アイレン・キック

 五回目になる振りの通しも、最後の方にさしかかり、徐々にアップテンポになっていく。


 僕は、右手を大きく二回振りながら、ダウンを取る。


 体をぐっと釣り上げて、そこから深く体を沈め、音を取った。

 そして、利華さんと並んで前に出るとポージング。

 鼓動がはっきりと感じられるほど強くなり、呼吸が乱れた。


 終わった……。


 僕は口を大きく開けて、必死で酸素を取り込んだ。

 軽く目眩がする。

 もう、疲労で苦しいのか、緊張で苦しいのかよく分からなくなってきた。

 何とか、ミスをせずに踊りきったが、本当にただ乗り切ったというだけで、出来としては酷いものだった。

 というより、やるたびに駄目になっていた。

 一杯一杯すぎて、とにかく休みたい。


「もう一回行くぞ」

と利華さんが絶望的なことを言ってきた。


 マジですか? という、僕の心の声など全く聞こえないのか、さっさと自分の立ち位置に移動する。

 流石に踊りなれているのか、単純に心肺機能の出来が違うのか、先輩は汗で頬が濡れてはいたが、涼しげな目をしていた。

「利華さん」

と僕は弱々しく右手を上げた。

「ちょっと、休憩させてもらえませんか?

 かなり、きついんですが」

「駄目だ」と利華さんはきっぱりと言った。

 非常に不満そうな表情をしている。

「どうも、いつものように踊れていないんだよな、お前。

 まだ、あと十分はあるんだ、それなりになるまで続けるぞ!」


 さっきは気楽に踊ればいいって言ってたのに……。


 と、ぼやきたかったが、蹴られること必至なので、やめておいた。

 そんな余力は無いってのもあったが。

「それになぁ」

と無礼キング軍団を一瞥してから、利華さんは続ける。

「こいつらだって、何度も付き合わせる訳には行かないだろう」


 まあ、確かにそうだけれども。


「別に、うちらは構わないですよ」

とプチは言ってくれているのだが、彼らだって練習をしなくてはならない。

 喋っている時とかは、ふざけてばかりの無礼キング軍団だが、練習している時は人が変わったかのように真剣に取り組んでいるのを知っていた。


 本当に、休む間も惜しんで技を磨くのだ、彼らは。


 それなのに、何回も呼び出して、練習を中断させるわけには行かない。

 かといって、他の部員――主に初心者だって、初めてやる事を覚えるのに必死になっている。迷惑をかける訳にはいかなかった。


 僕はふらつきながらも、立ち位置に着いた。


「おい、大丈夫か?」

とプチが心配そうに訊いてきたので、手を振って答えた。

 利華さんが合図を送り、曲が流れた。


 無礼キング軍団が声援を送ってくる。


 これに関しては、流石になれた。

 また、疲労困憊の僕に、一応、気を使ってくれているのか、初めのような変則的なものは無い。

 なので、踊りに集中することができた。


 とにかく、きちんと踊ろう。


 僕は一つ一つ注意を払いながらこなしていった。

 が、僕は天を仰いだ。

 利華さんの動きと全然違うことをしてしまった。

 振りを間違えたのだ。本来の動きを飛ばして、次の振りを踊ってしまった。

 何とか、元の流れに戻ろうとしたが、もう全く分からなくなった。

 利華さんが手を振って曲を止めた。

「最初からやるぞ!」との指示に、「はい」と僕は力なく返事をした。

 利華さんはすぐに開始の立ち位置に向かう。

 僕も急いで移動した。


 今度こそ間違えないようにしなくては。


 利華さんの合図で曲が流れる。

 慎重にいこう。

 とにかく、慎重にだ。

 右足でキック。

 溜めてから大股で一歩前へ。

 そして……。振りが一瞬飛んだ。

 すぐ、利華さんを見て、何とか復帰した。


 恐怖が心にまとわりついてくる。


 今、利華さんはどんな顔をしているだろうか、とか。


 無礼キング軍団がまたかよと、うんざりした顔をしていないか、とか。


 みんなが、どんな風に僕を見ているのか、気になって仕方がなくなった。

 あ、またさっきの所で間違えた。

 もう、右も左も訳が分からなくなった。

 どうすれば……。


「やめやめ!」


 利華さんが叫んだ。

 それを見たプチが、デッキを停止させた。

 息が荒く苦しいので、しゃがみ込んでしまった。

 失敗した悔しさ、情けなさで、叫びたくなる。

 何で、うまく行かないのだろう。本当に。


「もういい」

と利華さんはいらだちながら言った。


「休憩しろ。

 やればやるほど、悪くなる一方だ。駄目な奴だなあ」


 駄目な奴。


 ひょっとしたら、大した意味もなく言ったのかもしれない。

 むしろ、その通りだったのだろう。

 だが、僕は忘れていた声を思い出してしまった。


 なんだよあれ、と中学の同級生のいらだつ声が聞こえてくる。

「偉そうにしてたくせに、ぜんぜん駄目な奴じゃん」


「だから、言ったじゃないですか!」

と、僕は怒鳴った。


「僕、駄目なんですって!

