出たぁぁぁ!

 僕は丁寧に忠告をする。

「だったら、僕を部活に引き込もうとするのやめた方が良いんじゃないですか?」

「何でだ!」

「利華さんの乱暴狼藉の数々……。

 しれたら確実に怒られます」

「うっ!」と利華さんは仰け反る。

 が、すぐに持ち直した。

「お前が言わなければいいだろう」

「絶対、言います!」

「なんでだぁぁぁ!」

 利華さんは叫ぶ。『何でだ』二回目。僕はきっぱり言い切った。

「真理子さんの方が偉いからです!」

「長いものを巻くのか!?」

 惜しい! 長い物には巻かれろ、ですね。

 ちょっと、意味合いは違いますが。


 利華さんはヒステリックに叫んだ。


「真理子さん、真理子さんって!

 真理子さんなんか関係ないだろう!?」

「なにが、わたしなんかで。

 なにが、関係ないの?」

「いや、だから……」


 何か言いかけた利華さんは固まった。


「え?」

 僕は声のした方を向いた。

 そして、声を上げようとした、その時、


「出たぁぁぁぁ!」


と、利華さんの絶叫が軽運動室中に響き渡った。


 驚きのあまり、体がビクッと震えた。

 実沙さんも美希音さんも目を見開き、仰け反っていた。

 いつの間にか、真理子さんが制服姿のままで、利華さんの後ろに立っていた。


 真理子さんも利華さんの声に驚いたようで、「まあぁ?」と声を上げた。


「ちょっとなぁに?

 その出たぁぁぁぁって。

 何で、お化けみたいな扱いを受けなくてはならないの?」

 利華さんは一歩、二歩と後ずさり、「だ、だって……」と喘ぎながら答えた。

「いきなり、現れたんだもん!

 し、心臓が止まるかと思った」

 この意見に僕も同意出来た。

 本当に何の前触れも、何の予兆もなく、しかも、ごく普通にそこに現れた。


 真理子さんは困ったように首を傾げた。


「別に、いきなり現れた訳じゃないんだけど……。

 あなたたちが話をする事に夢中で気付かなかっただけじゃない」

 確かに、話に夢中だったが――そんなに気付かないものだろうか?

 こんなに存在感のある人が……。

 でも、真理子さんの、澄んだ薄茶色の瞳に見つめられて――そして、微笑まれて――そんなことどうでも良くなるほど、心臓がドキドキした。


 ああ、この人はとにかく、美しすぎる。


「あら、新太じゃない。

 遊びに来てくれたの?

 何だかんだいって、うちの部の事を気に入ってくれたのかしら?」

 あなたに会いに来ました――と、韓流ドラマばりのくさい台詞が頭をよぎった。

 そう言いたくなる魅力がこの人にはあった。

 どうしよっかな、言っちゃおうかな。

 と、誰かが僕の肩に手を置く。


「そうそう、気に入ったんだよなぁ、新太」


 目線を手の主に移せば、片目をぱちぱちしながら合図を送る利華さんがいらっしゃった。

 なので、僕は期待に応えることにした。

「いいえ、真理子さん。

 この先輩に無理矢理連れてこられました!」

「何でだぁぁぁぁぁぁ!」

 利華さんが絶叫する。

「何、怒っているんですか?

 素直に答えるよう合図をくれたんじゃ――」


「そうなの?」


 たった一言で空気が凍った。

 美希音さん及び、小さい先輩に引きずられるように実沙さんが――軽運動室にいた部員全てが、さーっと出口から外に逃げていく。


(ちょっと、僕も連れて行って下さいよ!)と心の中で叫んだ。


「あなた、無理矢理連れてきたの?」

 真理子さんの視線が、冷たく、鋭く、利華さんを貫いた。

 利華さん――本気で怒られたら泣くと言い切った利華さん――既に、半泣きになっていた。


 こ、怖すぎる!


 こんな事なら、言葉を濁せば良かった。


 ま、真理子さん、美しすぎる真理子さん。

 怖すぎる真理子さんになってますよ。

「あ、うう……」

 利華さんは言葉になっていない声を漏らす。

「何を言ってるの?

