Ⅲ
何だか鼻に重いような甘い香りを嗅いでいると、気持ちが落ち着いてくるような気がした。
公園の入り口から道沿いに沿って並ぶ花壇。
そして広い公園を取り囲むように作れた花壇にたくさんのバラが育てられてて、この中一面だけ別世界。
公園の真ん中辺りからは貯められた水が噴水しているように見える。
その名の通り、噴水というのだと主が教えてくれた。
見たことのない世界に戸惑うあたしが面白いみたいで、小さく笑いながら色々と説明してくれる。
太陽の日差しも暖かくて、久しぶりの眩しさに頭がクラクラした。
明るいうちに外を歩き回るなんていつぶりだろ。
ぼーっと道にあるバラを見つめているとグッと首に力がかかった。
主に繋がれた縄が引っ張られた。
まるで犬の散歩みたいだけど、あたしがはぐれないためだと言って締まらない程度に首に縄をくくりつけてくれた。
早く歩けと急かす主。
「やあやあ皆様お待たせいたしました。」
噴水の裏にたくさんの人がいた。
おじいちゃんにつくように若そうな男女といった感じで、色んな年齢の人がいるみたいだったけど子どもの姿はみえない。
屋敷でも多くて3人で、こんなにたくさんの大人達に囲まれたことがないから正直怖いと思った。
一気に視線を落とす。
目を合わせてはいけない。
「ニクス殿、ペットと言ってたじゃないか?まさかこの子がか?」
杖を片手に、シワシワの顔をますますシワシワにさせながら1人のおじいちゃんが主に声をかける。
「そうです。この娘がわたしに殉情なペットでございます。さあ、わたしの靴を舐めてみなさい。」
あたしはすぐに主の靴に舌を這わせる。
失敗は許されない。
今日はジャリジャリと砂の味がする。
「ほお~、ニクス殿にそんなご趣味があったとは。」
「わたしの言うことなら何でも聞いてくれますよ。可愛いもんです。」
一心不乱に続けていたのにガンっと顔を蹴り上げられ舌をかむ。
何かやらかした?
不安になって顔をあげると、主は館で会う時の優しい
目をしていた。
「皆さんにご挨拶なさい。」
笑顔でそう言った。
舌のヒリヒリする感覚に耐えながら、向き直り顔をあげる。
「まあ、両目で色が違うのね。何だかヴァンパイアみたいで怖いわ。」
「片方はエメラルドグリーン、もう片方は…何だか赤黒いな。」
「でも、美しい顔立ちじゃな。これなら私も調教してみたいぞ。」
バッと視線を落とすと、後ろから首に繋がれた縄をグッと引っ張られ、ガクンと後ろに倒れ込んでしまう。
「挨拶だ。」
声のトーンが下がった。
あたしは慌ててその場に正座をし、顔を地面ギリギリまで近づける。
ガンッ
浮いたお尻を力強く蹴られ、顔面を地面で擦った。
ワハハハハ
と笑いが巻き起こる。
何が面白いのかわからないけど、たぶんこれで大丈夫。
「可愛い顔から血を流しておるぞ。これは愉快。」
「綺麗な顔で産まれても産まれが惨めだとそうなる運命なのよ。」
「ワタシには少し刺激が強すぎます。」
「何を言っている、わしらの時代じゃこんなの可愛いもんじゃ、ニクス殿は情愛が混じってしまってるのではないか?」
フッと主が笑った。
「確かに。この子が愛しくて可愛くて仕方ありません。せっかくの美しさ。もっと美しく魅せるために、ここのバラをプレゼントしましょう。」
そう言うと主は、園の管理をしているらしき男を呼び寄せ何か指示をした。
しばらくして、その男は手袋とバラを束にして主に持ってきた。
主がチップを渡すと、男は一礼してそそくさと去っていく。
主はあたしの首に繋がった縄の先を近くにいた知人らしき女に持たせ、その時に何か耳打ちし、その瞬間に女の顔が強ばったのがわかった。
手袋をはめバラを一輪だけ手にし、あたしを立ち上がらせる主。
あたしの縛られた腕を引っ張り、右腕にバラを通したかと思うと、それをギュッと右腕に巻きつけた。
ギュッとトゲトゲが食い込み、タラタラと血が流れ出す。
痛くても声を出すのを主は嫌うので、キュッと唇を結んで我慢した。
今度はもう片方の腕にバラを巻きつけられる。
次は足。
身体からはバラと血の匂いがした。
主は笑顔だ。
痛い。
痛いけど、
あたしさえ耐えればいい。
「ほんとに美しいよ。」
