古代の赦し
あれからどれくらいの時間、馬に揺られ続けているんだろう。
うなだれ、ボーッとなる頭で少し考える。
雨の中、突然現れた伏兵に次々に倒されていく味方の姿。
そうだ、今はどこにいても争いの日々だった。
食べ物を求めて、土地を求めて。
体から血と獣の匂いがする。
戦いに負け、身にまとっていた獣の皮をはぎ取られ、今は下半身に布だけ巻かれ、後ろ手に縄で縛られている状態だ。
あちこちが痛い。
抵抗した時に、殴られ蹴られしたからだ。
頭がボーッとするのもそのせいだろう。
私達はこの戦に負けたのだ。
重たい頭を少し持ち上げて辺りを見渡す。
長く列をつくる人の群れの中、知った顔はどこにも見当たらなかった。
自分達からは想像もつかない装具を身につけ歩く敵達。
物資を運ぶ馬が数頭。
一族すべてを連れ歩き、拠点も持たない私達には始めから勝機などなかったのかもしれない。
私が先導した。
私が皆の命を奪った。
ごめんなさい
こんな言葉だけで到底許されることではない。
敵に捕らえられた私は、これから酷い拷問にあうのだろう。
それで少しでも、私の犯した罪が許されるのなら…。
雨の匂いをかいくぐながら、草木が焼かれる匂いが近づいてきた。
馬の足取りが軽くなってきたように感じる。
拠点を目の前にして、ご褒美の時を読み取ったのかもしれない。
自分の命のカウントダウンが始まったような気がした。
そろそろ味方が帰還する頃だろう。
と言っても、国で唯一の部屋の存在する建物内にある主の仕事場警護の身の俺には正直特に関係のない話である。
この国はとても平和なもので、国主であるハウ様の仕事場に悪さしようなんて人間はどこにもいないからだ。
むしろ仕事場警護という仕事を任されてはいるが、俺がこの国では一番信用のない人間だと思う。
隣にいるもう一人警護を任されたこの男は、つねにハウ様の腹違いの弟である俺の事を見張っている。
つまりは
ハウ様の仕事場←俺←隣の奴
という事。
本妻の子であるハウ様と俺の地位は雲泥の差で、ただ父親の粋な計らいでこの役職につかせてもらっている。
俄然迷惑な話だ。
一晩母を買いたかっただけの男が父親だとは思ってなかったし、母と静かに暮らせていたらそれで良かった。
血筋うんたらと権利を主張する気もさらさらなかった。
ただ、あの日母が病気で亡くなって行き場も無くしていた俺に、声をかけてくださったハウ様にはとても感謝している。
ハウ様は俺を心配し、父に住む場所や食事の事についてなど掛け合ってくださったのだ。
父は俺が良くない企みでもしては困ると思ったのだろう。
一番目が届く場所に、ご丁寧に見張りまでつけて俺を住まわせた。
隣のこの男とは四六時中ずっと一緒である。
いったいいつ眠っているのか…寝ている姿すら見た事もないくらい警戒を解かない、仕事のできる男である。
ガランガラン
建物入り口の外にぶら下がっている貝殻で作った鳴り物の音だ。
ハウ様のご帰還の合図である。
バタバタと世話人達が俺達を横切って、すぐ近くにある建物の入り口に向かって走っていく。
俺はここを離れる事は許されていないので、やっぱり関係のない話なのである。
「姿勢を正せ、イノ。ハウ様がお戻りになるぞ!」
俺はダレた背中をピッと伸ばす。
「おかえりなさいませ、ハウ様。」
使用人達が一斉に頭を下げるのが見える。
「ああ。」
鼻にかかる高めの声。ハウ様がご帰還なされた。
少し離れた場所にいる俺達も、ハウ様の声がする方向に向き直り、深々と頭を下げる。
「おかえりなさいませ、あなた。」
パタパタと足音が通り過ぎる。
ハウ様の奥様のメリア様のようだ。
「ただいま、メリア。今日も君に素晴らしいお土産を持って帰ってきたよ。」
「まあ素敵。いったいなんでしょう?」
「見ろ!この美しき碧き宝玉を!君の好きな碧を選んできた。」
「なんて大きな碧の石なのでしょう!それにこんな綺麗な色の石今までに見たことないわ。晴れの海のような碧の中に所々に黒点が混じって…これを私に?」
「ああ、いつも君には戦の度に寂しい思いをさせているからな。」
「嬉しい!あなた、愛してるわ。」
その石がむちゃくちゃ気になるが、主の命もなしに頭を上げる訳にはいかない。
