ノルということ
右足でキック――溜めてから大股で一歩前へ――両手を振りながらサイドステップ――左に跳ねて、そちらに拳を向けた。次いで、逆向きに同じ動きを入れた。
駄目だ。
だんだん、苦しくなってきた。
また、音が聞き取りにくくなってきた。
また、利華さんに一人で踊ってもらわなくてはならなくなる。
何だか、ひどく自分が情けなくなってきた。
そこで、「新太ぁ~!」という声が聞こえてきた。
プチの声だ。とはいえ、そんなのに構ってはいられない。
「新太ぁ~!」プチの声がまた聞こえてきた。
――僕は不思議な心地になってきた。
プチの声が聞こえる度に何だか、頭の中がはっきりとしてきたのだ。
「新太ぁ~!」振りが自然と出てくる。
練習の時と同じように、焦らなくても、考えなくても、おびえなくても、どんどんと、先に進んでいく。
なんでだろう?
ここは、舞台の上なのに。
あれだけ恐れた場所なのに。
練習と同じ心地で踊れる。
無礼キング軍団を前にして踊ることにすっかり慣れた時と、彼らの事を気にせずに踊れるようになった頃と、同じ気分で出来るようになった。
僕はようやく理解した。
プチらの声が、緊張で真っ白になりそうな意識を止めてくれていることに。
左右の踵を前へ順につく。
「新太ぁ~!」
とプチやほかの無礼キング軍団の声が聞こえてきた。
右足を左足にクロスさせ、勢いよくターンをする。
大丈夫、ぶれない。
バランスを崩さない。
練習通り出来る。
その時、最前列で舞台にしがみ付く、プチの顔がちらりと見えた。
必死に僕の名を叫んでいた。
まるで、自分が苦しんでいるように。
まるで、自分が戦っているように。
余裕など無い表情で力一杯声を張り上げていた。
彼らは知っていたのかもしれない。
緊張など、全然したことがなさそうな、プチら無礼キング軍団。
でも、知っていたから――なにが起こるか分かっていたから――だから、練習の時にあんなにしつこく僕の名前を連呼していたのかもしれない。
絶望的な状況から抜け出すための標になるように。
『勘違いしてるかもしれないけどさあ。
みんな舞台で踊る前は怖いんだよ』
という利華さんの声が頭に響いた。
目頭から何かがこぼれそうになり、それがやけに痛かった。
僕の名前を呼ぶ声がだんだん大きくなっていく。
利華さんのものより大きいぐらいだ。
ちらちら見える顔はストリートダンス部のメンバーだった。
僕が何かをやる度に――僕が何かが出来る度に――その声は次第に大きくなっていった。
胸が熱い。
一つ一つの動きがみんなの力で押し出されるように、大きく強くなっていくのが分かる。
なんだろうこれは。
楽しい。
踊るのが楽しい。
あんなに苦しかったのに――音にノれる。
声援の波と曲に身をゆだね、僕は確かに『踊れて』いた。
凄い! 凄い! 楽しい! 楽しい!