 ねえ、何を言っているのかしらっ?」


 利華さんはくるっと後ろを向いた。


 そして、「ご、ごめんなさいぃぃぃぃぃ!」と出口に向かってダッシュした。

「逃げた!」

「まあぁ」


 気がつくと、広い軽運動室に、僕と真理子さんしか残っていなかった。


「新太」

と真理子さんが済まなそうに僕を見る。

 お怒りモードが解けたようだ。

「ごめんなさいね。

 利華には昨日、きちんと話したつもりだったのに……。

 あの子のこと、少々侮っていたのね。

 ……あとで、きっちり言い聞かせるから」

「いえいえ、気にしないでください」

と僕は引きつった笑顔で答えた。


 利華さんには、散々ひどいことをされたが、さすがに泣かせるのは心苦しい。

 気の毒すぎる。

「確かに、強引に連れてこられましたが……。

 また、真理子さんとお話しできたし、逆にラッキーかなぁ、なんて」

「まぁ」

と言う真理子さんは、口元に手をあてて、上品に笑う。

「それは、光栄の至り。

 ふふふ。そういうことにしておきましょう」

 真理子さんは、僕が利華さんを庇うための発言だと思っているだろうが、実際の所、本当にラッキーとも思っていた。

 だって、こんな美しい人と話す機会なんて、僕の人生でもう二度と無いかもしれない。

 それぐらいのことだ。


「そうそう」

と真理子さんは僕に微笑みかけた。


 先ほどとは逆の意味で恐ろしい――キラキラ輝く表情だ。

 この先輩は僕を失神させるつもりなのか、などとアホなことを真面目に考えてしまった。

「アトラクション研究部はどうだった?

 気に入ったかしら?」

「ええ」と僕はどぎまぎしないように努力しながら答えた。

「楽しかったですよ!

 ちょっと変わってはいましたが、皆さんいい人ばかりでしたし」


 アトラクション研究部は本当に楽しかった。


 ストリートダンス部の部員のような華やかな人はいなかった。規模だって大きくないし、人数だって新入生を合わせても二十名ほどだった。

 それでも、落ち着ける場所だった。

 ハッキリ言ってホームグラウンド、ストリートダンス部とは違い、自分の居場所だと感じられた。

 おしゃれとか、今時とかじゃなくても、熱く語れる場所だった。

「そう」

と真理子さんは優しく頬を緩めた。


 この先輩は他の部に行った下級生にも優しい。


 本当に、好きになる要素がてんこ盛りの人だ。

「実は、アトラクション研究部とストリートダンス部が共同でイベントを行なうって話も上がっているの。

 そうなったら新太、あなたとも一緒に舞台に上がることになるかもね」


 あぁ、真理子さんと一緒に何かできる。


 それは、とても魅力的なお話だった。


 だが、残念ながらそれに対して、力なく微笑むしかなかった。


「いや、真理子さん。

 僕は舞台に上がらないですから」

「上がらない?」

 真理子さんは小首を傾げる。

「ええ」と僕はハッキリ言った。


「アトラクション研究部に入っても、舞台には上がらないと決めていますから」


 僕の言葉に真理子さんは驚いたように目を大きく見開いた。

 でも、それは一瞬のことで、優しく、姉が幼い弟にするように、「どうしてか、教えてくれる?」と訊ねてきた。


 僕は理由を話そうかどうか、一瞬迷った。


 でも、真理子さんになら話しても良いか、と思った。

 そう思わせる雰囲気を、真理子さんは持っていた。


「実は、もう二度と舞台には上がりたくないんです。

 上がるのが怖いんです」


 胸が苦しくなった。


 あの時のことを思い出して。


 まぶしく光る照明――。


 闇に染まっている観客達――。


 顔を引きつらせる共演者――。


 皆沈黙して、物音一つ聞こえない。


 僕はそこで立ち尽くしていた。


 そんな、情景が脳裏にちらつき、座り込みそうになった。

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