ごめんなさい

 女の子が泣く声が聞こえてくる。


 新太、出てきてよ……。


 出てきてったら……。


 幼なじみの女の子の声だ。

 僕はまた、彼女を泣かせてしまったのか。


 ごめん。


 君に合わせる顔がない。

 合わせられる顔じゃないんだ。


 僕は布団の中に潜り込んで、耳を塞いだ。


 恥ずかしい。

 恥ずかしい。

 恥ずかしい。


 ほかのみんなは、普通に演じていたのに。


 ほかのみんなは、簡単にこなしていたのに。


 失敗した。

 僕だけ失敗した。

 みんなに偉そうなことを言って。

 時には、説教じみた苦言を呈しておきながら。

 僕は声が出なくなった。

 台詞が思い出せなくなった。


 僕は、僕は……。


 ごめんなさい、と女の子は震える声で謝る。


 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。


 何で謝るの?


 君が謝る必要なんて何もないのに。


 僕の弱さが。

 僕の愚かさが。

 舞台を台無しにしたのに。


 ごめんなさい。


 あれ? 僕は訝しげに呟く。


 利華さん?


 気づくと、見慣れない天井が見えた。


 どうやら、僕はベッドで寝ているらしい。

 でも、何故? 頭がぼんやりしていて、よく分からない。

 が、しばらくすると思い出した。

 そうだ、僕は利華さんにけっ飛ばされたんだ。

 女の子の泣き声が聞こえてくる。


「ご、ごべんなさいぃぃ」


 ご、ごべん!?

 僕は体を起こした。

 少しふらついたが、奇声の元を探る。

 ベッドはカーテンで囲まれていた。

 ただ、正面が少し開いていたので、その先が覗けた。

 真っ赤っかに咲き誇る赤バラのように美しい真理子さんが、怒りのため真っ赤っかに染めた顔で、利華さんを睨んでいた。


 ああ、利華さん。

 ごめんなさい。

 前、聞いた時は話半分だと思っていました。


 真理子さんに本気で怒られたら、本当に号泣するんですね。


 普段のヤンキーっぷりが嘘のように。

 普段の傲岸不遜な態度が嘘のように。

 母親にキレられた小学生張りに号泣していた。

 心なしか……。

 いや、間違いなしに震えてるし。


「利華」と真理子さんが普通に言った。


 少なくとも――怒声とか罵声とかそんな類いのものではなかった。

 だが、ただ声の大きさだけでは計れない――地獄の底から沸き上がってくるような怒りが、べっちょりと練り込まれている――そんな気がした。


「あなたは、わたしが言ったことを聞いていなかったの?

 それとも、わたしが言ったことなど聞く必要はない――そう思っているのかしら?」


 や、やばい。


 怒られている当人でない僕であったが、背筋に冷たいものが走った。

 おお、鳥肌が。

 リアルに鳥肌が立っている。

 これは、当事者になったら利華さんじゃなくても泣ける。

 少なくとも、僕は泣く自信がある。

 うぐ、うぐ、と利華さんは言葉にならない声を出しながら、首をぶるぶる横に振って否定していた。


 引き戸が開く音が聞こえ、何人かが入ってくる気配がした。

 真理子さんは視線を上げて、そちらを向く。


「あ、あのう」

と恐る恐るといった感じの女の子の声が聞こえてきた。


 僕は少し体を斜めに倒しながら誰かと確認してみる。

 喋ったことはないが、見覚えのある女の先輩が二人立っていた。

 たしか、二年生だったはずだ。

「ノリちゃん先生も、保険の山崎先生も見あたらなくって……。

 どうしましょうか?」

 ノリちゃん先生とは、ストリートダンス部の顧問をやっている、若い女の先生だ。

 ちょっと頼りなさげだが、親しみがあって人気がある。

「だったら」

と真理子さんは指示を出す。

「教頭先生で構わないから呼んできて。

 ついさっき、職員室でお見かけしたからいらっしゃるはずよ」


「で、でも」

と報告した人とは別の先輩が、悲痛な顔で言った。

「教頭先生なんか呼んだら、事が大きくなりますよ!

 そしたら、イベントどころじゃ……」


「あきらめなさい」

と真理子さんが被せるように言った。


「どの先生に報告したところで、結果は同じだから」

「ノリちゃん先生なら」

とさらに食らいつく二年の先輩に、「黙りなさい!」と真理子さんが怒鳴った。


 利華さんも、ついでに僕もだが、ビクっと震えた。


「あなたは、このことを隠蔽しようなどと考えているの?

