上達の近道論

 何事かと目をやると、女の子側の集団が振り返り、顔を紅潮させながら声を上げていた。僕も後ろを向くと、黒のノースリーブを着た男の人が中に入ってきた。


「あれが、義也さん」と亜矢が興味なさげに教えてくれた。


 印象としては、怖そうな先輩だった。

 色黒の整った顔に、眼光の鋭い目がどことなく不機嫌そうだった。五分刈に刈り上げた頭には、耳上から後頭部に向かって剃り込みが二本入っていた。

 存在感は凄くある。

 だけど、近くに来るまでは分からなかったが、僕のすぐそばを通り過ぎた先輩は、それほど背は高くなかった。僕より少し、高いぐらいだろう。


「おい、お前ら、黙って並べ」


 猛々しさすら感じる声で、義也さんは指図した。

 すると、先ほどまで騒ぎ立てていた女の子らは、素直に並び始めた。それに対して、義也さんは数人の女子に、位置の移動を指示した。

 どうやら、参加者全体に、指導者である自分の姿が見えるように並べているようだった。

 それを終えると、義也さんは僕らの方を見た。

「真理子に教わりたい奴は、もうしばらくストレッチでもして待ってろ」

 それだけ言うと、すぐに自分の受け持つメンバーに視線を移した。

「ストレッチのやり方から教えるぞ」

と床に腰を下ろした。


 一つ一つの動きが、洗練された感じがした。


 ただ、床に腰を下ろし、ストレッチを開始しただけなのに。


 カッコいい人っていうのは、こういうところから違うのかと、僕は感心した。


「亜矢が言わんとすることは分かったよ。

 要するに、教える人がイケメン、もしくは、美人だからって理由で選ぶのはいけない。

 そう言いたいんだね」

と、亜矢に確認すると、「まあね」と肯定する返事が返ってきた。


 僕は疑問を口にした。


「本来は男は男の先輩……。

 というか、先生?

 女は女の先生に教わるのが正しいの?」

「合っていると言えば合っているけど……。

 新太はさぁ、先生選びの基準ってなんだと思う?

 何が重要なのかとか分かる?」

 ん? 何だろう、と少し考える。

「上手い人?」

と当たり前の答えしか出てこなかった。

「それもあるけど五十点」

と亜矢は僕の答えを採点した。

 そして、「これはあくまでも、わたしの持論なんだけどさぁ」と、前置きをした。

「自分がその人の動きで踊ることを想像して、かっこいいと感じられるか?

 そういうダンサーになりたいと思えるか?

 これ、かなり重要」

「それはそうだね」

と納得する僕に対して、亜矢は話を続ける。

「で、先生を決めたとする。

 そして、今のを踏まえてレッスンを受ける時、上達の近道がある」

「それは?」

と僕は合いの手を入れた。

「先生の動きを徹底的に真似すること。

 肩の位置から、手の高さ、足幅など細かいところまで完全にコピーする。

 それがもっとも上達の早い方法なわけ。

 そうすれば、いつかはなりたいと思ったダンサーのように踊れるってこと」


 僕は納得出来たので、うんうんと何度も首肯いた――が、ふと小首をひねった。


 ん? それなら、別に同性と限定しなくても良い気が……。

 どちらにしても、同じ動きをすれば……。

「あ、体格か!

