恐るべき取引

「それにしても、利華さんの人気は異常だね」

 僕が話題を変えたので、浩一君は嬉しそうに答えた。

「あれだけ奇麗で、しかも、ダンスが上手いんだ。

 ファンも増えるさ。

 しかも、校内だけではなく、あの人の場合は全国区だからな。

 ……ただ、利華さんだけ人気がある訳じゃないぞ」

 そう言うと、手に持っていた鞄から、折りたたんである紙を取り出した。

 そして、それを僕の机の上で、丁寧に開き始めた。


 どうやら、それは校内新聞のようだった。


 ほらここ、と浩一君が指さす。僕はそれに気づき、顔を引きつらせた。

 そこには、学内人気生徒ランキングが載っていた。

 こういうのって、アニメや漫画の世界だけかと思っていたのだが、実際にやっているんだ、という感想もある。

 が、それだけじゃなかった。


「ほとんど、ストリートダンス部のメンバーじゃないか」


 僕が呟くと、浩一君はしたり顔で見てきた。

 とにかく、男女とも凄い。一位から五位まで載っているのだが、知っている名前が四人もいた。

 女子生徒一位、天野真理子さんは、あの美しすぎる先輩だ。

 女子生徒二位、藤原利華さんは、もちろん、あの利華さんだ。

 女子生徒五位、小倉実沙さんは、利華さんが喧嘩した時、必死で押さえていた、背の高い先輩の事だろう。

 男子生徒二位、椎名武雄さんは、当然、あのイケメン先輩の事だ。

 さらに、名前は知らないが、ストリートダンス部所属とされている三年生の男子が二人も載っていた。

 つまり、男女会わせて十人中、ストリートダンス部が六人も占めているのだ。

 ちなみに、うちの学校は一学年につき六クラスある、そこそこ規模の大きい高校だ。

 そう考えると、かなりの割合だ。

 浩一君は自慢げに言う。

「裏情報だが、ここには載っていない、女子生徒六位は美希音さんだったらしい」

「あの小さい先輩も人気があるんだ」

と、言いつつも僕は納得していた。

 納得できるほど、愛らしい容姿をしていたからだ。

「どうだ?」

「?

 どうだって?」

 僕が訊ねると、浩一君はニカッと笑った。

「やっぱり、ストリートダンス部に入れば良かったと思っていないか?」

 どうしたら、そういう帰結になるんだか分からなかった。

 なので、小首を傾げると、浩一君は苦笑いをする。

「これだけのメンバーと一緒に練習できるなんて凄いと思わないのか?

 上手く行けば、一緒にイベント出られるんだぞ。

 最高じゃないか!」


 ああ、確かにそういう考えを持つ人もいるだろうなぁ。


 ダンスをやった事がなくても、男だったら、あんな美女達と一緒にいられると思うだけで、気持ちが高まるものだろう。

 かくいう僕も、そう考えると、心揺さぶられるものがあった。

 が、それはそれ、である。

「ストリートダンス部みたいに洒落た場所、僕には合わないよ。

 場違いというか、居心地も良くないし」


 誰もがあか抜けた感じの部員、花のある上級生たち。


 映画のワンシーンのようだった彼らのやり取り。


 全てがスマートだった。


 僕にはスマートすぎた。


 そういった、『マリ○様が見てる』系だったり『N○NA』系だったりなシーンは端から見ているのが良い訳で、当事者になろうなんて、自惚れもないし、そもそも、キャラじゃない。

 それに、格好良かったり、美しかったりする、そういう漫画とかアニメも見てはいるけど、個人的には暑苦しいと言われても。臭いと言われても。無骨と言われても。気持ちが熱くなる作品が好きだった。