曲の歌詞も分かるぐらい余裕がでてきた。
しゃがれた声のラッパーが叫ぶ。
『おめぇ、踊り通し、俺の、思い通り。
抗えるわけねぇ、マジでぜってえぇ』
はじめ聞いたときは、部分的にしか耳に入らなかった。
なので、とんでもない歌だと勘違いしていた。
だけど、はじめから聞いてるうちに、そうじゃないことに気づいた。
ラッパーはもっとノれよ。
もっと、はしゃげよと語っていた。
本当の意味が分かっても、全然、踊れなかった僕だった。
でも、今なら。
でも、今であれば。
完全にゆだねることは出来なくても、リズムをノリに変えてハシャぐことぐらいは出来る。
そんな気分になっていた。
「新太ぁ~!」聞こえる声に、僕はダンスを大きくすることで答える。
それが、さらに勢いを増して、”ノリ”に変わっていくのを感じた。
振りが中断する空白の時間、二人して観客を煽る。
僕なんかも、さっきまでのテンションそのままで、手を大きく振り上げながら盛り上がるようにアピールをした。
明らかな、キャラ崩壊。
でも、今はそんなことどうでもいい。
腹の底から抑えきれない力が沸き上がってくる。
そして、改めて観客を眺めた。
テンションが振り切った状態でも、やっぱり怖かった。
でも、それでも、僕は固まることなく、立っていられる。
まだまだ、ここにいられる。
舞台のすぐ下に、真理子さんを発見した。優しく、こちらをほほえんでいる。
MCをやっている以外はどこにいるのか疑問に思っていたが、一番前でみんなのダンスを見ていたのか。
当然のように、ガタイのいい男子部員が護衛として周りを取り囲んでいた。
あ、その中に義也さんや武雄さんを発見した。
武雄さんが楽しそうに、手を振ってきた。
その隣には、あきれた感じの笑みを浮かべる亜矢がいた。
すぐ近くには、見学会の時にヘタレた女の子が、その他の女子らと、「利華さぁん! 新太ぁ!」と、笑顔で手を振っていた。
近くには、浩一君や他のみんなも楽しそうに色々大声を上げていた。
あの時との違いはこれなのかと、僕は思った。
あの時との違いは、この大勢の仲間の存在なのだと。
苦しいときに、僕を救ってくれた仲間の存在の差なのだと、声を大にして言いたかった。
でも、僕はすぐに否定した。
そうじゃないと。
あの時だって、仲間はいたはずだ。少なくとも、幼なじみの女の子がいた。
だけど……。
僕は、自分のことばかりだった。
人なんかに任せてられないとか。
自分が成功させるとか。
自分で何とかしなくてはとか。
一人で粋がって。一人で自爆したんだ。
もし、僕があの時、誰かに頼りきるまではいかないにしても、一緒に成功させようとしていれば、あんな結末にはけしてならなかったはずだ。
今みたいに、多くの仲間と……。
利華さんも満足げに観客を煽っている。
テレビ塔の時とは格好も、やってる動きも、全然違う。
だけど、僕が会いたかったのは、本当に会いたかったのはアイレンを演じている利華さんと言う訳ではない。
そうではない。
ああやって、キラキラ輝いている利華さんに、会いたくて。
本当に会いたくて。
それが、ようやくかなった。
こんなにうれしいことはない。
さらに曲調が替わる。
ハイテンポなブレイクビーツだ。
それに合わせて、利華さんが僕に向かって回し蹴りを放った。
無論、決まり事なので、それをかわす。
僕もぎこちなく腕や足を振り回し、応戦する。
それを、利華さんは体を返してそれをかわす。
何度か繰返すうちに、それは、ダンスに変わる。
ジャンルはブレイキン、義也さんが見せてくれた相手を威圧する動きだ。
それを、二人で向き合いながら繰り返す。
利華さんが――恐らくわざとだろう――練習の時より大げさに動いた。
いたずらっぽく笑いながら――楽しそうに笑いながら。
僕もつられて動きが大きくなる。
負けてなるものかと笑いながら。
利華さんは逆立ちキックを僕の鼻先に繰り出した。
僕はへたくそな側転を、勢いに任せてやらかした。
気の置けない仲間とプロレスごっこをしている気分だ。
いや、同じなんだろう。
根本的には。
見せ合い、競い合い、そして、相手を尊重する。
それが、ダンスバトルだと義也さんに説明して貰った。
ダンスは当然へたくそで、まだまだ、なにもわからないに等しいけど。
それでも、ここで感じていることは、きっと、間違ってない。
僕は自信を持っていえる。
そう、言ってしまえる気分になっていた。
利華さんは一歩下がった。
そして、悪そうな笑みを顔に浮かべる。
僕の頭の中で、「受けてみなさい!」という少女の声が流れた。
アイレン少女隊の、あの利華さんの声でだ。
利華さんは駆け寄ってくる。
イメージと現実とがぴったり噛み合った。
テレビ塔で見た利華さんは素敵だった。
キラキラ輝いて、自信満々で、僕に勇気をくれる存在だった。
あこがれを抱く存在だった。
でも、実際にあった利華さんは――等身大の利華さんは――駄目なところがたくさんある人で、ろくでもない所が沢山ある人で、それでも、ダンサーとして、仲間として、ぼくはこの先輩を本当に尊敬している。
「アイ・レェェェン、キィィィク!」
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