主は最後に短く切ったバラをあたしの頭に挿し、傷ついた頬を手の甲でスリスリと撫でてくれた。
周りは黙ってそれを見てた。
「そこで何をやっている?」
突然響いた声に、周りが一斉にビクッとなったのがわかった。
後ろを振り返ろうとしたけど、主に頭を押さえつけられてお辞儀の姿勢をとらされた。
「これはこれはシュトゥルム様。貴族院の方達にわたしの家族を紹介しておりました。」
あたしはすぐに先ほど教わった【挨拶】をしようと思ったけど、女が縄を掴んでいたので座り込むことができなかったから、とにかく主の指示がでるまではこの姿勢を保とうと思う。
少し先に白い馬の足が見える。
「何故、娘にこのようなことを…。今すぐ外してあげなさい。」
「お言葉ですが、シュトゥルム様。こいつは金で買ったわたしのペットであります。所有物です。王といえど市民の所有物にまで口を出されるとはいかがなものかと思います。」
誰かがチッと舌打ちしたのがわかった。
「あの時のか…。まさか自国の人間ではあるまいな?そこの娘よ、顔をあげなさい。」
王様の命令。
でもあたしにとって一番大事なのは主の命令。
主の指示を待つ。
「顔をあげろ。」
ボソッと声が聞こえ、私はゆっくり顔をあげる。
王と呼ばれるその人の目が、そのまま飛び出ちゃうんじゃないかと心配になるくらいに見開かれた。
あたしの両目はそれぞれ色が違うらしく、初めて会った人はたいがい言葉をなくす。
だから何も気にならない。
主くらいだと思う。
初めてあたしの顔を見ても微笑んでくれたのは。
…。
しばらく沈黙が続いた。
…。
王は目を閉じ一度ゆっくり深呼吸し、静かに口を開く。
「ニクス殿、頼むからこの娘を解放してあげてくれ…。」
「…解放?それはただ働かされるだけの就労所に返せとの意味でございますか?」
「違う。」
「ではどういった?」
主の言葉は丁寧だが、声色が怒りを伝えてくる。
主は静かに怒っている。
王もまた怒りを抑えてるような気がする。
あたしはまた視線を落とす。
何だか二人が怖い。
「…。私が引き取ろう。」
「いくら王でもお断りいたします。」
「では命令だと言えばいいのか?」
「それは権力の暴力ですね。シュトゥルム様ともあろうお方が…。そんなにコイツが気に入りましたか?お妃様を無くされてまだ二年やそこらですよ?」
「違う、そうじゃない。」
「では他にどういった理由があるのでしょうか?」
後ろにいた主の知人達が何も言わずに静かに立ち去っていく気配がする。
首の縄に何か振動が伝わってくる。
女も怯えてるみたい。
「シュトゥルム王!!大変です!!」
ものすごい勢いで、鎧を身にまとった兵士らしき人が駆けてくる。
男は王の近くで馬を下り一礼すると、そばに駆け寄って小声で話し始めた。
主は女からバッと縄を取り上げ、それをグッと引っ張りあたしとの距離を近づけた。
バラの棘が邪魔だな。
「私は急ぎ城に戻らなければならなくなった。ニクス殿、その娘の件についてはまたのちほど。失礼する。」
王は兵士と共に颯爽とバラ園から駆けていった。
「誰にも渡すものか。」
主は間違いなくそう言った。
あたしは嬉しかった。
主はあたしを売ったり手放したりなんかしない。
なら、何でもきっと耐えられる。
週に一度はちゃんと抱きしめてもらえるから。
主に愛されてさえいれば、あたしはどんなに痛くても生きられる。
後頭部を鈍器で殴られたらきっとあんな衝撃だろう。
それぐらいの衝撃だった。
ニクス殿の連れていた娘。
娘の真っ直ぐな瞳には何だか覚えがあるような気がした。
オッドアイで両目の色が違うが、特に右目、赤黒かった方。
私はあの目を知っていると思う。
ハッキリといつだと言われてもわからないが。
あれから私の頭の中は彼女の事でいっぱいだった。
もちろん普段は公務があり、それに真剣に集中して取り組んではいるが、ふとした瞬間、娘のあの瞳を思い出してしまうのだ。
何故引き取りたいという言葉が口から出たのかわからないが、
助けなければならない
本能がそう言っていた。
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