Lockin'

「あんたさあ」とさっきと出だしは同じだが、今度は何やら楽しそうに、そして、誇らしげに言った。

「運がいいよ。

 いや、運が悪いっていっても過言じゃないかぁ。

 初めてみるロッキンが最高峰のものになっちゃうわけだしぃ。

 逆に、それ以降に見る様々なダンサーに対して物足りなさを感じてしまうのは、悪いことともいえるしぃ」


 激ぼめだった。


 亜矢の様子を探ると、武雄さんをじっと見つめていた。

 それは、期待と尊敬の入り交じった視線だった。

 武雄さんは立ち上がると、鏡越しにこちらを見た。


 多分、僕と亜矢が――いや、ほかの一年もいつの間にか――見ているのに気づいたのだろう、少し笑った。


 そして、体をゆっくりと動かし始めた。

 それは、肩で音をなぞっているように見えた。

 それは、音を体になじませているようにも見えた。

 どんどん縦に大きくなり、体中にゆっくりと、音が染み渡っていく。

 そのリズムを移すように右手が動き始めた。

 横の空間をノックする動きが曲のドラムに合い、まるで、武雄さんがその音を鳴らしているような錯覚に陥った。


 ダンスは音に乗るものだ――テレビか何かで聞いた事がある。


 でも、それを作っているように見せるなんて、全くどうなってるんだ?


 音が変わったと同時に、両手を顔の横でクルリと回し、体をなぞるように下ろした手を軸に肘を広げた。

 その反動なのか少しからだが浮き上がり、また肘を曲げて音を取る。

 左側を右足で蹴る。

 それを戻すのと同時に、足を左前、右後ろで地面に落ち、逆再生する様に体を持ち上げた。

 そして、両手をクルリと跳ね上げ、ポーズを取る。

 動作は一見するとコミカルではあったが、それでいてスタイリッシュともいえるものだった。

 正直よく分からん動きだったけど、音の取り方など、素人目から見ても凄い事がよく分かった。

 亜矢が絶賛するのも無理はない。


「不思議な動きでいて、格好いいんだなぁ」

と僕が呟くと、亜矢がこちらをチラリと一瞥した。

「動きもそうだけど」と亜矢は解説する。

「特筆すべきはあのリズム感ね。

 それがベースにあるから武雄さんは凄いわけぇ」

「へぇ、そうな――ゴホ!?」


 背中に衝撃が走って、座っていた僕は前のめりに倒れた。


 蹴られた、と床に手を突いて理解した。

 そこまでくれば、犯人は分かりきったものである。

 後ろを振り向くと、利華さんが仁王のように、こちらを睨んでいた。


 怒気のこもった言葉を吐きながら、利華さんは亜矢を指さす。

「お前って奴は!

 何、敵と仲良くやってるんだ!

 こいつは親のかたきと思って接しやがれ!」


 流石にムッときた僕は、一言二言言い返そうと思った。


 だが、その前に、「あらあら」と利華さんの後ろから美しすぎる先輩が、お怒りモードで現れた。

「利華ったら、今、新太を蹴ったりしなかったでしょうね?

 ん?

 どうなのかしら?」

 利華さんの体がビクっと震えた。

 そして、顔面が蒼白する。

「い、いやだなぁ」とひきつった笑顔で利華さんは振り向くと、真理子さんの腕にしがみついた。

「そんな事するわけ無いじゃないですかぁ」


 そして、幼子のように顔をすり寄せたりしている。


 ……いや、例えば小さい美希音さんあたりが、そんな事するわけ無いぞっ、とか言って、腕にぶら下がる様にぎゅっとするなら可愛らしいが、女子にしては背が高く、ヤンキー気質の利華さんが、体勢を無理矢理低くしつつしても不気味なだけだ。

 似たような感想を持ったのだろう亜矢が冷めた目で「ばっかじゃない」と呟いた。

 ただ、真理子さんはそれほど気色悪く思わないのか、それとも、慣れているのか、しょうがない子ね、というように、自分の腕にしがみつく利華さんの頭をなでていた。

「ところで、真理子さん」

とついでとばかりに利華さんはお願いをする。

「新太は初級レッスンを免除って事にしてもらえないですかぁ?

 その辺は、あたしがきちんと教えておきますから」

「あら?

