中世の宿縁

「今日からここがお前の家だ。」


広い庭の一角に、石で形作っただけの牢。

今にも噛みついてきそうに歯を剥き出しにした狂犬が中を見張っている。

中には、ボロボロのお布団と足枷。

それ以外に何もない。


神様はなんであたしを殺してくれないの?


あの頃は毎日ずっとそう思ってた。

あの人に出会うまでは。






自分の気持ちを代弁してくれているかのようにどしゃ降りの雨。

真っ黒な空の下、真っ白な服を身にまとい、私は空を見上げる。


妃が死んだ。

胸を患う病だった。

私は公務に追われていて…いや、これは言い訳だな。

家族を省みず、自分のやるべき事だけに集中していた結果だ。

妃の病に気づきもしなかった。

公務はもちろん私にしか出来ないが、家族を愛する事も私にしか出来なかったのだ。


授かった二人の子ども達も涙を流している。

6歳の息子と8歳の娘。

まだ小さな子ども達を残してどんな気持ちだったのだろう。

考えてもわかるはずのない答えだけをグルグルと探している。


涙はでなかった。

喪失感の強さからまだ心がついていっていないのだと思う。

無情にも時だけが過ぎた。


皆が気を使ってくれたが、城にいるには何だか落ち着かなくて、単身、馬に乗り自分の守るべき街並みを歩いてみようと思った。


私はさほど大きくはない小国の王家の三代目を九年前に引き継いだ。

妃との結婚が決まった時だ。

この城下町で大々的な祝いをしたのが、つい昨日のように思い出される。

煉瓦作りの建築物の並ぶ街並み。

ぎゅうぎゅう詰めで少し窮屈に感じるこの街だが、海がすぐそばにあり潮の香りが漂う、道は整備され、たくさんの商人達が行き交い、ある程度の自由は許されている国の者達が生活するには環境は悪くないと思う。

ただ最近、貴族院の人々の悪い噂もちらほら耳にするようになった。

貴族院とは、代々私達王家を支えてきてくれた資産家達の集まりで、王家の国政に対して発言権をも持つ組織である。

今回の妃の葬儀にも他の王族の血筋の者達と共に参列していた。


いつもは笑顔ですれ違う人々が、今日は一様に神妙な面もちでこちらに目をやるのがわかる。

皆が私を心配しているのだ。

心配をかけてはなるまいと、目があう人々に笑顔を送る。

私は人々の暮らしぶりを自分の目で確認したいから、度々こうして馬に跨ぎ、愛する街並みを散歩していた。


しばらく馬を歩かせると正面から、貴族院に所属し、その中でもリーダー各であるニクス殿の姿が見えた。

ニクス殿もまた馬に跨ぎ、お供を連れその後ろに何やら繋ぎ誘導しているようだ。


「これはこれはシュトゥルム様、ご機嫌麗しゅう…おっと、失礼。先ほどはお妃様の埋葬がすんだばかりでしたな。」

「こんにちは、ニクス殿。」


私はヘラヘラと、そして平気で王家の人間を馬鹿にするこの男が昔から苦手である。

私の威厳が低いからかもしれないが、月に一度の私達と貴族院達の食事会でも横柄に振る舞う姿が目立っていた。

しかし、好き嫌いで人を判断する事は許されない立場であり、私達王家の生活を支えるためにお金を上納してくれている貴族院達の人々には中々不満を漏らすことを簡単にはできない。


フッと付き人の後ろに目をやった。

そこに繋がれていたのは、頬はこけ汚れてくすんだ顔、ボサボサの黒髪、シミがつきくたびれてよれよれになった服を身にまとう10歳くらいの女の子だった。

ただ足元の一点だけを見つめ、こちらに目をやろうともしない。

この国では身分の差は無くすように助力している所だが、貧富の差というものは存在し、人の売買も許されている。

昔からある体制であり、少し了承するには疑問点はある事案だが、人身売買する事によって、負担のかかる仕事などは元々他国の人達にやらせる事ができ、今までそれで国が回ってきたのは事実だし、自分はまず自国の人間達を守る事が最優先であるので、この体制は変わらず維持してきた。


