40,三大魔術師最大の決戦

 アイリス伯の絶叫と共に衝撃波が発生し、バン爺とアッシュは吹き飛ばされた。シアンはマゼンタの前に立ちはだかり、衝撃波を背中で受け止めてマゼンタを守った。


「……大丈夫? マゼンタさん」


「あ、ありがとう……。シアンくんこそ……。」


 シアンの衣服の背が破けていた。かろうじて残った前の部分もはらりと落ち、少年の上半身がむき出しになる。


「……シアンくんと結婚するなら、裁縫さいほう覚えても追いつかないね」


 マゼンタは何気ない軽口のつもりだったが、少年はプロポーズされたのかと思い、この状況で慌ててマゼンタから体をはなした。


 ふりむいたシアンは、父の姿の変化に驚愕きょうがくする。

「……父……さん?」


 そこにいるのは、人間どころか理性の通じる生き物に見えなかった。皮膚はうす緑色に変わり、筋肉のつき方はいびつで、目は3つあった。歯ならびの異常に悪い口からは、黄色いよだれが垂れている。


「……やれやれ、人間、追い詰められるとろくなことをせんのう」

 シアンの隣にバン爺が立った。


「……バン爺さん」


「……危なくなったら、おじちゃんは逃げるでぇ。一番かわいいんは自分やからな」

 さらにその隣にはアッシュの姿も。


「……マゼンタやお前さんはここから──」

 バン爺がふり返ると、そこにはもう誰もいなかった。


「がんばってぇ~」

 遠くの物陰から、マゼンタは手をふっていた。


「……うむ」


 アッシュは両手を合わせて術式を展開する。

「ほなっ」

 アッシュの体がふくれ上がり、筋肉の鎧に包まれた。

「いくでぇ!」


 前かがみの地をうようなダッシュでアイリス伯に挑むアッシュ。


「ぐべぇっ」


 アッシュはアイリス伯の剛腕からくり出された裏拳で吹き飛ばされた。

 回転して飛んでいったアッシュは瓦礫の上をバウンドしながら転がり、壁にぶつかって動かなくなった。


「え、もうひとりやられちゃったの!?」

 マゼンタが絶叫する。


「ひとりずつ行ってはならんっ。シアン、一緒に行くぞっ」


「分かった!」


 シアンが両手を前に出し術式の準備を、バン爺は目の前でいんを組んで術式を開始する。

 シアンが術式で風を起こす。アイリス伯の体を四方から風が取りかこんだ。

 バン爺の術式でアイリス伯の足元に雑草が伸び、その草のくきがアイリス伯を拘束した。


「ちぃと痛いぞっ」


 アイリス伯の体を風が作り出した空気の刃、鎌鼬かまいたちが切り裂いた。アイリス伯の皮膚から鮮血が飛び散る。

 バン爺はそのあいだ地面に手をそえ、さらに大地のマナのコントロールを試みる。


「がぅあああああっ!」


 アイリス伯がオドの力で強引にまとっていた風を吹き飛ばした。さらに、アイリス伯の足に絡んでいた草も枯れ始める。


「なんと、あやつ、土の術式も使いよるのかっ?」


 変身したシアンが複数の術式を使っていたので、予想できないことではなかった。しかし、同じ術式を自分より強大なオドで使用されることまではバン爺も考えていなかった。

 アイリス伯が足を上げると、枯草はむなしく千切ちぎれてしまった。その上げた足をドスンと落とすと、今度はバン爺たちの周囲に長いツタが生え、そしてツタはふたりを襲いはじめた。


「ぬぅっ」

 バン爺は押し返すように、ツタの成長を自分の術式の力で抑える。


 シアンは伸びてきたツタを風の刃で切り裂くが、量が追いつかない。

「う、うわぁあ!」


「い、いかん、シアン!」


 バン爺が懸念けねんしていたことだった。体内のクリスタルの力を失ったシアンは、ほんの少し優秀な12歳の少年ていどだという事を。

 バン爺はシアンへの攻撃をおさえるため、アイリス伯に石を投げつけた。

 老人の力で投げられる石は心もとない威力だったが、石は空中で速度を上げ、アイリス伯の側頭部にぶつかった。磁力で石の速度を加速させたのだった。


「ぐぅあ!?」


 アイリス伯がひるんだことにより、シアンに襲いかかっていたツタの動きが止まった。


「シアン、難しいことは考えんでええっ。ワシと同じことを風の術式でやるんじゃっ」


「わかったよ!」


 バン爺は磁力をあやつり、瓦礫をアイリス伯にぶつけはじめた。四方から飛びかかってくるイシツブテに、アイリス伯は困惑する。


「ぐ、ぐおおおおお……。」


 さらに、シアンも風を使いアイリス伯に瓦礫をぶつける。


「……見た目は同じじゃが、風と土の術式での攻撃じゃ。いくら複数の術式を使えるといっても、同時に使いこなせはせんじゃろう?」


 バン爺の言うように、アイリス伯はイシツブテに防戦一方だった。魔術というものは術式を理解をしなければ反撃ができない。ただでさえ理性を失ったアイリス伯は、反撃に転じることができなかった。


