まるで別世界に迷い込んだような気分だった。

定住しない生活をしていた私にとって、土地に固定された住居というものがまず珍しいのだけれど、それはまだ見たことはある。

ただそれのレベルが違いすぎる。

私達の族は、支柱となる数本の木と寄せ集めの布で作った簡易テントで、あちこちの土地を渡り歩いてきた。元々大草原の中で自然の流れと共に移住するのだから、それで充分事足りた。寒いのも暑いのもそれが当たり前だから耐えるものだと思っていたし、それ以上でもそれ以下でもなかった。

だけどここはなんなのだろう。

どれだけの木々を伐採したのか?と言いたくなるほどの木材に囲まれた住処。

何人で共同生活をしているのか?と聞きたくなるほどの広さで、正面には権力を主張するように大きな部族旗が掲げられている。

そのそばには、何に使うのか?おかしな人の顔をしたようなものや何か動物を模した木像品が立て掛けられている。

あと匂い。

これは何の匂いなのだろう?

黙々と何かが焚かれているようで、鼻が敏感な私にとっては閉じ込められた空間の中では少しめまいがする匂い。

ボーッとしていた頭から、少し夢の世界にやってきたような気分になるけれど、体に走る痛みから、これは現実世界のものだと知らされる。


「ハウ様がお越しになられます。」


ガランガラン


「頭を下げぬか!」


ずっとそばにいた男がまた私を蹴り倒す。

私の仲間の男達は皆、一様に女性には優しかったのに。

ささくれた床の木に顔を削ったが、これくらいかすり傷でもなんでもなかった。


「酷く暴れたようだね。こんな姿にされてしまって。」


朧気な記憶の中、たしかに聞いたあの男の声。

仲間を皆殺しにした憎き敵将の声。

その声が耳に入った瞬間、体中の毛が逆立つような感覚に襲われた。

抑えようのない怒りが溢れ出しそうになる。


フワッと体が何かに包まれた。

頭を揺らすような匂いが一層強くなる。

これはあの男が身にまとう物だ。


吐き気がする。  


私は身を揺らし、掛けられたそれを振り払い、フラフラの足で床を蹴った。

後ろ手を縛られたままじゃバランスもうまくとれず、少しその場から動けただけで、ガツンッとまた強く体を打ちつける。


「落ち着きなさい。何もとって食おうっていう訳じゃないんだから。」


私の目の前に体を降ろした、その男と目があった。


私達の神と同じ色をした碧色の目。


その神々しい色に、沸き上がる怒りの感情と同時に、すべては神の御意志なのかもしれないという考えが頭をよぎる。


神は絶対だ。


「そう、良い子だね。とにかくそんな格好をさせているのは申し訳ないから、私の物しかないのだけれどこれを巻いてくれないか?」


子どもを諭すような話し方。

年齢は大して変わらないように見えるのに。


男は私が振り払った布を拾い上げ、もう一度私の体を包んだ。

何かが胃からあがってくる。体が拒絶反応を起こす。


「大丈夫だよ。ここにはもう君を傷つける者はいないからね。」


散々殴る蹴るしてきた男がそばにいるのに、そんなものに騙される訳がない。

えづき、苦しい頭でもはっきりとそう思った。


「さて、私は大切に扱ってきてくれと頼んだはずだが?」


ピリッとした空気が伝わってくる。

???


