1,天才少年

──5日前・ダンデリオンはく直轄領ちょっかつりょうにて


「信じられませんな……あれが12歳の少年ですか?」


 その日、アカデミアの魔術師の間では騒ぎが起きていた。検定試験けんていしけんにて、天才少年が現れたということだった。

 現在行われている等級魔術師とうきゅうまじゅつしの1次検定試験は、ただの試験ではなかった。王立アカデミア主催しゅさいによる、国中の魔術師を集めて行われる5年に一度の試験、権威けんい規模きぼも他で行われているものとは比べ物にはならない。ここで選抜された魔術師は7級から3級の称号を与えられ、特に4級以上になると王都直属の魔術師として王宮入りする。毎年何百人も受験するが、初めての試験で4級以上の称号を与えられる魔術師が現れるのは非常にまれだ。ところが今回、初受験で3級入り確実と言われる魔術師が現れたのだ。しかもまだ子供だという。


「もっと信じられんのが、それがアイリスはくの子息という話だ」


「なんと? ……あの?」


「そう、だ」


 ダンデリオンの城下町、人のにぎわう商店街でふたりの初老の魔術師は意味深な会話をしていた。ふたりは試験の審査ために他の領地から来ていた、ベテランの魔術師だった。


「……噂をすれば」

 魔術師のひとりが言った。彼らの視線の先には、噂の少年を連れたアイリス伯が歩いてきていた。


「……これはこれは諸先輩方しょせんぱいがた、お久しぶりです」

 自信に満ちた声でアイリス伯は言った。50代前半、長身だがやせ型で紺色の長髪と眠たげな、しかし怪しい眼光の瞳が特徴的な男だった。全身から出ている雰囲気は、巣穴で獲物を待つ蛇を思わせる。

 そのアイリス伯の隣の少年は、12歳という話だったがそれよりも幼く見えた。体も弱そうだった。透き通るような真白い肌に薄い水色の長髪、まつ毛の長いアイスブルーの瞳、一見すると少女にも見える美少年だった。気が弱そうな印象があるが、それがかえって怪しい色気にも見える。

 ふたりの老魔術師は、少年の感情に乏しい瞳をみて不思議な感覚におちいった。庇護欲ひごよくと同時に、劣情にも近い危うげな感情があった。


 はっと我にかえった老魔術師が言う。

「お、おお、アイリス伯、お久しぶりですなぁ。何年ぶりでしたかな?」


「そうですな、王都から追い出されてからというもの、こちらの方には足を運んでませんので……。」


 ふたりの魔術師はぎょっとした顔をする。


「まぁ、かれこれ30年ほどになりますかな」

 アイリス伯は皮肉めいた笑いを浮かべて言った。


「ほぉ、おお、もうそんなになりますか」

 老魔術師のひたいからはうっすらと汗が流れていた。


「伯が王都を去ってから、ここもずいぶんと静かになりましたよ」

 もうひとりの魔術師は、アイリス伯に負けじと皮肉めいた笑いを浮かべて言った。


 三人の大人たちは、嘘くさい笑顔を浮かべて向かい合っていた。少年は力のない瞳でそんな大人たちを見ていた。


 話を変えようと、魔術師のひとりが口を開いた。

「……聞いた所によると、とても優秀なご子息らしいですな」


「ええ……。」

 アイリス伯は少年を見てほほ笑む。

「試験官のアカデミアの会員も言っておりましたよ、今まで見たどの魔術師よりもポテンシャルがあると。参りましたね、まだ一次試験だというのにここまで評価されても」

 謙遜けんそんするものの、アイリス伯の口調は傲慢ごうまんだった。


「いえいえ、私も遠くから見ておりましたが、簡単な術式じゅつしきひとつにしても、頭一つどころか二つは飛びぬけていますよ」


 アイリス伯は「恐れ多い」と、うれしそうに首を振る。

「この子は私の悲願です。きっと、2級魔術師はもちろん、やがて1級魔術師にもなってくれるでしょう」


「ほ、ほほ、大きく出ましたなぁ……。」


 アイリス伯の口から出た1級魔術師の宣言、おいそれと口にできるものではなかった。それはただの優秀な魔術師を目指すということではない。この国の政治に関わるということを暗にほのめかしているのだ。


 老齢の魔術師がシアンに言う。

「やはり、君の目標も1級魔術師なのかね?」


「はい。1級にもきっとなれると思っています」

 少年は父が恥をかかぬよう、はきはきと答えた。


「……ほほぅ」


「では、我々は次の試験に備えなければなりませんので、これで……。」


 そうして、アイリス伯は息子を連れて去って行った。

 アイリス伯が去った後、魔術師たちは「相変わらず傲慢ごうまんな男だ、まるでりておらん」と口々に言いあった。

 一方のアイリス伯は満足げだった。彼らに一矢いっしむくいたように思っていた。そんな父親の顔を、少年は恐る恐る見ていた。


「……そうだシアン、今日の試験の褒美ほうびに何か買ってやろう」


「……え?」


「何でも良いぞ」


 上機嫌の父親の言葉にシアンは戸惑った。買ってほしいものはいくらでもある。たとえば、パン屋で売られているブリオッシュに、露店ろてんに並んでいる木彫りのドラゴンなど。しかし、何でも良いと言っておきながら、うかつなものを欲しいと言うと父が不機嫌になることを少年は知っていた。


