認められない言葉

 今は僕と利華さんしか残っていない。

 ちなみに、学校までタクシーを乗り入れたら、先生らにバレるのでは――と言う意見が出たので、とりあえず、気分が悪くなった女子部員を乗せるってことにしよう、という話になった。

 何と、その体調不良の女の子役は利華さんが責任もって行うことになった。

 ようするに、病院への付添いも兼ねてるって訳だ。

 正直、ちょっとやそっとで体調不良だぁ、病院だぁ、って言う玉ではない気もするが、今の時点で殴られると話がややこしくなるので自粛した。


 ああ、言いたかったなあ。


 少なくとも、今みたいにシクシク泣かれるよりは、怒っている方が利華さんらしいし、扱いに困らない。

「ふむ……。

 利華さんって案外、泣き虫なんですね。

 まあ、確かに本気で怒った真理子さんは怖かったですが」

「お前はなぁ」と利華さんはしゃっくりをしつつ答える。

「真理子さんの真の恐ろしさを知らないからそんなことが言えるんだ。

 あの人はなぁ、乱闘中の不良、計二十人を『静まりなさい』の一言で鎮圧したことがあるんだぞ」

「すごい武勇伝ですね!

 真理子さん!」

 言葉だけで判断すれば、胡散臭いことこの上ない。女子高生一人の一言でそんなことなど起こり得ない。

 だが、あの真理子さんならあり得るかも――と思ってしまう。

 そう思わせてしまうものを、あの美しすぎる先輩は持っていた。


 まあ、利華さんが話を誇張しているのは確かだろうが。


「お前……」と利華さんは少し言い難そうに視線をそらした。

「テレビ塔であたしがショーに出てたことを知っているのか?

 っというより、見てたのか?」

 僕は少し考えた後に、「ええ」と肯定した。

 利華さんは椅子の上で膝を立てた。

 そして、それに顔を埋める。


 利華さんは暗い声で言った。


「そのことは、忘れろ。

 っていうか、忘れて。

 あたしはあの場にいなかった、そういうことにしといて」

 武雄さんが利華さんの前ではそのことについて触れるな――と言っていた。

 だから、そういわれても驚きはしなかった。

 そして、本来なら、分かりました、で終わらすべきなのかもしれない。


 それでも、「何かあったんですか?」と僕は訊いてしまった。


 利華さんは、しばらく何も言わなかった。

 僕にしても、それほど期待はしてはいなかった。

 だから、「あの日」と利華さんが話し始めたことに少し驚いた。

「あたしはクビになったんだよ。

 チームを。

 H.S.Sを。

 あのショーの後に」

「クビに!?」僕はさらに驚いた。

「どういうことですか!?」

「どういうことも何も」

と利華さんは吐き捨てるように言った。

「それだけ、最低だったんじゃないの?

