予期せぬ言葉
「新太」と真理子さんが心配そうに僕の腕に触れた。
その温かなぬくもりで、ほんの少し落ち着きを取り戻した。
「僕には仲が良かった幼なじみの女の子がいたんです。
小さい頃から、よく遊んだし。
よく喧嘩をしたし。
よく一緒に泣いたし。
当然のように、近くにいる筈の女の子でした。
でも、そんな彼女が中学三年の時にアメリカに引越すことになったんです。
親の転勤で仕方が無く。
だから、僕は……。
僕らは……。
舞台女優になる夢を持った彼女に良い思い出を作ってもらいたくって、文化発表会で彼女を主役にした劇をやったんです。
クラスみんなで行なう最後の思い出にしてもらおうと思って。
でも……」
僕は少し苦しくなり、一呼吸置いた。
「でも、本番で僕は棒立ちになってしまったんです。
舞台の上で頭が真っ白になり、言わなくてはならない台詞があったのに、何も言えなくなってしまったんです」
泣き顔が目に浮かぶ。
あの時、僕は彼女のそんな表情は見ていない。
にもかかわらず、僕はその涙をハッキリと頭の中で描くことが出来た。
それだけ、昔から僕は彼女の様々な表情を、様々な場面で見てきたのだ。
僕は真理子さんに対してハッキリと言った。
「だから僕は、もう二度と舞台に立たないと決めたんです。
以前、偶然見たアトラクション研究部の演劇が気に入り、入部しました。
でも、それは舞台に立つためではなく、舞台に出る人達の近くにいて、少しでもその空気を吸っていたい。
部の人らの熱気を感じていたい。
その思いだけなんです」
本当は、利華さんのそばにいたかったからだが。
でも、それを抜きにしてもアトラクション研究部に魅了され始めていた。
僕を立ち直らせてくれたのは、利華さんだけではなく、アトラクション研究部でもあるのだから。
真理子さんは、僕が熱弁するのを真剣な表情で聞いていた。
そして、僕が話し終えると、どういう訳か静かに目を閉じて、少し考え込んだ。
僕は変なことでも言ったのかと不安になり、「真理子さん?」と声をかけた。
「アトラクション研究部の部長さんは、なんて言ってるの?」
と、不意に真理子さんは訊ねてきた。
僕は困惑しながら答える。
「舞台に出ないって事ですか?
全然構わないって言ってくださいました。
裏方でやって貰いたい仕事も多いからって」
「そう」と真理子さんは頷くと目を開いた。
そして、「新太」と僕の方にニッコリと微笑みかけた。
「あなたはやはり、新参パーティーに参加しなさい」
「は、はぁ~?」
僕は思わず声を上げた。
真理子さんは僕の右手を両手で強く握り、そして、力強い視線を向けてきた。
「わたしは今、確信した。
あなたは、新参パーティーに参加すべきよ」
「な、なななな……」
驚き、そして、庇ってくれるはずだった人からの予期せぬ言葉に、焦り混じりの感情が湧いてきた。
「なに言ってるんですか!」
と僕は不覚にも、美しい先輩に怒鳴ってしまった。
「どういう流れで、そうなっ……」
言葉は強制的に止められた。
別に口をふさがれたわけではない。
ただ、真理子さんが僕の手を掴んだ状態で、自分の胸元近くまで持ち上げただけだ。
無論、真理子さんの胸が僕の手に当たっているわけではない。
ただ、その聖域、神域とも呼べるエリアに突如近寄ってしまった手の行き先について、有り得ない領域まで妄想の翼が大きく広がってしまったのだ。
あと数センチ、あと数センチ……。
しかし、そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、真理子さんは優しく微笑んできた。
「とりあえず、あなたは舞台に上がるべきよ。
それも、今、このチャンスにね」
「チャ、チャンスって?」
と僕が訊ねると、「チャンスじゃない?」と真理子さんは続ける。
「あなたは一年、しかもダンスの初心者。
もし舞台に上がって失敗したら、みんなはどう思うかしら?」
真理子さんが言わんとすることは分かった。
「下級生だから、未経験者だから仕方がない」
「その通り!」
と真理子さんは頬ずりでもしそうな勢いで、僕の手を自分の顔の前でぎゅっと握った。
そして、一瞬、懇願するように上目遣いをした。
は、反則でしょう!
僕はその表情が余りにも愛らしくて、思わず叫びそうになった。
年上の――美しいという表現が似合う先輩が、幼い少女のような雰囲気を出して、薄茶色の瞳で見上げてくるとか。
生まれて初めて上目遣いが、兵器になりうることを知った。
腰が砕けそうになった。
わざとじゃないかもしれない。
だけども、僕は真理子さんを傷害罪で訴えたくなった。
しかし、この上級生は、そんなことお構いなしに話を続ける。
「それだけじゃない。
新太はもともと、アトラクション研究部に所属するはずだった。
でも、強引に誘われて、出演せざるえなかった。
やる気はなかった。
どう?
失敗した時のいい訳が沢山出来た!
もう、怖いもの無しじゃない?」
確かに、多少は楽になるかもしれない。
無責任になればなるほど、気が楽かもしれない。
慣れるために、ちょっと出てみようかなと人によっては思うかもしれない。
ただしそれは、舞台に上がったことがない人間だったらだ。
舞台で失敗したことがない人間だったらだ。
舞台が怖くなったことがない人間だったらだ。
責任の有無じゃない。そんなものでは語れない。あの恐怖は――あの孤独は――。
みんなが待っている。
僕が何かを言うのを待っている。
僕が何かをするのを待っている。
まぶしいくらいに照らされた中、暗闇の中に名も知らない人達が、僕を見つめている。
そして、僕の全てを評価している。
そんな場所に立つのが、怖くて、怖くて仕方がないんだ。
だから、僕はきっぱりと言った。
姿勢を正し、しっかり目を見つめて言い切った。
そうじゃないと、きちんと伝わらないからだ。
「すいません!
僕は舞台に上がりたくありません。
本当に上がりたくないんです!」
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