでは無いのだが。



「ゲーム。」



 それだけ言って、倫太郎はパソコンを立ち上げる。スリープしていただけのそれは、あっという間に戦場を映し出した。



「戦争か?」

「これは、オンラインで戦うやつ。」



 小難しく説明してもどうせわからないだろうからと、倫太郎が適当にそう言うと、ギンが「ふぅん。」と相変わらずそれほど興味が無さそうに相槌を打った。


 再び心がざらつく。興味が無いなら聞くなよ。―――と、子供相手に言ってしまいそうになり、いや、子供じゃない何かだ、ということを思い出し、きゅっと口を噤んだ。


 ギンはどうやら、ゲームの内容よりもPCの方に興味があるようだった。モニターをノックするようにコツコツと叩いてみたり、キーボードをカチカチ鳴らしている。ギンがコントローラーを手に取った時、画面の中の人間が動いた。



「ああ、これで動かすのか。面白いな。」



 そのいくつもついたボタンを片っ端から押していく。画面は装備の変更モードになったり、武器の説明になったり大忙しで変わる。



「おい、勝手に押すなよ。」



 変なことをされては敵わないと倫太郎がそれを止めれば、ギンは特に執着を見せることも無くコントローラーを置いた。


 素直に言うことを聞いたギンに、少しだけ警戒心が緩んだせいだろうか。もう、いい加減聞いても良いだろうか、と倫太郎は考えたのだ。その正体を。―――と、その瞬間。


 グワリと世界が歪んだ。視界が一気に開ける。


 何が起きたのかわからなかった。急に眩しくなった世界に、目が霞む。慌てて手でかばい光をさえぎれば、目の前には果てしない荒野が広がっていた。空が青い。そして、地面には黒い影。

 目が光に慣れてきた頃、その影を目を凝らして見れば、それが人だという事がわかった。無数の人間が倒れている。いや、死んでいる?


 呆然と立ちすくむ倫太郎に、ギンが笑っている。太陽の光を浴びて、輝く銀色の髪。それは、悪戯いたずらが成功したとでも言いたげな顔だった。



「お前は、これが好きなんだろう?」



 そう言ってあげた口角が、倫太郎の視線を捉えて離さない。銀色の瞳が、倫太郎を射抜いている。

 倫太郎は肌がピリピリと揺れるのを感じていた。腕が、足が。次第に広がっていたそれは、震えだったのだと気が付いた時には、もう自分を抱きしめても止められないものだった。



「あはは。ここは気が溢れているからな!」



 倫太郎は、地べたにへたりと座り込んだ。楽しそうに笑っているギンが、恐ろしいものだとやっと理解したのだ。小さな子供だったギンが、圧倒的な存在に見える。

 倫太郎は揺れる膝を抱え、丸くなる。ここは、戦場か。部屋とは比べようもなく広い世界に、居場所が無い。自分の存在の危うさに、付き纏う恐怖。


 ギンはひとしきり笑った後、ふと思い出したように辺りを見回した。



「しかし、ここにもいないか。」



 そんなことを呟いて、倫太郎に目を向けた。再びその銀色の瞳を向けられて、倫太郎は思わずビクリと身体を揺らした。



「お前は?なんで、そこにいる?」



 投げかけられた言葉の意味が分からずに、倫太郎は泣きそうになるのをこらえている。膝を抱える腕が震える。視界が歪む。怖い。怖い。怖い。



「違う、倫太郎じゃない。お前だ。」



 ギンが指を差したのは、やはり倫太郎だ。いや、正しくは倫太郎の肩の辺りか?



「え?」

「倫太郎。お前、鈍いな。まだ見えてないのか?」



 そう言って、ギンが指を振る。肩に向けられたそれの先を追えば、自分の右肩に黒い何かが乗っていた。

 形の無いそれが、もやもやと動く。



「な、何?これ。や、やだ。」

「あはは。ビビるな。お前にはそれが何に見える?」



 何?何に見える?


 もやもやと動く黒い雲のようにしか見えないそれを、「何に見える」と言われても。―――と焦りながらも、その答えを探す。既にギンは、倫太郎にとって恐怖の存在だ。何か言わなければ。



「―――ね、猫?」

「名前は?」

「え?え?クロ?」



 必死でそう答えれば、黒い靄が一気に形作られて固形のものとして視界に入って来る。黒い何かが、いや黒い猫が乗っている。自分の、右肩に。


 倫太郎の混乱をよそに、黒い猫はすくっと二本足で立ち上がった。



「余計なことをしてくれた。」



 口調は偉そうだが、猫だ。しかも、肩に乗るほどの子猫。

 目の前ではギンが腹を抱えて笑っていた。


 肩の上に立ち上がる、見た目は愛らしい黒猫。まわりの景色との違和感。しかしその見た目の緊張感の無さに、倫太郎が思わず左手を伸ばすと、その手はパシッとあっけなく跳ね返された。黒猫は、倫太郎を睨んでいる。その瞳も銀色だった。いや、灰色か?


 その時だ。どどどっどどどっと地響きがして何かが近づいてきた。死んだ人間の塊である黒い影を避けながら、馬が走って来る。

 ぶるるると馬が震えてそれが倫太郎たちの前で止まると、馬上から鎧を着た騎士が倫太郎を見下ろした。馬がたたらを踏むが、騎士の体勢はぶれない。その手には剣が握られていて、いよいよその剣が倫太郎に向いた。



「敵か。」



 答えによっては、それがこの首を掻っ切るのだと、それだけはわかった。倫太郎は、もう完全にキャパオーバーだった。抱きかかえた膝に、涙が溢れ出した顔を埋め、もう全てを諦めた。







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