 そんなことが、許されるとでも本気で思っているの?」

「でも……」

 二人の先輩から、嗚咽がこぼれ始めた。


 胸がぎゅっと締め付けられるように痛い。


 きっと、イベントのために凄く頑張って練習してきたんだ。

 なのに、中止になるなんて酷すぎる。

 それに、この先輩達だけではない。ほかのみんなだって一生懸命やっていた。

 派手だし、一様にテンションが高い人らだが、ダンスに対しては真摯にやっていた。

 真理子さん、利華さんら先輩達はもちろんのこと。

 ダンスの上達方法を説明してくれた亜矢や、練習に付き合ってくれたプチら無礼キング軍団もそうだ。

 それに、初日にヘタレた女の子や格好いい先輩にキャッキャ言っていた女子らだって、目標に向かって頑張っていた。

 そんな努力を、そんな頑張りを、僕の問題で駄目にするなんて……。

 ストリートダンスがやりたくて入部したわけでもない僕なんかの個人的な問題で無駄にするなんて――出来る訳なんか無い。


「真理子さん」


 僕は姿勢を正しながら声をかけた。


 みんなの視線がこちらに集まった。


 僕ははっきりと言った。

「今回の事は僕の自業自得なんです。

 利華さんに、見せて欲しいって。

 去年の冬休みにテレビ塔で見た技を、やってみて欲しいと言ったんです。

 本当は避けられたのに。

 僕がボケっとしていたから、まともに受けてしまったんです。

 だから、問題にしないでください。

 イベントを中止にしないでください。

 お願いします」


 僕は頭を深々と下げた。

 誰かが息を飲む。

 そして、「お前」という利華さんの声が聞こえてきた。

 こんな事を言った所で、誤魔化せるなんて思っていない。

 当然、真理子さんは当事者以外の――現場に居合わせた人らからも話を聞いているだろうから。

 ただ、聡い真理子さんは恐らくわかってくれるはずだ。

 誤魔化せないと分かっていて、それでも、言っているのだと。


「新太」と言う呟きが聞こえてきた。


 顔を上げると、奇麗に整った眉毛が、少し寄っている真理子さんが見えた。


 どうするか、迷っているようだった。


 すると、戸の開く音がした。

 そして、「真理子」と男の人の声が聞こえてきた。

 みんなの注目が戸口に移る。

 僕の場所からだと、誰が入ってきたのか見えなかった。

 が、来訪者が中に入ってきたので何者か分かった。

 義也さんだった。

 先ほどと代わらない制服姿の真理子さんとは違って、スウェットのパンツに黒のノースリーブと言う出で立ちだった。

「迷うことはないと思うぞ」

と義也さんは真理子さんに言った。

「新太がそう言っているんだ。

 なにが今、本当に大切なのかを考えたら、答えはすぐに導き出されるはずだ」


 真理子さんは静かに目を閉じた。


 バレなければいいとか、被害者が問題にしないから良いとか、性格上、簡単には割り切れないのだろう。

 皆が固唾をのんで見守る中、真理子さんは目を開け、顔を上げた。

 そして、「義也」と静かに言葉を紡ぐ。

「あなたの言う通りね。

 わかった。

 今回のことは内々で処理しましょう。

 全てはわたしの責任で」


 二年生の先輩達から歓喜の声が漏れた。


 そんな中、真理子さんは付け加える。

「新太、本当にごめんね。

 あなたをこんな目に遭わすつもりじゃなかったのに。

 病院にはきちんと行くのよ。

 治療費は全額払うから」


「い、いや、それは」

と僕は声を上げた。

 問題にはしないで欲しいと言ったが、全ての責任を、この人に押しつける気は無かったからだ。

 確かに、真理子さんはストリートダンス部に引き込んだ中の一人だ。

 でも、それでも、今回のことは僕が悪かった。少なくとも、僕『も』悪かった。

 そして、悪かったの中には真理子さんはいないはずだ。


「あ、あたしが払います」

と耐えきれなくなったのだろう、利華さんが割り込んできた。


「あなたは黙りなさい」

と真理子さんはそれを冷たくあしらう。


 そして、「新太」と僕に優しく微笑んだ。


「あなたと利華とを組ませたのはわたし。

 さらに、今回の事を未然に防げなかったのもわたし。

 何より、この部の生徒の中で責任者は部長であるわたし。

 だから、今回の責任はわたしにあるのよ。

 ……予測していたのに教えてくれなかった誰かさんにも問題はあるけど」


 真理子さんが意味ありげな笑みを浮かべて、義也さんを見る。

 少しとぼけた表情で、義也さんは視線を反らした。

 初め、何のことか分からなかったが――思い出した。

 僕の振り練習を見て、真理子さんは順調そうで楽しみだと言っていた。

 その時、対する義也さんは、悪い方向に事態が進みやしないかと、危惧するような発言をしていた。

 なるほど、今思い返すと、このことを言っていたのか。


「だから気にしなくていいのよ」と真理子さんは言った。


 それでも、真理子さんに責任があるようには思えなかった。

 だから、僕は断ろうとした。

 が、義也さんが先回りをして、「新太」と言い聞かせるように言った。

 これ以上何も言うな、とでも伝えたかったのだろう。

 確かに、あまり固辞するのはかえって失礼だ。

 だから、僕は、「はい」と、頷いた。


「わたしって」

と僕の頭を弟にするかのように優しくなでた。


「こう見えてもアルバイトしてるから、お金はあるのよ。

 だから、気にしないで構わないから」

 さすがに、恥ずかしくて仕方がなかったが、それでも、柔らかくて心地良いそれを払うわけにもいかず、ただ、顔が熱くなるのを感じながら、されるままになっていた。

「今、タクシーを呼んでくるから、ちゃんと看病するのよ」

と利華さんに言い残して、真理子さんらは保健室を後にした。

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