 わたしの指導では不安なの?」

と真理子さんは笑顔で訊ねた。

「いやいや、そんなのはないけどさぁ」

と利華さんは顔を引きつらせつつ、慌てて首を横に振った。

「でも、いかんせん時間が無いじゃないですかぁ。

 音取りとかは、振り入れと平行して教えていこうかと」

「駄目よ」

と真理子さんは利華さんを腕から外し、きっぱりと言った。

「何でよぉ」

と利華さんが不満そうに声を上げる。

 真理子さんは人差し指を振りつつ答えた。

「それはね、一年生を最初に教えるのは三年生と決まっているからよ。

 だって、二年生に比べて一緒にいる時間が短いじゃないの。

 そういう、大切なものは奪わないで」

「うぅ」

と不満ながらも利華さんは反論できない。

「もういい」と顔を背け、そのまま離れていこうとする。

 が、「待ちなさい」と真理子さんは呼び止めた。

「何さ」と利華さんは不満そうな顔で振り向く。

 真理子さんはにこにこした表情でハッキリ言った。


「とにかく、新太に蹴ったことを謝りなさい」


 うやむやに出来るほど、真理子さんは甘くなかったようだ。



 利華さんは三度、僕に頭を下げて――というより、下げさせられて――シュンとしながら、武雄さんと同じく――でも、しっかり離れた姿見のある場所でストレッチを始めた。

 途中、僕に頭を下げる姿を、面白そうに、わざわざダンスを止めてまで見学していた武雄さんに突っかかっていきそうになったが、真理子さんの視線が怖かったらしく、一にらみしただけで終わった。


 僕たち左側に集まった一年生の前に、真理子さんは立つ。


 そして、「遅くなってごめんなさい」とまず頭を下げた。

 それから、ストレッチを一通り終えた後、「さてと」とにっこり微笑みつつ、真理子さんは説明を開始した。

「全くの初心者も半数以上いるみたいですし、今回は音取りについて教えます。

 経験者の方も、面倒がらず、一緒にやっていきましょうね」

「は~い!」

と保育所の先生に幼児が答えるような声が――とはいえ、男子ばかりの野太いものだが――軽運動室に響いた。


 隣でレッスンを受けている女の子たちのことは全く言えない。


 あきれた男どもだった。


「あんた」

と聞こえたので、前にある鏡越しに見た。亜矢がジト目でこちらを――同じく鏡越しだが――見ていた。

「マジ、キモい。

 幼稚園児か?」


 返す言葉も無かった。


 ただ、真理子さんは亜矢とは違い、「元気がいいわね」と楽しそうに微笑んでくれた。

 全く持って、アイドル資質過多な人だ。

 そこら辺、亜矢とは器が……。

 そこまで考えていると、亜矢が鏡越しではなく、わざわざ僕の方に軽蔑した目を向けてきた。


 む、心を読まれたか?


 それとも、顔に出てしまったのかもしれない。

 もしくは、またしても口に出てしまったのか。

 しかし、ここは一つ、言っておきたいことがある。

「そうは言うが、亜矢さん」

とわざわざ敬称付きで僕は言う。

「君が武雄さんに上げる声と何ら変わらないと思うんだが」

「はぁ?」と亜矢は顔をしかめる。

「全然一緒じゃないんだけどぉ」

「一緒一緒」

「一緒じゃないっての」

「客観視すべし」

「一緒にするなぁぁぁぁ!」

 僕は驚きのあまり、目を見開いた。

 亜矢は、噛みつきそうな顔で僕を睨んでいる。

 これは失敗した。突っつきすぎた。

 武雄さんをがらみだと、亜矢が感情的になることぐらい、予測できたものを。


「ご、ごめんごめん」と僕が素直に謝ると、亜矢は顔を赤め、気まずそうに視線を泳がす。


 きっと、大声で怒鳴ってしまったことが恥ずかしくなったのだろう。ちょっと、かわいいなと思っ――。


「仲良しになったのはいいけれど」


「わぁ!」と僕と亜矢の声がかぶった。

 視線を移すとすぐそばに真理子さんが立っていた。

 いつの間に来たのだろうか?

 あきれ顔で僕らを見ていた。


「レッスン中はおしゃべりしないでね」


「す、すいません!」

とこれまた亜矢とハモらせながら頭を下げた。


 周りから笑い声が聞こえる。


 これは恥ずかしい。

 顔が赤くなるのがわかる。

「気をつけなさいね」

と真理子さんはにっこり微笑んだ後、戻っていった。


 初心者で、期間限定の部員のくせに、叱られてしまった。


 利華さんの時みたいな、雷が落ちたような激しいものではなく、年の離れた弟や従兄弟に言い聞かす感じではあった。


 が、それでも、怒られたのだ。

 僕はショックに打ちのめされそうになった。

 亜矢に声をかける。

「ああ、叱られちゃったな。ちくしょう!」

 そんな僕に、亜矢が訝しげに一言返した。

「……っていうか、何でうれしそうなの?」


 なぜだか、うれしそうな顔になっていたようだ。

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