踏み出したからこそ見える景色

 実沙さんのチームが戻ってくる。


 それを、僕らは舞台袖のすぐ脇で出迎えた。

 踊りきり、ほっとした顔の一年生が僕の横を通り過ぎていく。

 実沙さんが心配そうに僕に声をかけてきた。が、声援がうるさすぎてよく聞き取れなかった。


 いや、うるさいと言うより……。


 背中に衝撃が走り、僕は思わずのけぞった。

 もう、誰が犯人かなど、いちいち言うまい。振り向くと、「行くぞ!」と利華さんが笑顔でガッツポーズを取った。

 気合いが入っているのは良いことですが、叩かなくてもいいじゃないですか?


「新太ぁ」と実沙さんの声が聞こえたので、向きなおした。


 ひょっとしたら、叩かれてばかりの僕を労ってくれるのかな? と思ったが、そうではなかった。

 実沙さんは優しく微笑みながら、「大丈夫、新太ならやれるよぉ!」と言ってくれた。


 うん、僕にとってはこっちの方が良い。


 こっちの方が今は欲しい。


 利華さんの立ち位置は奥なので、僕を追い抜く形で進んでいった。僕もその後に続く。


 舞台は下から見上げて感じるより広い。

 本当に怖いほど。

 本当に恐ろしいほど。


 今は舞台だけでなく、体育館全体の照明が落とされているから、なおさら思うのかもしれない。暗くて、どこか不安定で、闇に転がり落ちてしまうのではという恐怖心がチラチラと湧いてくる。

 また、位置関係が掴みにくい。

 一応、印になるものは聞いていた。

 だから、そこにいれば大丈夫のはずだ。


 それでも、どうしようもなく不安になる。


 先ほど、実沙さんに声をかけられた時――声援がうるさいと感じたのは気のせいだったようだ。時々、先走ったファンが利華さんの名前を叫んだりしているが、それ以外は静まっている。

 じゃあ、何でさっきは実沙さんの声が聞き取りにくかったのだろうか?

 少し気になった。


「さあ、さあ、さあ」と真理子さんが観客を煽るように言葉を重ねる。


「いよいよ、新入部員チームも残り一チームになりました!

 張り切っていってもらいましょう。

 利華&新太ぁぁぁ~」


 地鳴りが起きたかのような悲鳴混じりの声援が、体育館中にあふれた。

 もちろん、利華さんへのものだ。

 照明が付き、僕らの回りをカッと照らす。明るいのが舞台上だけなので、ひときわ強い光量に感じられた。


 軽運動室とはまるで違う。


 全くの異次元だ。


 甘かった。

 僕は甘く見すぎていた。

 床が平行じゃない?

 僕ってまっすぐ向けてない?

 とか、パニックを起こしそうになった。


 息苦しくなり、口をぱくぱくさせた。


 掛け値なしに僕は戦慄していた。

 無理だ。

 どう考えても無理だ。

 曲が流れ始めた。

 あれ? この曲こんなんだっけ?

 足がどこかフワフワした感じだ。

 ポーズを取らなくては、と考えると同時に、一応、体は動いてくれた。

 キックと同時に前に出る。


 とりあえず――行けた。


 力が入らない。

 体の芯が曖昧というか。

 変な感じがする。

 もう何もない。

 うまくやろうとか、勝負に勝とうとか、そんなのはどうでも良かった。


 失敗したくない。


 そればっかりだった。


 ダウンと同時に上半身を回す。

 左足を右前に出す。

 僕は利華さんの動きを目の端で追いながら、とにかく動いた。

 踊るじゃなくて、動いた。

 ただただ、手足を動かしていた。

 その時だ――そのことに、僕は気づいた。


 音が聞こえない。

 全く聞こえない。


 なんだこれ?