「先ほど、とある就労所から買ってきたんですよ。前から目をつけていましてね。いやぁ、よく見ると綺麗な顔をしてるんですよ。」 


ニタニタと笑い、少女を舐めるように見つめる独り者のこの男が娘を買った理由が、きっとろくでもないことなのだろうと予感した。


可哀想に。


「あまり手荒な事はしてやるなよ。」


話を広げる気もないので、私はそれだけ告げるとニクス殿に一礼し、また馬を歩かせる。


すれ違い様に少女を見る。

少女はただ地面を見つめる。


この時はまだ知らなかった。

この少女がのちに自分にとって最愛の大切な人となることを。






「お前はここでわたしだけを見ていればいい。わたしがお前の主だよ。」


部屋に呼ぶといつも主は暗示のようにそう言った。

普段、あたしを牢屋に隔離し殴る蹴るをする人間とはとても同一人物とは思えないほど、優しく丁寧にあたしの身体をさわってくる。

あたしは教えられたら通りのことをする。

ここに連れられてきて、もう二年くらいになるかな。

週末になると必ずこの時間がやってくる。

この時間だけはうまくできなくても暴力を奮われる事がないから安心して過ごすことができてる。


「オッドアイで美しいお前を愛しているよ…うっ…。」


この時間の前に、いつも塗られる香り付きの油でべたつく頭を、呼吸を落ち着かせながら愛おしそうに撫でる主のその姿を見て、


あたしは本当に愛されてるんだなって思う。


しばらく抱きしめられた後、

それまでの時間がまるで夢の中の出来事だったのかなって勘違いするくらいに、髪を引っ張られ強く床に叩きつけられる。


「お前は家畜以下だ。人間じゃない。わかってんのか?」

「はい。」


中の人が一瞬で入れ替わるみたいに別人だ。

これもいつものことで、幸せな時間はほんの一瞬に感じられる。

また、寒さと身体の痛みに耐える一週間の始まり。

温まった心を抱きしめて牢に戻る。

主がそばにいたら、あの大声で威嚇してくるドーベルマンも大人しく尻尾を振っている。

主に撫でられるドーベルマンを羨ましく思いながら牢の中に入り、自らの右足に足枷をまく。

主はガチャリと鍵をかけ、ガシャガシャと揺らして施錠を確認すると、こちらに目も向けずに屋敷に戻っていく。

素肌で感じた主の体温を身体が覚えている。

優しい手、瞳。

今、この幸せな気持ちのうちに死にたい。

また明日から殴られる。

蹴られる。

馬で引きずられる。

それはこの二年で段々と酷くなってきたように感じる。

初めてこの屋敷に来た日、

「自分のモノだということを刻印する。」

と言って、あたしの右肩に熱々に温められたらニクスの印を押し付けられた。

その火傷の跡は今でもクッキリと残ってる。

ある時は意識が無くなるまで首を縄で締められたし、またある時はナイフで身体に文字を彫られた。


「わたしはお前を苦しめようと思ってやっていないから、お前は苦しくないはずだ。」


苦しんでいるあたしがきっとおかしいんだと思う。

だけど、どうしても苦しかったから、それなら、神様にあたしを殺してほしいって毎日願ってた。


次の日の朝、いつもより暖かく感じて目が覚める。

あたしが起きたのに気がつくと、犬がいつものようにこっちを威嚇してくる。

主にただ可愛がられているあの犬が憎たらしく思ったりもするけど、ずっとそばにいるのはあの子だから、家族のような想いも強い。

向こうにそんな気は全然なさそうだけど。


その奥では、朝の掃除の時に集めた落ち葉で焚き火をしている、主の使用人達の姿が見えた。

主はお金持ちだから、いっぱいの人達を屋敷で雇っている。

あまり関わった事がないけれど、そのうちの一人だけあたしに隠し持ってきたパンを食べさせてくれたり、たくさんのお話を聞かせてくれたりする。

いつもなら誰かが近づくのにも吠えまくる狂犬も、その女の人にはデレデレでお腹をだしてヨシヨシとなでてもらって嬉しそうにしてる。

その人もあの輪の中にいた。

皆、ただ黙って落ち葉をかき集めている。

今日なんだか暖かく感じたのは焚き火のおかげだなぁ。

落ち葉の焦げた匂いをかぎながら、もうちょっと寝ようかなって考える。

まだ朝の掃除の時間。

お昼にならないとあたしはご飯をもらえない。

する事もないこの家の中では、ほとんどを横になってすごしてる。

起きてるとお腹がすく。

身体の痛みで眠れない日なんて、痛みと空腹で生きてると叫ぶ身体にうんざりする。

寝れるうちに寝ていたい。















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