凛とした佇まいでいるが、奴も本当は気になっているはずだ。
そう思いたい。
ハウ様は、傍目から見てもとても奥様のメリア様を大切にされる素敵な殿方である。
戦利品の中から自分が気に入ったものを、必ずメリア様にプレゼントしていた。
妻の喜ぶ顔を見るのが自分の幸せなんだと、いつか聞いた事があって、なんて男の鏡だ!と、自分の中でますます尊敬の念にかられた。
奥様のメリア様もまたとても愛情深い方であり、皆に厄介者扱いされているこんな俺にも
「イノ、あなたはハウ様のたった一人の大切な兄弟なのですから。」
という言葉をかけてくださり、他の家の者達と差別する事なく唯一平等に接してくれる方である。
なんて素敵なご夫婦であるか。
面倒くさい事が大嫌いな俺でも、見張られようが蔑んだ目で見られようが、逃げ出さずここに居続けているのは、お二方にある深い忠誠心があるからだ。
俺は兄であるハウ様と、義理の姉となるメリア様のためならば、命をかけてでも戦えるだろう。
と言っても、こんな平和な国の中で、ましてやただの警護の俺にそんな日が訪れる事はないだろうが。
「イノも見てくれないか?この立派な宝玉を。」
ハウ様の声がして、俺はバッと顔をあげる。
「なんとまた大きくご立派な!」
メリア様の腕に抱かれたそれは、直径20センチほどにはなるゴツゴツとした球体の形をしていて、確かに一度だけ見た事のある美しきあの海の色をした石であった。
メリア様の褐色の肌にまたお似合いだ。
しかし、語彙力のない俺はその美しさを言葉にする事は出来ず、ただただ驚く事しかできなかった。
隣の男はまだ深々と頭を下げたままだ。
「そうだろう。敵の守り神のような存在だったらしい。これがきっと、私がそばにいれない間もメリアの事をしっかりと守ってくれるだろう。」
ハウ様は武人とは思えないほど細く傷一つない手でメリア様の頭をポンポンと撫でた。
味方の兵が負け知らずの強者揃いなので、ハウ様の所にまで敵が攻め込んでくることがないのだろう。
ハウ様は土埃で汚れはしても、傷をつけて帰ってきた事は今までで一度もなかった。
頭を撫でられ、満面の笑みを浮かべたメリア様はさっそく部屋に石を飾くべく自室に戻っていった。
「今日はもう一つ戦利品があるのだ。皆、ビックリするぞ。」
ハウ様は疲れているだろうが上機嫌だった。
あまり機嫌を表立って見せるのは珍しい事なので、よっぽど手に入れた戦利品が価値の高いものなのだろう。
「もうすぐそれは届くだろう。私は着替える。一番の衣を用意してくれ。」
ハッと使用人達は声をあげ、一人はハウ様をメリア様とは別の自室へ案内し、他の二人はたくさんあるハウ様の衣装部屋にハウ様の言う一番の衣とやらを取りに建物を出た。
この国で一番の権力者である人間は、それこそたくさんの衣装持ちなのである。
一般人は普段同じものをずっと着用し続けている。くたびれるまで新調もしない。布は貴重は物資なのである。
ただ兵にはもう少し良い物も支給される。
この国は、いや、この世界だろう、今は全体的に格差社会が当たり前の時代である。
そんな時代に仕事があり(しかも楽)、食べるものも用意してもらえる、俺はなんて幸せ者であろうか。
「さっさと中に入らんか!」
突然大きな声がして、思考から現実に引き戻された。
ドサッと何かが倒れる音がして、俺はすぐさまそちらに槍を構えた。
後ろ手に縛られ、蹴り飛ばされたらしく顔から床に突っ込んだ上半身丸裸の女。胸の膨らみから女だと理解したが、今の時代には珍しく、髪が肩くらいの長さまでしかない。この国の女性は皆、髪の長さがステータスという考え方を持っている。体も傷だらけで暴力を受けた跡があり痛々しい。
格差社会である今、奴隷として連れてこられたのか?
しかし、今までに拠点の軸であるこの建物内に、そんな身分の低い人間を入れた事がなかったため少し不思議に感じた。
「もう少し奥まで歩け!」
兵の怒声と、響く鞭の音。
女は痛みに体を反応させ、ゆっくりと顔をあげこちらを見た。
女と目が合う。
その時の衝撃をなんて言葉に表したらいいのか俺にはわからなかった。
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