 正輝さんは、何も言ってくれなかったけど……。

 お前は東京に連れていかない。

 そうはっきり言われたんだ」


 最低だったなんて、僕は信じられなかった。


 だって、僕は……。


「そのせいでさ」

と利華さんは自嘲する。

「美希音も行かないって言い出すし。

 元々、行くつもりはなかったなんてさ。

 これからは、フラダンスをやっていくなんてさ。

 そんなの、あたしに気を使っているだけに決まってるのにさ。

 あの子が、あの体格でどれだけ頑張ってきたのか、誰よりも知ってるのがあたしのはずなのにさ。

 だから、無理矢理にでも行かせるべきだったんだよ、あたしは。

 なのに、しなかった。

 だって、美希音は行って、あたしが残るなんて……。

 あたしだけが残るなんて――最低だよな」

 最後の方は僕に話すというよりも、自分自身に向かって言っているようだった。

 自分自身を責めるような、自傷するような、そんな感じだった。

 そんなことがあったなんて、僕にはとても信じられなかった。

 信じたくなかった。

「そんな理由で首になったなんて嘘です!」

と利華さんに向かってはっきり言った。

 伏せていた利華さんだったが、困惑した顔をこちらに向けた。


「だって、あのショーで――あの時、演じていた利華さんのおかげで――僕は立ち直ることが出来たんですから!」


 それから、僕は話し始めた。


 中学三年生の文化発表会での出来事を。


 僕のせいで、劇はめちゃくちゃになってしまったこと。


 中心となって準備をしてきたのに。


 練習では簡単出来ていたのに。


 出来ない人に偉そうに文句を言っていたのに。


 僕は、本番で棒立ちになってしまった。


 その事を包み隠さず話した。


 恥ずかしくて、恥ずかしくて、クラスメートからも、幼なじみの女の子からさえも、拒絶して、逃げて。


 結局、彼女が引っ越してしまうまで、僕は引きこもってしまったことを。


 すべて、利華さんに話した。

「僕はテレビ塔の下に設置された舞台で、縦横無尽に走り回る利華さんを見て、救われたんですよ。

 光り輝くように、喜びはしゃぐように、演じる利華さんを見て、僕は高校生になることに、希望が持てたんです。

 だから、あの利華さんが駄目だから――あのショーが駄目だから――クビになったなんて僕には信じられません!

 いや、認められません!」


 利華さんは静かに僕の話を聞いていた。


 そして、話し終えた後、「なるほどね」と呟いた。

「実のところ、真理子さんがお前を引き込んだことについて、疑問に思っていたんだ。

 舞台で失敗したから、そのリベンジをさせたいとか――そんな程度しか話してくれなかったから。

 でも、それだけじゃあ足りないと思っていた。

 あの人は、部外者を巻き込むことを極端に嫌う人だから。

 新太だけは例外ってのも不思議に思っていた。

 でも、その謎が今、解けた」


 利華さんは真剣な表情でこちらを見た。


 そして、「お前はやはり、イベントに出るべきだ」と言った。

 僕は、胸が苦しくなる。

 出演すると思うだけで、苦しくなった。

 正直、断りたい。

 もう、苦しいのは嫌だ。

 利華さんはそれを読みとったのかもしれない。


「ジュースを買ってきてやる」

と言って席を立った。


 真理子さんも、きっと今の利華さんも――僕のためを思って言ったのだと分かっている。


 将来、役者になるわけでもないし、まして、ダンサーになるつもりもない。

 だが、舞台に対して、いや、観客に対して過度に怖がる現状がそのまま続いても問題ないとはいえない。

 解消できるのであれば、そうしたい。

 それでも、やっぱり逃げたかった。

 臆病だとか、みんなは言うかもしれない。

 だが、それを考慮しても、やはり避けて通りたかった。



 利華さんは思いの外、早く帰ってきた。


 っていうか、手ぶらで帰ってきた。

 何しに行ったんですか? と突っ込みたかったが、それより前に、妙案を思いついたかのように、僕に詰め寄ってきた。


「お前、あたしを殴れ」


 ???


 何を言っているのか、よく分からなかった。


 すると、利華さんは、少しいらつくように、「だから殴れって!」と再度言った。


「い、いや」

と僕は困惑しながら答える。

「意味わかんないんですが?

 何で、利華さんを殴る必要があるんですか?」

「バカ野郎!」

となぜか怒られた。

「あたしはさっき、お前をけっ飛ばした。

 だから、お前には殴る権利――ていうか、義務があるってことだ」


 蹴りたければ、キックでもいいぞ、と利華さんはおっしゃる。


「いやいやいや」

と僕は否定を三回続けた。

「別に、そんなのいいですよ。

 フェミニストを気取るわけではないですが、女の人を叩くのには抵抗ありますし。

 いや、そもそも、人を叩くなんて出来ないですよ」


「うるさいなぁ」

と利華さんは拳を僕の前につきだした。


「あたしは、殴られたら殴り返すと同時に、殴ったら殴り返させる――そういう主義なんだ。

 グダグダ言ってないで、殴りやがれ!」


 いや、そんなこと言ったら、僕をさんざん蹴ったり叩いたりして来た、今までの分はどうなるんですか!?

