41,遅れてきた三人目の男

「……。」


 黒焦げになったアイリス伯はひざをつき、そして地面に倒れた。

 バン爺も極度の疲労と緊張から解放され、その場にへたり込んだ。


「……やったみたいじゃのう。……ん?」

 バン爺がシアンを見ると、シアンが倒れていた。そのかたわらにはマゼンタもいた。

「……もう、これくらいの術式を使うたら限界ということか」

 バン爺は立ち上がり、倒れているシアンの様子を確認する。


「バン爺、その手……。」


 バン爺の左手首の先はピンク色に凍っていた。痛ましい姿だった。


「あ、ああ……。凍っとるから出血はまだみたいじゃのう……。」


 マゼンタは自分の服の一部を破ると、バン爺の二の腕を縛り始めた。


「……助かるわい」


「……これくらいしかできないからね」


 ふたりが話していると、瓦礫がからりと音をたてた。びくりと体を緊張させ、ふたりは音がした方を見る。


「あ、俺ですわ。驚かせてえらいすんません」

 アッシュが手を挙げて立っていた。しかし、ふたりは驚いたままアッシュを見ている。

「……何ですの?」

 アッシュがふり返ると、そこには息を吹き返したアイリス伯がいた。

「うぉお!」


 雷に打たれ体の所々が焼き焦げて出血し、目の一つが潰れて中身が流れ出しているアイリス伯の姿はあまりにも衝撃的で、思わずアッシュは腰をぬかした。


「ま、まだ生きとるやんかっ」


「ぐ……ぐ……あ……。」


「いかん……。」


 バン爺はすでに満身創痍まんしんそうい、シアンもオドを使い果たし倒れている。戦闘の続行は不可能だった。


「ぐおおおおおおおおっ!」


 アイリス伯が雄叫びとよだれと血液をまき散らしながら襲いかかってくる。どれほどの力を残しているのか不明だったが、今のバン爺とシアンならば素手でやられてしまいそうだった。


「やめんかセレストっ、お前さんの子供じゃぞっ?」


 わらにもすがる思いでバン爺はアイリス伯を説得にかかる。しかし、完全に狂乱状態になったアイリス伯には通用しなかった。

 アイリス伯のグローブのような大きな手がふり上げられる。叩かれただけでも体が吹き飛びそうだ。


「くそっ」


 バン爺がアイリス伯の前に立ちはだかった。

 アイリス伯はそんなバン爺の胸ぐらをつかんで投げ飛ばし、壁に叩きつけた。


「ぐぅあ!」


「バン爺!」


 バン爺は気を失い、ずるりと壁に背中をこすらせて倒れた。バン爺を片づけたアイリス伯は、次にマゼンタに手を伸ばす。


「くっそ! こっち来んじゃないわよ!」

 マゼンタはダガーを取り出し、やみくもに振りまわす。アイリス伯はすぐにマゼンタを攻撃せずに、ゆっくりと追い詰めようとする。


「ぐ、が、グルゥエイス、返せ、グルェイスを……。」


「……グレイス? クリスタルのこと?」


「ぐうぅうっ!」


 マゼンタを瓦礫の壁に追いやると、アイリス伯はマゼンタに襲いかかった。マゼンタは思わず目をつむる。

 しかし攻撃は来なかった。マゼンタが目を開けると、そこにはアイリス伯に背後から抱き着くアッシュの姿があった。すでにアッシュは術式を使用し、体が再び大きくなっていた。