 徹底的にやろうと思ったら、同性の方が良いに決まってるってことだね」


 同じ人間でも、男女ではやはり体つきが違ってくる。


 言うまでもないが胸や腰の形が違う。

 背も男子の方が大体の場合高い。

 筋肉量も違う。

 それだけではない。

 肩幅一つとってもそうだ。

 男子の中で華奢な部類に入る僕でも、亜矢と比べると広い。

 こんなに違うのに、それに合わせようとしても無理が生じる。

 不自然なところが出てくる。

 そういうことか。

「そう」と亜矢は肯定した。

「そういう風に考えたら、ジャンルの違いとか学ぶ意図があるならともかく、選択肢が二つであれば自分と体格が近い人に教わった方がいいに決まってるって分かるわけぇ」

「なるほどね」

と義也さんが教えているグループと真理子さんが教えるグループを見比べた。


 何も分からない初心者や始めたばかりの人はともかく、明らかにやってたっぽい浩一君も、真理子さんの方にいるんだが……。


 まあもっとも、あの異様な雰囲気を持つ女子集団に恐れをなした人も多そうだが……。

 亜矢の話を聞いたからってのもあるだろうが、真理子さんグループにいる女子は、亜矢を含めて七人ながら、七人とも初心者にはない雰囲気を感じた。

 別に踊っているわけではない。

 ただ座っているだけだ。

 けど、格好もあか抜けた感じがするし、隣の人としゃべりながらやるストレッチも洗練されている気がした。

 恐らく、上級者だろう。

 亜矢と同じ考えの持ち主なのか、それとも、ただ単にあのキャッキャいいながらやっている集団に入りたくないだけなのか、それとも両方か。


 ん? 一人挟んだ前にいる子、よく見たら、一緒に組みたいといいつつ、利華さんの誘いを断わった女の子じゃないか。


 隣にいる男子と何やら談笑している。

 ヘタれたくせに生意気な。

「あの子、自信なさげだった割には上手かったから」

 心の中でつぶやいたのに、亜矢から返事が返ってきた。

 いや、つぶやいていたつもりだったが、声にでてしまったようだ。

 亜矢はあきれた顔で僕を見た。

「そんな恨めしい目で見るのやめなっつーの。

 自分がぼさっとしてて、あの人に捕まったんでしょ?」

 あの人とは当然、利華さんのことだ。

 名前を呼ばないのか。

 っていうか、そんな目で僕は見ていたのか。

「亜矢、勘違いしてるかもしれないが」と僕は弁明した。


「僕は恨んでいるわけではないよ。

 ただ昨日のことは、一生忘れないと誓っただけ」


「……あんたが粘着質ってことは、よく分かった」

 それに対して、僕が返事をしようとした時だ。

「よう!」と右肩を強く叩かれて、僕は飛び上がりそうになるほど驚いた。

 叩かれた――というより、強く手を置かれたと言った方が正解か。

 振り向くと、いたずらっ子の顔をした武雄さんが楽しそうにこちらを見ていた。

 片手には細長い携帯用スピーカーらしきものを持っている。


「武雄さん! 遅いぃ」と言ったのは、もちろん僕ではなく、亜矢だ。


 僕と話していたクールでいて熱いダンサーはどこかに飛んでいき、今や、イケメンの先輩に教わっているキャピキャピした女の子と何ら変わらないギャルに取って代わってしまった。

 もちろん、亜矢だって恋愛を否定していたわけではないことぐらい分かっている。

 ダンスとのメリハリであったり、レッスンへの心構えであったりについて、説いていただけだ。


 しかし、亜矢さん、メリハリつけ過ぎじゃないですか?


 などと、当然声には出さず。武雄さんに頭を撫でられている亜矢を、眺めているだけの僕であった。

「新太」

と亜矢の頭から手をどかし、武雄さんは僕に話しかけて来た。

 ニヤニヤ顔が実に嫌らしい。

「なんだお前、結局入ることにしたのか?」

「期間限定ですが」

と僕が肩をすくめて答えると、探るように、目を細めて顔を近づけて来た。


 僕は思わず、後ずさんだ。


 相手は男なんだが、顔かたちが整った先輩に顔を寄せられると、何ともいえない恥ずかしさが沸いてきた。

 美男美女とは何とも、厄介な生物である。

 そんな僕の心の内を知ってか知らずか、武雄さんは僕の頬を軽くつねった。

「お前……。

 真理子さんか利華――いや、真理子さんは無いか。

 利華となにか裏取引をしたんじゃないだろうな」


 ふむ、なかなか良い突っ込みだ。


 だが、僕にとってはなんでもないことだった。

 パンツうんぬんは利華さんが勝手に騒いでいただけで、僕はそのために動いたわけではけしてない。

 ……結果的に勝ってしまったとして、その取引の有効無効はその時になってから論ずるべきこととして、僕は武雄さんの勘ぐりを鼻で笑い、断言した。


「やだなあ、武雄さん。

 そんな物はないです。全くないです。

 利華さんがどう思っているか、どのように勘違いをしているか分かりませんが、そういったたぐいのものを僕は積極的に得るための行動など一切しておりません」


「なるほど……。

 利華は何かしらの餌を提示した。

 が、それはお前にとって魅力的だが、明言し難い内容だった。

 だから、ダンス対決に付き合うのは、そのためではないと言いつつ、すべてが終わったあとに、交渉の余地を残して置いたわけだな」

「なにを言っているのやら」

と僕は余裕の笑みを浮かべながら首を横に振った。

 そして、思った。


 なぜ、そこまで読まれた!? 


 武雄さん……恐ろしい先輩!

 要注意人物として、僕は記憶しておくことにした。

 っていうか亜矢さん、ゴミ虫でも見るような視線をこちらに送らないで下さい。

「まあいいさ」と武雄さんは手を振って僕らから離れていく。それを、亜矢は名残惜しそうに見送った。



 軽運動室の壁際には木製の衝立が並んでいるのだが、武雄さんは、その一つを掴むと、さり気ない感じで裏返した。

 すると、ガラスの面が現れた。

 恐らくは、大鏡などを使えない人用に、用意されたものだろう。

 武雄さんはその隅にスマホとスピーカーを置き、慣れた手つきで操作した。

 そして、鏡の前に移ると、腰を下ろした姿勢でストレッチを始めた。

 いろんな音楽が入り交じっている軽運動室に、トランペットの軽快な音が混ざる。

 何となく、それを眺めていると、「あんたさあ」と亜矢が声をかけてくる。


「ロッキンって、見たことあるの?

 ……無いか」


 疑問と結論を亜矢は勝手に出す。とはいえ、僕は肯定するしかないので、首を縦に振った。

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