「はっ!この女、取り押さえようとした所、数人がかりでも大人しくせず、手足を押さえつけようにも噛みついてきたりするもので…」

「そんな事だれも聞いていないよ?私は客人として大切にもてなすよう命を出したはずだ。私の命が聞けない人間はここには必要ない。」


男の言い訳を遮り、丁寧な言い方ではあるが、少し言葉を強めた言い方で、男を制する。

男の方から冷えたような感覚が読み取れた。


「コア。」


少し離れた場所に立っていた武装している男が返事をして駆けつける。


「後は頼む。」



はっ!と言葉を発したコアと呼ばれた男が、ノシノシと床を軋らせて歩き、私のすぐそばにいた男を引きずり、外に向かって歩き始める。


「ハウ様っ!!も、申し訳、ございませんっ!!ハウ様っ!!」


その男も大概がたいは良い方だったが、さらに体の大きなコアに敵うはずもなく、あっという間に外に放り出されてしまった。

男の顔を見ることはできなかったが、あれだけ偉そうにしていたのに酷く本当に怯えた声だった。


「大変失礼な事をしてしまったね。もう大丈夫だよ。傷はうちの者に手当てをさせよう。さっ、ゆっくり深呼吸をしてみて。」


ハウの周りの空気は一見穏やかになったように感じるが、目の奥にある冷酷さを私は見逃さなかった。

私の仲間…子ども達にまで何の躊躇もせず、手を下す事のできる人間達の長である。

信用などできるものか。

いま目の前にいる。


殺してやりたい。


ハウの瞳が鋭く私を突き刺す。

この男もまた、人のまとう空気に敏感なようで、私の出した殺気をいち早く感知し、制してきたのだ。

心臓がトクンっと冷たくなった。

どんな動物を目の前にしても感じたことがなかった狩られる側の恐怖。 

これがそれか。


「私の名前はハウ。君の名前は?」


ハウはニコッと笑顔を見せる。


「πλδδζμρτъщчссящ。」


その聞き慣れない言葉にハウは一瞬目を丸くしたが、状況をすぐさま理解し、話はできないと判断し立ち上がった。


「そう言えば、よくわからない事をたくさん叫んでいたな。移住生活をしていたか。言語が違っても仕方ない。また1から叩き込めばすむことだ。……。メリアに傷を手当てするように伝えてくれ。」


ハウを案内し、そばについていた老婆がハウに深く一礼し、どこかに姿を消していった。

ハウもまた先ほどコアと呼ばれた男が立っていた方角に歩き出した。

私はどうやら今すぐ殺される訳ではないらしい。




「どうした?ボケっとして。」


ハウ様の声に我に帰る。


「あ、いや、なんか…。」


俺はフーッと息を吐く。

さっきから胸がザワザワするというか、心臓が病になったんじゃないかって思うくらいに鼓動がうるさい。


「よくわからないんだけど、あの女を見てから何か自分が変なんです。」


ハウ様は、ん?と一瞬考えて、ハハハと笑い声をあげた。


「そうか。そうだよね。年頃の女性のあんな姿を見たら、興奮せずにはいられないね。」


まだ、ハウ様はハハハと笑っている。

!?


「ち、ちがいますっ!!決してそういう意味じゃ!!」


顔から火が出そうに熱い。

たしかに女の裸なんて見た事ないけども。

俺だって男だけど。

そうじゃなくて。


ハウ様はポンっと俺の肩に手を触れた。


「イノだけには話ておこうか。あの女性は私の侍女にしようと思う。戦でも何でも常にそばにおいて…」

「戦にまで連れ出すんですかっ!?女ですよ!?」


今まで、ハウ様の話の途中で言葉を遮るなんてしたことない。

でも口から勝手に言葉がでた。


キョトン顔をしたハウ様。

フッと息をもらし、またハハハと笑い始める。

ハウ様もまた、なんだか今日は上機嫌である。


「あの女性がなんだかとても気になるみたいだね。ハハハッ。あの女性は戦の時、いの一番に戦場に現れて、彼女が通り過ぎた後はまるで嵐にあったようだったよ。一体何人の男達が彼女にやられたか…。だから、心配しなくて大丈夫だよ。あの女性は強いから。」


女だてらに戦に出ていたのか。

だからあんなにボロボロだったのだ。

女は守るものだと思ってたから、女ですら戦に出す敵の考えなんて理解できないね。

ハウ様も強いからって戦場に連れていくなんて…。


「まるで戦いの女神のようだなって思ったんだよ。今はああボロボロになってたけど、すごく綺麗な顔立ちをしているし、兵達の指揮もあがると思うんだ。彼女は生きる軍神になる。」


うーん。

やっぱり女が戦場で駆け回っている姿は想像できないな。

そもそも戦場を知らないけど。

ましてやあんな非力そうな…

熱い。

また顔に一気に血が流れ出したように熱くなった。

あの女の顔を思い出しただけで、体がおかしくなる。

いったいどうしたというんだ。

…。

あの女が嵐のような戦いの女神だというのなら、俺もまた何か呪いみたいなものにかけられてしまったのかもしれない。

自分のこの感覚に説明がつかない。

ドクドクと心臓が血液を体中に送り出すのがわかる。


何だかソワソワと落ち着かない状態で、俺はその日仕事部屋の前にただ突っ立っていた。








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