 そう言ってたのに!」


 利華さんやプチらの驚愕した顔がこちらを見た。

 こんなことを言っていては駄目だ。

 分かっているのに止まらない。

「情けないのは百も承知してます

 でも、人間向き不向きがあるように、僕には向いてないんですよ。

 いや、向いてないっていう言い方は格好を付けすぎてるかもしれませんね。

 僕は普通の事が出来ないんです。

 みんなが舞台の上で普通にできることが、僕には出来ないんですよ!」

「はぁん?」

と利華さんが険しい形相で僕の胸ぐらをつかむ。

「ふざけるなよ!

 なにが普通だ。

 お前、やりきりもしないでさぁ。

 ここで……」

「いやだって言ってるでしょう!」

 僕は利華さんの手を払った。

「おい、やめろって」

というプチの声が聞こえた。


 でも、僕は止まらない。


 止めることが出来ない。


「大体、僕は何も楽しくない。

 本番は地獄だし、今だって……」

(忘れないでね。

 ダンスって楽しいものなのよ)

と真理子さんがレッスンの時にそう言っていた。


 あの時、ひょっとしたら本当に楽しいのかもしれない、と僕は思った。


 でも、ぜんぜん楽しくない。


 趣味趣向、向き不向き。絶対あるんだ。


「それに」と僕は続ける。

「利華さんだって少なくとも楽しそうには見えませんよ。

 何か、修行僧みたいだし」

「なに言ってるんだ!」と利華さんは怒鳴った。

「お前は始めて間もないから分からないだけだ。

 うまくなろうと思ったら、いいものをショーで見せようと思ったら、地味でつまんない練習も必要なんだよ!

 遊んでんじゃねえんだ!」

「でも、僕はテレビ塔下で、ショーに出ていた利華さんの方が絶対良かった!」

「は、はぁ~?」

 利華さんは困惑混じりの声を上げた。


「行きます」と僕は宣言する。

「もう、利華さんに付き合うのはまっぴらだ。

 僕はアトラクション研究部に行きます」


「お、お前」

 利華さんは混乱しているみたいだった。

 それは、テレビ塔のことを僕が知っていたことにか、それとも、アトラクション研究部に行くことにか、その両方が原因か。


 でも、僕にはどうでも良かった。


「おい!」

 利華さんが肩を掴むので、僕はそれを払った。

 そして、「利華さんだって」と振り返りつつ皮肉る。

「本当はああいうのの方が合ってるんじゃないですか?

 だって、あの時の方が絶対かっこ良かったし、輝い…ごぉ!?」


 おもいっきり、お腹を蹴られた。


 みぞうちを、前蹴りで。いつものなど比にならない威力だ。


 一瞬、息ができなくなった。


 涙目になりながら、僕は膝をついた。


 そして、むちゃくちゃしないで下さい! と怒鳴ろうとした。


 が、出来なかった。


 利華さんは激ギレしていたからだ。

 体なんかガタガタとふるえているし、真っ赤な顔で僕をにらんでいた。

「お、落ち着いて!」

と無礼キング軍団のみんなが利華さんの腕とか持って僕から放そうとしている。


 でも――いや、しょうがないのは分かるけど……。


 ガタイの良い彼らではあったが、女子、美人、上級生と三拍子そろった利華さんの体を掴むことを、力ずくで掴むことを、躊躇していた。

 その時、僕は『待て、話せば分かる』と言った、昔の首相の気持ちが少し分かった気がした。


 っていうか、怖い怖い怖い!。


「そんなになぁ」

と利華さんは腹の奥底から湧き出るような声で言った。

「そんなに、美少女戦士ものがいいなら……」


「うぉらぁ!」

と利華さんの一暴れで、無礼キング軍団の拘束が外れる。


 思った以上に頼りない!


 ひんやりとしたものが体の奥に現れ、僕は顔をひきつらせた。

 逃げようとも思ったが、あまりの恐ろしさに尻餅をついてしまった。


「今ここでやってやるよぉぉぉぉ!

 アイレェェェン!」


と叫ぶと、こっちにつっこんでくる。


「ちょ、ちょっと!」僕は両手を前につきだし、叫んだ。でも、利華さんは止まらない。


「キィィィィックゥゥゥゥー!」


 肺が一瞬つぶれ、衝撃とともに、僕は後ろに吹っ飛んだ。

 そして、凄い勢いで天井が眼前に現れ、後頭部から乾いた音が前頭部まで響いた。視界が真っ暗になる。


 その時、テレビ塔で見た利華さんの姿が頭をよぎった。


 あの、ピンク色の残像を残し、同じくアイレン、キックを敵くらわせるシーンだ。


 きらきらと輝いている姿見て、ああ、やっぱり綺麗だなぁ、と思った。

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