 と突っ込みたかったけれど、話がややこしくなる上に、殴られそうなのでやめて置いた。


 無駄にヤンキー気質だな、この人は。


 利華さんは自分の頬をペチペチ叩きながら

「ビンタでいいから、形式的なものだから」

とか言っている。


 仕方がない……。


 僕はとりあえず、軽く、かーるく手のひらで叩くことにした。

 あぁ、女の子を叩く。

 しかも、美女を。

 しかも、利華さんを。

 すごく抵抗あるな。


「ほらほら」

と利華さんは右頬を差し出す。


 本当に大丈夫かなあ、この人……。


 右頬を叩かれたら、左頬に全力で叩き返す――みたいなことにならないかなぁ、などと考えつつ、恐る恐る左手を構えた。


 ちなみに僕は右利きだ。


 ではなぜ、左かというと、利華さんが右を叩くように指示しているからだ。

 たぶん、何も考えていないよなぁ――などと思いつつ、別に全力を出す必要もないので利き手じゃなくてもいっかぁ、といい加減に思った。


「ではいきます」と僕が言うと、「最低、パチンという音は鳴らせよ」と利華さんは目をつぶった。


 また、難しい注文をする……。


 しょうがない。

 ベッドの右側に利華さんがいるので、僕も体をひねりつつ、そちらに寄った。

あらかじめ自分の頬で力加減を確認した後、そっと左手を構えた。

そして、利華さんの頬に向けて、慎重に振った。

 パチンという音と手に温かい感触――そして、カシャっというカメラのシャッター音が鳴った。

 ……ん? シャッターの音?


「どうだった!?」と、利華さんが立ち上がって叫ぶ。

仕切るために使われているカーテンの端から、美希音さんが現れて、「良い仕事をしたぞっ!」と、親指を立てた。


 逆の手にはスマホを持ってる。


利華さんは勢いよく立ち上がり、美希音さんの元に駆け寄った。


 へ? どういうことですか?


 フッフッフッと利華さんが怪しい声で笑い始めた。

「お前、とんでもないことやらかしちまったな。

 ん?」


 いやな予感がした。


 いや、予感と言うより気づいた――という方が正しいか。

 り、利華さん? あなた、まさか……。

「じゃん」と僕に美希音さんのスマホの画面を向けた。


 遠くて良く見えないが、恐らく利華さんがひっぱたかれている画像が写っているのだろう。


 それが、示す意味は……。


「あたしさぁ」

と利華さんは意地の悪そうな顔をした。

「こう見えても、案外人気があるんだよねぇ。

 しかも、ちょぉぉぉっとばかし、過激な輩もいたりするわけなんだ」


 自分の顔が青ざめていくのが分かる。


 利華さんファンの厄介さは、僕は既に体感済みだ。

「ちょっと、待ってくださいよぉ!」僕は叫んだ。が、「待たない!」と利華さんはそれを切り捨てる。


 そして、携帯を振りながら、「どうだ新太」と優しくほほえんだ。


「これで、お前がイベントに出ざる得ない理由が出来たわけだ」


 そうか、と僕は利華さんの意図に気づいた。


 強引な先輩らしいやり方だが、彼女らしい心配りだ。


「今な」と利華さんは続ける。

「こうだから――とか。

 ああだから――とか。

 口で説明しろと言われたら、一応出来る。

 それらは、美少女戦士もの――アイレン少女隊だって何話か触れているかもしれないようなものだ。

 でも、本当にそれが理解できるのは、本当にそれを確認できるのは……。

 やっぱり、自分が動かなければ――自分が体感しなければ――伝わらない。

 そうしなければ、お前の心には届かない。

 だから、とりあえずお前はやってみろ」


 たぶん、拒絶しようと思えば出来るだろう。


 真理子さんに言いつけると言えば、実際言いつければ、それで終わったはずだ。


 だけど、だけれども……。


 僕はもう、やらざる得ないなと言う気になっていた。

 あんまり考えるのが得意そうに無い利華さんが、こんなややっこしい――滑稽と言っていい事までして、やらせようとしてるんだ。

 何というか、気が抜けたというか――あきらめというか、しょうが無いなぁという気持ちになってしまった。

 だから僕は、「やります」と端的に答えた。

 利華さんはうれしそうにうなずいた。

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