袖振り合うも多生の縁?

 軽運動室では、早々とやってきていた部員らしき人が数人、音楽をかけながら談笑していた。

 そんな中に、動物園に連れ込まれた野生動物のように怯えた僕は、利華さんにいきなり胸元を掴まれた。

 そして、何を? と訊ねるまもなく、おりゃ! と僕はひっくり反るように投げられた。

 背中から地面に落ちたからか、あまり、痛くはなかった。

 利華さんの投げ方が上手かったのだろう。

 しかし、何のために……。


 いや、何となくだが意味はなさそうだ。


 流石にむかっと来て、苦情を言うために起き上がろうとした。

 が、そんな僕の胸を、利華さんは踏んづけた。

 背中に衝撃が走る。

 危うく、後頭部も打つ所だった。


 この先輩、無茶苦茶だ。


「おぉぉ、本当に連れてきたのかぁ?

 連れてきたの~か~?」

 上の方、いや、倒れている僕の頭上側から声が聞こえた。

 視線を移すと、赤いアロハシャツ姿の美希音さんがニヤニヤ笑いながら近寄ってくる。

「ちょ、ちょっと可哀想じゃない~」

 駆け寄る足音と共に、ジャージを着た実沙さんが現れた。

 そして、利華さんの腕を引っ張る。

「それに、スカートの中が見えちゃうよ。

 ホントにぃ」


 ス、スカートの中!


 僕は慌てて起き上がった。

 顔が熱くなる。

 いきなり投げ飛ばされ、踏みつけられたから忘れていたが、短いスカートで一連の所行を行なっていたんだ。

 見えたかもしれない、と馬鹿みたいにもやもやしてしまった。

 が、「大丈夫大丈夫と」利華さんは実沙さんに向かってなんてことない風に答えた。

「ちゃんと、ハーフパンツ穿いてるし」

 そして、スカートの中に手を突っ込むと、ごそごそやり始めた。

 すると、水色のハーフパンツが現れた。

 というより、裾を折り曲げて、一見だけではそれが見えないようにしていただけだった。


 まあ、見るつもりはなかったから良いんだけどね。


 しかし、釈然としない何かが、やるせない何かが、しこりのように残った。

 この感情は何だろうか。


「スケベだなっ」


 耳元で声が聞こえ、ビックリして体が震えた。

 そして、「初めまして、美希音さん」と隣にいるちっこい先輩を睨んだ。

「で、何で僕はこんな目にあってるんですか?」

「お? わたしの名前を知っているのかっ!

 偉いなっ!」

と何故か頭を撫でられた。

 子供にされているみたいでなんか嫌だ。

「あと、新太がここに連れてこられた理由なんて、明々白々じゃないかぁ」

「どこがですか!

 そもそもですよ。

 僕はダンス未経験者で、更に言うなら、部外者ですよ。

 しかも、昨日出演を断ったじゃないですか。

 なのに、何で僕なんですか!?

 さっきだって、利華さんのファンが沢山、名乗り出たのに、脅して追っ払って……。

 彼らの中から選べばいいじゃないですか!」

「あぁ」

と、よく分からない声を漏らしながら、利華さんは考え込む。


 あ、この人、討論が苦手そうだ。


「あれだ、あれ」

と何か思い付いたのか、利華さんは指を鳴らした。

「『袖振り合うも多少なりとも縁』っていうだろう?

 あたしはそれに感銘して、ちっちゃい縁も大切にしているんだ」

 そして、良いことを言ったとばかりに、満足げに何度も頷きながら反芻している。


 ……それをいうなら、『袖振り合うも多生の縁』です。


 意味も違います、と突っ込みたかったが、また蹴られるので、代わりに実沙さんを見た。

 僕と目が合った実沙さんは、僕と同じく困った顔で苦笑いをした。

 もし、ことわざ通りだったら、この微妙な状況に陥ったことも、宿世の因縁ってことか。


「ぷぷぷ」と吹き出しそうなのを堪えつつも、美希音さんは利華さんの腕を手のひらで叩いた。


「説明を端折るなっ。

 無理にことわざを使うなっ。

 無駄に知的な会話をしようとするなぁ。

 今まで散々、みんなに突っ込まれてきたじゃないかっ!

 馬鹿なんだからさっ!」

「うっさい!」と利華さんは怒鳴った。

 が、それを無視して、美希音さんは僕に向かって話し始めた。

「実はなっ、昨日、新太が出て行った後、もう一度参加メンバーを募集したんだけどなっ。

 嫌われ者の利華とやりたがる奴は誰一人いなかったんだぞっ。

 ぷぷぷっ!」

「なにが、ぷぷぷだ!」

と突っかかる利華さんを制止ながら、実沙さんが後を続けた。

「一対一だったり、他学年を相方にすることは真理子さんが頑として認めなかったの。

 じゃあどうするかって事になって……。

 そしたら、部外者はどうだって、利華が言い出したの。

 でも……。

 新太、利華ファンの面々と対面したでしょう?」

「ええ、まあ……」と苦々しく僕は頷いた。

 実沙さんは一つため息をつき、そして、「要するに」と説明する。

「部外のメンバーも認めてしまうと、あの人達の誰かが参加することになるの。

 人の迷惑を顧みないあの人達が」

「あぁ、なるほど」と僕は頷いた。

 先ほどはせっぱ詰まっていたので、あの人らが参加表明をした時は喜びもした。

 しかし、冷静になってみると、まずい気がする。

 朝から他所のクラスに乗り込んできて、ぎゃあぎゃあ喚き散らしていた彼らである。

 どんな、問題を引き起こすか分かったもんじゃない。

「利華をアイドル視しているファンを内部に入れることも問題ね。

 でも、それ以前に今回の主旨に反しているって。

 覚えてる?