「……あんた」


「ここは俺がおさえとくから、マゼンタちゃんはシアンくんたち連れて早ぉ逃げぇや」


「ぐぅあ……あっしゅううぅ」


「そぉるあ!」


 アッシュはアイリス伯を抱え上げ、バックドロップで後方に投げ捨てた。アイリス伯の後頭部が地面に埋まった。


「おっちゃん、そないなボロボロの体で、元気いっぱいの俺とやれますぅ?」


「うがぁ!」


 アイリス伯は猛スピードで立ち上がると、アッシュに体当たりをかました。


「うおおおおおっ!?」


 相撲の取り組みのように押し合うアッシュとアイリス伯、すぐにアッシュがずるずると押し負けて後方に押しやられる。


「……な、なんや、俺ここ最近やられてばっかやん。自信喪失じしんそうしつしてまうわ」

 アッシュが苦笑いをする。


「ぐるるるぉおおお……。」


「正気やないということで……ゴメンやで!」

 アッシュはアイリス伯の顔面に頭突きを入れた。アイリス伯が鼻血を出してのけ反る。


「ぐお!」


「もういっちょ!」

 右ストレートを放つアッシュ。顔面にヒットする、そう見えた瞬間、アイリス伯が大口を開けた。

「な!?」


 アッシュの右の拳がアイリス伯の口の中にすっぽりとおさまった。


「ぎぎぎぎぎっ」

 アッシュの拳を噛み砕こうと牙をたてるアイリス伯。アッシュの拳からは血が流れる。


「いだだだだだ!」

 アッシュはアイリス伯の噛みつきから逃れようと、慌てて手を引っ張るが、牙が肉に食い込んでなかなか抜けない。

「くそったれ!」

 アッシュはアイリス伯の股間を蹴り上げた。


「ごぶっ!?」


 アイリス伯の口の力が弱まり、何とか手を引き離すことに成功したアッシュ。しかし、手の甲の皮がべろりと向けてしまっていた。


「……やってくれましたなぁ」


 アイリス伯は返事をせずに、獣ようにアゴをがきがきと噛み合わせる。


「あんまおっちゃんに触りたないから……!」

 アッシュは右手をアイリス伯に向ける。

「これでどうやっ?」


 アッシュの右手からオドの青白い光球が放たれた。光球はアイリス伯の胸元にぶつかる。だが、光球はアイリス伯の体に吸収されアイリス伯の左手から緑色の光球となって放たれた。アッシュとアイリス伯のオドを合わせた光球がアッシュにおそいかかる。


「そう来るんは……。」

 アッシュは両手を組んで、ハンマーのように両腕をふり回す。

「想定済みや!」

 アッシュは緑色の光球を打ち返した。さらに加速した光球がアイリス伯の胸元にぶつかる。


「おじいちゃんに負けてから、俺もオドの使い方を意識したんや!」


「ぐがぁ!」


 光球が破裂し、アイリス伯がひるんだ。


「ダメ押しや!」


 アッシュは飛びかかり、アイリス伯と正面から殴り合いを始めた。術式で強化された肉体でノーガードでの殴り合いに挑むアッシュだったが、1発喰らって1発殴り返すというペースが、次第に2発殴られて1発殴り返すペースになり、やがて3発喰らって1発殴り返すというペースに落ちていった。


「な、なんでや……おじいちゃんとシアンくん相手にした後やないか……。」


 ついにはアッシュはアイリス伯に一方的に殴られはじめた。


「あ……ぐ……。」

 アッシュが両膝をつく。そんなアッシュの顔を、アイリス伯が両手でつかみ高々と持ち上げた。


「ぐぐぐぐぐっ!」


「あ、あ、やめ……。」


 馬鹿げた力で、アイリス伯はアッシュの頭を圧迫してつぶそうとしていた。アッシュは自分の頭の骨がみしみしと危険な音を立てているのを聞く。


「あ、あかんて、洒落にならんて、おっちゃん……。」


 アッシュが死をさとった瞬間、とつぜんアイリス伯の力が弱まるのを感じた。さらに力を弱めるどころか、アイリス伯はアッシュを投げすてた。


「……な、なんや」

 投げすててられたアッシュは、朦朧もうろうとした意識でアイリス伯を見る。その視線の先にはマゼンタがいた。

「……マゼンタちゃん?」

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