breakin'

 武雄さんらが出ていくのをぼんやり見ていると、入れ違うように男の先輩が中に入ってきた。

 先ほど、レッスンをしていた人だ。たしか、義也さんって名前だったはずだ。

 真理子さんは三年生が一年生に教えるのだと、あの時間について話していた。

 なので、恐らく最上級生なのだろう。

 先輩は軽運動室のど真ん中を、無遠慮に歩いている。

 途中、女の子たちに声をかけられたりしたが、手のひらで押し止めた。


 何かを探しているらしかった。


 義也さんは僕の手前、三メートルぐらいまで近寄ってきた時、男の――恐らく、二年生の――先輩が、「どうしたんですか?」と訊ねた。


「ん? ああ」と心ここにあらずと言った感じで義也さんが答える。


「セックスしたいなぁ、ってな」


 ……。

 ……。


 えぇぇぇ!? 何を言ってるんですか、この人!

 思わず、声に出しそうになった。

 周りで、義也さんに見惚れていた女の子達も、さすがに顔をひきつらせている。


 まさか、Hする相手を捜していたりするわけ!


 こういう派手で、もてる男子の中には、女の子を取っ替え引っ替えする人もいるとは聞いていたが、義也さんがまさに、そういう人種なのか!

 ただ、声をかけた先輩はあきれ顔で、「あーこの人の言うことをいちいち真に受けなくていいから」とみんなに話していた。


「ああ」と義也さんがようやく自分が言った意味に気づいたように、訂正する。

「すまんすまん、今のは最近の願望だ」


 フォローになってませんが!


 と僕は心の中でつっこんだ。

 っていうか、声に出して言いたい! 


 義也さんは続ける。

「それに、部内の奴には手を出さない事にしてるしな。

 特定の女を除いて」


 何か、すごく変わった人だということは分かった。


 っていうか、ここの部にいる人は本当に一癖も二癖もある人ばかりだ。

 とりあえず、視線を合わせたら絡まれそうなので、別のところを見ることにした。


 あ、実沙さんが一年生を指導している。


 あの人はまともそうだよな。


 何か、のんびりした感じはあるけど。


 どうせ、避けられない運命ならば、ああいう人とイベントに出たい。

 などと、考えていると、「おい、お前」と上の方から声が聞こえた。


 思わず、体がビクっと震える。


 ま、まさかね。


と自分に言い聞かせて実沙さんを引き続き眺めた。

 ああ、あの先輩も人気投票で上位にあげられていたなぁ。

 恐らく、女子からの人気が高いのではないだろうか。

 美少年と言ってもおかしくないし。

 かといって……。


「お前に言ってるんだよ」


 突然、僕の顎が上にクイッと上げられた。


 義也さんの顔が至近距離に現れる。


 ひゃ!?

 僕は思わず奇っ怪な声を上げてしまった。

 切れ長い目に、そこから出てる長いまつげ、傷一つない浅黒い肌に鼻筋がきれいに通っていた。


 武雄さんはイケメンなお兄さんって感じだった。


 だけど、この人の場合――こんな言い方するとおかしいかもしれないが、女性的な美しさも含んでいそうな人だった。

 そんな人が、僕の顎に手をかけて、中腰のまま僕を見ている。


 ドノーマルを自負する僕でも何か恥ずかしくなってしまった。


「な、なんでしょうか!?」

と義也さんから逃れるように立ち上がった。

 義也さんも上半身を起こし、僕を観察するように見つめてくる。


 そして、「それ、お前のか?」と床を指さした。

 視線をそちらに向けると、利華さんの携帯用スピーカーがあった。

 僕はほっと胸をなで下ろした。

 この先輩の興味はこれであり、自分ではなかったからだ。

「いえ、僕のではありません。

 利華さんのですよ」


 よければ、持っていってください、と危うく言いそうになった。


 人の物なのに。


 それぐらい、どこかに行って欲しかった。

 が、ふ~んとなぜだか、義也さんは興味の対象であるスピーカーをどうするわけでもなく、また、その場を離れる訳でもなく、僕を眺めていた。

 何だろう、このいやな感じは。


「お前は」と義也さんは訊ねてきた。


「どんなダンスをやるつもりだ?