 夢の中にいるみたいだ。

 音の出ないテレビを見ているようだった。

 本当に止まった訳じゃないことは、分かる。

 利華さんは何事もなく踊っているし、観客もそんな反応していなかった。

 僕だけが、音楽を聞き取れなくなっていた。

 文化発表会の光景が、脳裏をよぎる。

 背筋を冷たいものが駆け抜けた

 そうだ。あの時と同じだ。

 棒立ちになる前に、僕は幼なじみの女の子の台詞が聞き取れなくなったんだ。

 何も聞こえなくなって――だから焦って。

 そして、演じることが出来なくなったんだ。


「あ」僕は声を上げた。利華さんも驚いた顔で、こちらを見ている。


 僕は間違えたんだ。

 そして、何とか動いていた体も完全に停止した。

 振りはもう、頭から飛んでいった。

 僕はもう、戻れない……。



 利華さんも動きを止めた。


 僕はただ、呆然と先輩を見るだけだった。


 すると、利華さんはアメリカ人がするような大きなジェスチャーで肩を竦めた。

 そして、僕の胸を両手で押す。

 と、同時に流れるように観客の手前までステップで迫り、前に駆け上がるようなバク転をした。


 利華さんファンらしき女子の甲高い悲鳴が響く。


 曲のテンポもちょうど盛り上がり始め、予定のない利華さんのソロが始まった。


 僕はポケーっとしながら、それを見ていた。


 利華さんは見学会の時に見せたダンスを踊っていた。

 確か、ハウスという名前だ。

 曲のリズムをまるで踏むようなステップと、派手な技を多用していて、元々のファンだけではないだろう、低い驚嘆の声がわき上がる。

 利華さんはとても楽しそうに踊っていた。

 駄目な後輩が、ショーを台無しにしたことなんてなかったかのように。

 武雄さんや亜矢との勝負など忘れてしまったかのように。

 溢れんばかりの笑顔で踊っていた。

 観客もそれに引っ張られるようにテンションが高鳴るのを感じた。

 その時、僕の脳裏に、冬の名古屋テレビ塔で見た情景が流れ始めた。


 アイレン少女隊の戦闘服を着た少女が縦横無尽に走り回っている。


 楽しげな、時に必死な、時に優しい表情を浮かべた――あの利華さんだった。 


 やっぱり、この人は凄い。


「…た!」僕はつくづく思った。

「…んた!」今の一瞬だけでも、この学校に来て良かったと……。


 ん?


「新太!」

 呼ばれた気がしたので、僕は振り返った。

 実沙さんと美希音さんが必死の形相で僕を呼んでいた。

 そして、利華さんの方を指さして何やら怒鳴った。

 曲や歓声でよく聞こえなかった。

 だが、どうやら、「準備!」と言っているようだった。


 準備……?


 え、今から、踊れっていうの?

 そもそも、僕は今、曲が聞こえない状態でして……。


 そこで、はたと気づいた。


 いつの間にか普通に曲が聞こえている。

 利華さんの踊りに見とれていて、がっちり絡み着いていた緊張がほどけたようだ。

 とはいえ、しかし……。

 どうすれば途中から振りに入れるのか?

 練習の時、振りを途中から行なう事はあった。

 が、それはこんな状態を見越していたわけではなく、馴れていなかったり、難しかったりする箇所を重点的に踊り込むという意図があってのことだ。

 それに、始まる時の立ち位置を指示して貰い、合図とともに踊り始めるのだ。


 こんな状況とは訳が違う。


 利華さんがチラリとこちらを見た。


 すると、軽やかなステップが徐々に少なくなり、ダウンとボディーコントロールをメインに音を拾う――ヒップホップダンスに切り替わった。


 しかもスムーズに。


 当然、巧い。


 でも、先ほどまでの派手なものから、どちらかというと地味な動きになった。

 何故だろうか?

 利華さんのヒップホップのソロは練習中に何度か見たことがあった。

 その時は、フロアーという――床に膝を付けて踊る動きも絡めたりと、ハウスに負けないぐらい、感嘆ものの技を見せてくれていたのだが……。


 そこで、気づいた。


 間抜けなことに、ようやく気づいた。

 多少崩してはいる。

 でも、見間違うわけがない。

 あれほど何度も繰り返し見ていたのだから。

 利華さんは、振りを踊っていた。

 たぶん、ソロとチームの違いがあるからだろう。

 動きを多少アレンジはしていた。

 でも、間違いない。

 あれは僕らが踊るはずの振りだ。

 そして、ここで利華さんが振りを踊っている意図は当然……。

 利華さんは前にキックすると、その勢いで後ろを向く。

 僕も、それに合わせて進む。

 本来なら、二人並んで舞台の最前から引いていくのだが、僕は横から合流するように歩いた。


 利華さんが右手を挙げた。


 そして、人差し指を振りながらカウントする。

 声は出していない。

 でも、練習の時にいつも聞こえた利華さんの声が、はっきりと頭の中で流れた。


 ファ~イブ、シックス。ファイブ、シックス、セーブン、エイト。

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