 何で、一年生を巻き込んで対決することになったのか?」

「ええ」と僕は返した。

「喧嘩に巻き込まれた一年生たちにとって有意義なものにする――でしたね」

「そう。

 だったら、部外者を加えるとなると本末転倒ってこと。

 しかし、部内ではやる人はいない。

 で……」


 困ったように微笑みながら実沙さんは僕を見た。


 僕は顔が引きつるのを感じた。

 頭の中で危険を知らすサイレンが鳴り響く。

 何となくオチが分かってきた。

 なので僕は、「なるほどぉ」と声を上げた。

「それで、無効試合になったんですね。

 それじゃあ、仕方がぁぁぁぁ」


 思いっきり頬をつねり上げられた。


 目の前に凶悪な笑顔がドアップで現れた。

 もちろん、利華さんだ。

「結局、お前になったんだよ。

 理解出来たか。

 ん?」

「やめなよぉ」

と実沙さんが止めに入ったので、ようやく離してくれた。

 ちぎれるかと思った。

「大体なぁ。

 アトラクション研究部なんて、やめておけ。

 まじで」

「なんでですか?」僕が訊ねると、「あそこはなぁ」と利華さんは人差し指で僕の頬を突っついた。

「戦隊ものやら美少女ものやらやってる所だろう。

 あんなところにいったら、変な目で見られるぞ。

 キモイとか言われるんだ。

 うちの部にしとけ!」


 数ヶ月前に、そんなところの舞台に立っていた人の言うこととは思えない、辛辣な発言だ。


 あの日、いったい何があったのだろうか?


 他の先輩に視線を向けると、両先輩とも微妙な顔をしていた。


 コメントしにくいってことかな。


「おい」と鼻を摘まれ、そのまま、強引に利華さんの方を向かされた。

「人の話を聞け!

 そして、出演するのは決定事項だ!」

と、思いっきり引っ張るようにして鼻を離した。


 イッタイ……。少し涙が出てきた。


 もう嫌だ、この先輩。


「真理子さんはどこに行ったんですか?

 あの人さえいればこんな目には……」

 利華さんが顔を引きつらせた。

 なぜか引きつらせた。

 僕がただぼやいただけなのに……。

「来るんじゃないかっ」と美希音さんが、ククク、と笑う。

「『噂をすれば影がさす』って言うし」

「よ、よせ……。

 真理子さんは今、新参パーティーの事で、生徒会に行っているんだ。

 す、すぐにはやってこないはずだ」

 利華さんは軽運動室を怖々と見渡している。


 亡霊か何かを恐れているような雰囲気だ。


 ひょっとしてこの人、真理子さんのことが……。


 僕は神妙に頷く。

「そうですね、真理子さんの噂をすると当人が現れる。

 全くもってあり得る話ですね」

「おい、余計なことを言うな。

 今、あの人は関係ない」

と、利華さんは釘を刺す。

 僕は確認した。

「そうですね。

 天野真理子さんの事は、今は関係ないですね」

「そうだろう」と、利華さんは肯定する。

 僕は再度確認した。

「あの学内のアイドル、真理子さんの話は今、関係ないって事で良いですね」

「しつこいなぁ!

 そうだって言ってるだろう?

 お前、馬鹿じゃないのか?」

と、利華さんは悪態をついた。

 僕は再々度確認した。

「絶世の美女である真理子さん、美しすぎる部長である真理子さん、みんな大好き真理子さん。

 そんな、真理子さんの話は、今のところ関係ないってことと理解しても良かったんですね」

「……お前、わざとやってるな」


 あ、やっと気付いた。


 僕は更に続ける。

「いやぁ、しかしですよ。

 僕は生まれてこの方、真理子さんほど美しい人に出会ったことはありません。

 それだけで、僕はこのがっこぉぉぉ!」


 両頬を思いっきり抓り、引っ張り上げられた。


 利華さん、本気だ。

 本気の目で僕をつり上げようとしている。

 っていうか、既に僕はつま先が浮きかけている。

 頬がちぎれそうに痛くて、利華さんの手をパンパンと叩きギブアップとアピールした。


「ス、ストップ!」と実沙さんが止めに入る。


 ドン、と僕は尻から地面に落ちた。


「痛すぎですよ!

 無茶しないでください!」

 僕は頬と尾てい骨が痛くて、非難の声を上げた。


 まあ、意趣返し的嫌がらせをした僕も悪いけどね。


 利華さんは顔を真っ赤にして、息を切らしつつ僕を指さした。

「お前、本当に洒落にならんからやめろ!

 何の恨みがあるんだ!」

 え? 沢山ありますが、と言いたかったが、それよりも、先ほど思い立った疑問をぶつけてみた。

「利華さんって、真理子さんが苦手なんですか?」

 ひょっとしたら、隠すかな?

と思ったが、利華さんはきっぱりと言い切った。


 これ以上ないってぐらい言い切った。


「あたしは、真理子さんが苦手なんじゃない。

 怖いんだ!」

「怖い!?」

「本気で怒られたら、あたしは確実に泣く!」

「そこまで!?」

 僕は実沙、美希音両先輩を見た。

 お二人とも、僕と目が合うと深く頷いた。


 嘘とか大げさではないようだ。


 一見するだけでは、あの美しすぎる先輩はそこまで怖そうには見えないのだが……。

 でも、僕は恐らくその一端を見ていた。

 昨日、亜矢さんが利華さんに、恐らく言ってはいけない言葉を投げかけた時だ。

 たったの一言二言で、亜矢さんは泣きそうになっていた。

 そう考えると、利華さんの言うこともうなずけた。

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