 どういうダンサーになりたい」


「あ、いや」と僕は言いよどむ。


 この先輩は僕がここにいる経緯など知らないのだろう。


 ちょっと困った事になった。


 僕は完全な受け身でダンスをやることになったのだから。

 適当なことを言おうにも、ダンスについてほとんど知らないし、ほとんど見たことすらない。

 昨日見た、利華さんのハウスや今日の武雄さんのロッキン、真理子さんの音取りぐらいなのだから。

 それだけで答えても、突っ込まれたらアウトだろう。

 僕の様子を見ていた義也さんが、「まだ決まってないのか?」と更に訊いて来た。


「はい」と僕は正直に答えた。


 そういえば、他の一年生にも初心者が多いと聞いた。

 僕とどっこいどっこいの人も多いはずだ。

 とりあえず、この答えで間違いはないだろう。


「そうか」と義也さんはうなずく。

 そして、僕を力強く見つめると、「お前、ブレイキンをやれ」と勧めてきた。


「ブレイキン?」と僕が復唱すると、「そうだ」と首肯する。

「ブレイキン。

 ビイ、アール、イー、エイ、ケイ、アイ、エヌ、シングルコーテイション。

 breakin'だ」

「はあ……」


 どうやら、勧誘されているようだ。


 で、ブレイキンはジャンルの一つなんだろう。よく分からないけど。

 困惑する僕に対して、義也さんは人差し指を上に向けた。

 そして、「この音を聞け」と言った。


 この音? と耳を傾ける。


 とはいえ、いろんな音が混じっている中で、どれを聞けばいいのか分からない。

 義也さんは指を軽く振る。

 そして、ダン、ダン、ダッダン、と口ずさんだ。

 しばらくすると、どれをさしているのか気づいた。


 かなりアップテンポで、力強いラップが入った曲だ。


 僕が分かったと判断したのだろう、義也さんはゆっくり、円を描くように歩く。

 ただ、歩いてるだけなのに、なぜだか妙に様になっていた。


 僕は何か始めるつもりなのだと判断して、義也さんから少し離れた。


 利華さんのスピーカーやスマホも避難するため手に持つ。


 義也さんは俯き気味で軽くステップを踏み始めた。


 空気を切る様に足を横から踏み込み、音を取っている。

 昨日の利華さんのステップは音を軽く踏みしめるような、どちらかというと柔らかさがあった。

 だが、義也さんのは力強く――踏みつける様な――ともすれば荒々しささえ感じた。


 かかっている曲が違うからか、踊っているジャンルが違うからか、ダンサーの違いなのかは分からない。


 ステップの流れの中で、しゃがみ、そして、僕の目の前で手を振り抜いた。

 僕はビクっと震えて一歩後ずさる。

 さらに、ステップ、しゃがむ。

 そして、拳を倒した状態で僕に突き出す。


 まるで、威圧するように。


 まるで、挑発するように。


 ぐいぐい迫ってくる圧力に、僕が困惑してると、義也さんは床に手を付く。

 そこから、さらにステップを加速させ、置いた手を軸にして時計回りに回り始めた。


 凄い。


 義也さん、白い残像が目に残るほど多彩な動きを見せていた。


 腰を軸に、足が旋風のように回り、それでいて、ラッパーのあおる声にシンクロしていた。

 とても簡単そうにやっているが、ようは腕立ての姿勢で、足を音楽に合わせて動かしたりしてるんだ。


 しかも無理がない。


 それが徐々に大きくなり、今度は、足を地面から浮かせ始めた。

 たしか、体操選手が良くやっている、トーマスとか言う技だ。

 体操競技とは違って、足をぴんと伸ばしていない。


 だが、それが荒々しさを演出していて格好良かった。


 感嘆の声が周りからわき上がる。

 見てるのは僕だけではない。

 気付くと、義也さんを囲むように、部員達の円が出来ていた。

 その中で、先輩の体が――先輩の足が――綺麗な渦を描いていた。

 それが、急激に狭まり、上に浮き上がった。

 そこから、床に頭を付けた三点倒立になり、体を上に持ち上げ、そして、足を開いたまま体をくの字に曲げて停止した。


 凄い!


 あれだけ早い動きをしていながら、一瞬とはいえ、あんな不安定な状態で停止できるなんて!

 人間ってこんな動きができるのかっていう驚きもあったし、一つ一つが荒々しくも、正確なリズムにノッているのにも感激した。

「わぁっ!」と喚声と拍手が上がる。

 ただ、義也さんはそんな事を気にする素振りも見せず、地面に足を付き立ち上がった。


 義也さん、息切れ一つしていない。


 あれほどの動きをしながら、涼しい顔で僕に近づいてきた。


「凄かったです!」

と僕が感想を述べても、なんてこともない顔で、「そうか」と頷いた。


 そして、さっきまでどん引きしていたのに、もう眼を輝かせて近づいてくる女の子らを手でおっぱらうと、「これがブレイキンだ」と説明する。

「ブレイキン。

 オールドスクールの一種で、元々、ギャング同士の喧嘩や抗争を”血”ではなく”踊りの優劣”で収める事を目的としたダンスだ。

 そういう経緯もあり、もっとも、ダンスバトル向きといえるだろうな」


 ダンスバトル。


 昨日、利華さんと武雄さんがやるとかやらないとかで揉めていたのがそうだったはずだ。

 技を見せあってどちらが優れているか勝負するのだと、浩一君から説明を受けた。

 そう考えると、納得いった。

 動きが派手で、一般人の僕から見たら超人的な技を繰り出すのだ。

 ただの、ステップとかとはインパクトが違う。


 無論、素人考えなので、あっているかどうかは分からないが。


「おい、ブレイキンとは、どういうものか分かったか?」

と義也さんが訊ねてくる。

「ええ」

と僕はうなずきながら答える。

「何となくですが、分かった気がします」

「そうか、だったら」

と義也さんは床を指さして言い放つ。


「お前、やってみろ」


 ……。

 へ?


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