「……シアンや、道中でワシに見せた術式、使えるかのう?」


「やってみる!」


 シアンは両手を空にかざした。空の雲が少しづつ集まり、雷雲を形成し始める。


──ちぃと時間がかかりそうじゃな


「……時間稼ぎするぞい」

 バン爺は肩をならしながらアイリス伯の方へ向かった。


「バン爺さんっ」

 ひとりでアイリス伯に向かうバン爺にシアンが驚く。


「集中せぇ」

 そう言うや否や、バン爺がアイリス伯の方へ飛んでいった。


「……ぐぉっ?」

 イシツブテに気を取られているアイリス伯の目の前にバン爺が現れた。そして加速した状態での右の拳での一発、アイリス伯の首が曲がった。石化した拳での一撃だった。


「ぐるぁ!」

 アイリス伯は裏拳を放つ。しかし裏拳は当たらない。いくらアイリス伯が腕をふり回しても、ふわりふわりとバン爺は予備動作もなく攻撃を避けていく。バン爺はお互いの体を磁石にし、アイリス伯が近づくと反発しあうように仕向けていた。

 そして隙を見つけると、今度は磁石を引き合わせ飛び込んでアイリス伯の顔に打撃を加えていく。地面を滑走かっそうしながら、バン爺は一方的にアイリス伯を殴り続けた。


「や、やるぅ……。」

 物陰で見ていたマゼンタがつぶやいた。


 しかし、見た目ほど有利ではなかった。バン爺は殴りながらも、自分の攻撃がほとんどアイリス伯に効いていないことを実感していた。加えて、石化しているはずなのに、少しづつバン爺の拳は悲鳴を上げ始めていた。

 アイリス伯は肉弾戦をあきらめたらしく、瞳を緑色に光らせた。


「……むぅ?」

 バン爺の動きが止まった。


「ふぼぁ!」

 アイリス伯は口から光球を吐き出し、バン爺にぶつけた。

 バン爺の胸部に直撃する光球、バン爺は体をくねらせオドの流れを制御し、光球を自分の拳の先に移動させた。

「返すぞいっ」

 青白く光る拳をアイリス伯の腹部にぶつける。

 すると、アイリス伯も体をくねらせオドの流れを制御した。

「なんじゃとっ?」

 アイリス伯の右の拳が緑色に光り、バン爺に殴りかかった。

 バン爺は前かがみになりその拳を避け、腕をふり切ったアイリス伯の腕のつけ根に自分の腕をひっかけた。そしてバン爺が勢いをつけて腕をふり抜くと、アイリス伯は肩の関節をめられながら後方に投げられた。

 さらにバン爺は倒れたアイリス伯の右の手首をにぎり、肩の関節に手を置いて動きを封じる。


「少し大人しくせぇ」


「う……ぐ……。」


 魔術師同士の戦いでなければ、完全に動きを制した状態だった。しかし、バン爺は体を押さえながらアイリス伯のオドの流れの変化に気づいた。


──この状態から術式を?


「……なっ?」


 バン爺はアイリス伯の手首をにぎっている左手の異変を感じて、慌ててアイリス伯から手を離した。

 だが遅かった。


「な、なんちゅうことじゃ……。」

 バン爺の左の手首から先が凍っていた。 

「おんしゃあ、水の術式まで……?」


「ぐ、ぐるるるる……。」

 アイリス伯は立ち上がりながら笑っていた。理性を失ったバケモノだったが、笑うことはできるらしい。

「ゆ、夢を持たなぁいやつの体にはぁもるぉいなぁ……信念が足りなぁいかるぁ」

 アイリス伯は奇妙な呂律ろれつで話す。


「凍ったら信念もくそもあるかいな」


 再びバン爺に襲いかかるアイリス伯。先ほどと同じく、体を磁石にして攻撃から逃げ続けるバン爺だったが、すでに術式をアイリス伯にみやぶられ対応されはじめていた。攻撃は次第に当たりつつあった。

 異形の怪物の拳は老人の体をとらえ、これまでの戦いで器用に攻撃を流し続けていたバン爺の体がボロボロになっていく。片目はふさがり、鼻からは血を流し、痛みをかばうように片足を引きずる。それは一級魔術師の姿ではなく、痛々しい老人のそれだった。

 物陰から見ていたマゼンタは、そんなバン爺の姿を見ていられずに顔を背けていた。


「ぐぁあ!」

 攻撃の当たったバン爺の左手が砕け散った。グロテスクな赤い氷の破片が飛び散り、バン爺は左手首を押さえうずくまる。


「バン爺さん!」

 術式の準備をしていたシアンがうろたえて叫んだ。思わず術式を解除しかける。


「集中せんかっ」


「もういけるよ!」


「よし!」


「私の夢は永遠に終わるぁない!」

 叫ぶアイリス伯。


「じゃったら永遠に夢見せたるわい!」


 バン爺は磁力で地面をすべりながらアイリス伯から距離を取った。

 アイリス伯は追いかけようとするが、バン爺が地面を磁石にしてその場にとどめる。


「今じゃシアン!」


「はい!」


「ぐるぉ?」


 アイリス伯の周りが白く光る。アイリス伯が空を見上げると、その脳天に雷が落ちた。

 閃光と轟音と衝撃、バン爺とシアンは思わず顔をそむける。

 落雷の中心となったアイリス伯の周りには、花火のように火の粉が舞い散っていた。

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