「……そんなものが欲しいのか?」

 息子の視線の先にある木彫りのドラゴンに気づいたアイリス伯が言った。“そんなもの”の後には、「そんな子供みたいなもの」が続きそうだった。


「えっと、あの。……違います」


「なんだ? じゃあ何が欲しい?」


「だ、大丈夫……です」


「なんだ、何もいらんのか?」


「は……はい……。」


 これが一番、子供にとって間違いのない答えだった。こう答えておけば、父が少し機嫌が悪くなるだけで済む。


「……つまらん奴だ」


 正解ではないが、不正解でもない。少年にとって不正解をだしてしまうことが一番の問題だった。大事なのは、父に好かれることではないのだから。



 その後、ふたりは宿の食堂で夕食をとった。皿のシチューの中には少年の嫌いなアスパラガスが入っていた。がんばれば食べられなくもないが、そのシチューのアスパラガスは大きめに切ってあるので、ことさら少年には食べづらかった。

 アスパラガスに戸惑っているシアンを見ると、アイリス伯は自分の皿に入っているアスパラガスをすべて息子の皿に入れた。


「……あ」


「……食べ終わるまで、ここから動くな」


 シアンはしばらく皿を見ていたが、覚悟を決めてアスパラガスを口に運んだ。食べづらい大きさのアスパラガスをゴリゴリと咀嚼そしゃくする。数回噛んだアスパラガスをごくりと飲み込んで、シアンは父親を見た。父親は腕を組んでこちらをにらみつけていた。

 シアンは涙を浮かべながらアスパラガスを食べ続けた。



 シアンが何とかすべて食べ終えた後、ふたりは借りていた宿屋の部屋に行った。


「シアン、明日は個別試験だ。試験官からは今日よりも注目される。明日はこれを着ていきなさい」

 部屋に入るなり、アイリス伯は鞄からローブを取り出した。

「これは私がお前くらいの頃に着ていたローブだ。きっとお前に力を与えてくれる」


 古びたローブだった。昔は立派な代物しろものだったのかもしれないが、今ではほつれ・・・が目立ち、白い布地は黄ばみ、どうにもみすぼらしかった。


「……え?」


「ほら」


 ローブを手渡され困惑するシアン。断ろうとしたものの、笑顔の父の瞳に高圧的な力を感じ、しぶしぶとローブに袖を通した。

 長い間クローゼットに眠っていたそのローブを、父は外に出してから干すことも洗うこともしなかったのだろう。古い布地は少年の弱い肌を刺激した。むずがゆくなったシアンは体をもぞもぞと動かす。


「……どうだ、シアン? 明日は父と一緒に試験を受けるのだぞ。ともに栄光をつかむのだ」


「……えっと、これ」


 アイリス伯はほほ笑むが、シアンは着心地の異常な悪さに父に気づいてほしかった。その素振りとして袖のほつれを見てみた。


「いったい何が気に食わんのだッ!?」

 機嫌が180度変わり、とつぜん父は怒声を上げた。少年の体がぴくりと硬直する。隣の部屋の客もびっくりしたらしく、薄い壁の向こうからから物が落ちる音がした。

「うじうじしおって! 言いたいことがあったらはっきり言え!」


「そ、袖がほつれています……」


 自分の善意を受け取ってくれない息子にアイリス伯は気分を害する。

「だったらい直せばいいだろうっ!」


「え、今から……ですか?」


「そうだ!」


「でも……針も糸も……。」


「何だ!? 持ってきていないのか!? 信じられん奴だ、準備をおこたるとは! このまぬけめっ!」


「だって……。」


 魔術師の検定試験に、針と糸が必要だと思うはずもなかった。


の奴が用意させてなかったのか!?」

 父は継母の名を口にした。父の怒りが彼女にも飛び火しそうになっていた。


「ち、ちがいます。は用意してくれたけれど……ぼくが……」

 少年のとっさに嘘をついた。


「ならば自業自得じごうじどくだ、明日はそのままそれを着ていくようにっ! いいなっ?」


「……はい」


「大体なんだ、昼のお前のあの態度は!」


「……え?」


「きっと1級になれるだと!? それはお前が決めることじゃないだろう! おだてられるとすぐに調子に乗りおって! おかげで恥をかいたぞ!」


「あ、あれは……。」


「なんだ!? 何が言いたい! 奴らが試験官だった場合、お前の心証が悪ければ面接で落ちることだってあるんだ! 私のこれまでの努力を無駄にして、その責任がお前に取れるのか!?」


「……す、すみませんでした」


「まったく、一向に成長せん奴だ!」


 その後、シアンは寝る準備を始めたが、父は「少し出てくる」と言って城下町にくり出していった。


(また間違えてしまった……。)


 シアンはふと、部屋の窓から外を見た。目の前には暗闇ばかりの見知らぬ街、その時少年は、自分の目の前に思いもしなかった選択肢が現れたことを知った。



「……帰ったぞ」


 それから2時間後、酒の臭いを体中からただよわせてアイリス伯が部屋に帰ってきた。部屋はあかりが消され暗かった。アイリス伯はベッドの上でシーツに丸まった息子を見る。


「……さすがに寝ているか」


 アイリス伯はベッドに腰かけると、びんの酒をグビリと飲んだ。

 体をベッドに放り投げ、自分も眠りにつこうとしたとき、アイリス伯の両目がぱちりと開いた。

 何か違和感を感じた。上半身を起き上がらせ、息子が寝ているベッドを改めて見るアイリス伯。そこに生物の気配を感じなかった。

 アイリス伯はベッドから出ると、息子が寝ているはずのベッドのシーツをめくった。


「なっ!?」


 そこに息子の姿はなかった。荷物を丸め、あたかも誰かが寝ているように偽装されていた。

 アイリス伯は部屋を見わたす。しかし、せまい部屋に他に隠れるところなどなかった。


「あ、あ……ああああああっ!」

 アイリス伯は狂ったような奇声を上げた。

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