 アイレン少女隊や数多くの戦隊ものでいうと、最初っから最後まで強くて、敵を華麗にやっつけているのが、ストリートダンス部だ。

 それよりも、強敵に苦しんで、苦しんで、最後に勝つ。

 僕はそういう話が好きだった。

「そうか。

 まあ、人それぞれだしな」

と浩一君は肩をすくめた。

 そして、黒板の上にある時計を見た。

「お、もうこんな時間か。

 早く部活に行かないと。

 さすがに一年が上級生より遅いのは問題だもんなぁ。

 途中まで一緒に行こうぜ」

と、浩一君が誘ってきたので、僕は忘れ物がないか腰を曲げて机の中を調べる。


 突然、乱暴に戸を開く音が、クラス中に響いた。


 僕は中腰の姿勢でそちらを向く。

 そして、顔が強ばった。

 獲物を探す狼のように、目をぎらつかせた利華さんが、戸口に立っていた。


 僕は躊躇無くしゃがむと、そのままの姿勢で、こそこそ、移動する。

 違うかもしれない。僕を探しに来たわけではないかもしれない。しかし、君子を相手にするがごとく、近寄らずだ。


「おい、お前!」


 僕の体がビクッっと震えた。

 心臓がどきどきと鳴り響く。

 恐る恐る、様子を伺うと、利華さんの視線は僕の方を見ていなかった。

 ホッとする。

「お前、ストリートダンス部だな」

 どうやら、浩一君に話しかけているようだ。なんだ、彼を探しに来たんだ。

「新太って奴はどこに行った?

 どこに行きやがったんだ!?」

 やっぱり、僕だった!

と心の中で叫ぶと、音を立てないように再度、移動を開始した。

 とにかく、出来るだけ見つからない場所に移動しなくては。


「新太ですか」


 浩一君が口を開く。

(何とか、やり過ごして! 頼んだよ!)僕は心の中で懇願した。


「そこにいます」


「お、おぃぃぃぃ!」

 思わず、僕は声を上げた。


 何言っちゃっているんだ、この人。


 彼の方を向くと、ご丁寧に指さし報告をしているのが見えた。

 浩一君の顔は引きつっている。

 さては、利華さんの剣幕に負けたな。

 どかどかと足音が聞こえる。そして、僕の目の前に紺色のスカートが現れた。

 恐る恐る視線を上げると、利華さんが仁王のような顔で僕を見下ろしていた。

「何してる」

「な、何って……」

「何してるか、訊いている!」

 僕は反射的に起立をしてしまった。

 利華さんは僕と身長がほぼ同じのようで、最短距離できつく睨まれた。

「い、いやあ、落とし物を捜して……」

「明日にしろ!」

 切り捨てられた。

 そして、僕の胸元を掴むと、がんがん前に押してくる。

「ちょ、危ないですって」


 言っても、全く聞く耳を持たない。

 僕はバランスが崩れそうになるのを何とか堪えながら後ずさったが、膝に何かが当たり、尻からすとんと落ちてしまった。ひやっとしたが、どうやら、椅子のようで、僕はちょうどそれに座る形になった。

 利華さんは冷ややかな視線で僕を見下ろす。

「な、なんでしょう?」と恐る恐る訊ねてみた。

「やっぱり、お前になった」

「は?」

「お前になったって言ってる!」

「な、何が!?」

と、言いつつ何のことかは僕にも分かっていた。


 利華さんも理解してることが分かっているようで、何も言わずに目がさらに険しくなった。

 ……ひょっとしたら、理解していると勝手に決めつけているだけかもしれないが。

「分かった」と利華さんはくるっと後ろを向いた。


 さすがに物わかりがいいと、僕は思わなかった。


 嫌な予感だけがした。


 利華さんは横着にも足で、近くの席から椅子を引き寄せた。

 そして、軽やかにその上に飛び乗ると、僕が座っている席の机にドンッと片足をのせた。

 僕は思わず仰け反るが、利華さんの手が髪をがっちり掴んで、そうさせなかった。

 しかも、その体勢から――器用というか、バランスが良いというか、椅子にのった左足をそのままのばし、右足は机の上に乗せてゆっくりと膝を曲げていった。


「ちょ、ちょ!」


 利華さんは僕が声を上げるのを完全無視した。

 僕の目の前には――僕の目のすぐそこには、利華さんの股が――広がっていた。


 顔がかぁぁっと熱くなった。


 視界中央には紺色のスカート――そこからすらっと細くて、血色の良い足が伸びている。覆っている生地がそもそも短くなっていて、しかもまくれ気味だったので、もう少しで下着が見えそうだった。

 こんな事を言うと、変態以外の何ものでもない。それは理解していたが、どうしても、どうしようもなくも、どうもこうも、致し方がない現実として、利華さんから、とてもいい匂いがした。

 無論、それは部分的な匂いではなく、利華さん自身の女の子的な匂いだった。


 僕の鼓動は激しく鳴り響いた。


「おい」と利華さんは僕に顔を近づけてくる。

 僕は引きつった顔で利華さんを見た。

 先輩は目を細め、妖艶に微笑んでいる。

 どことなく、猫を思わせた。


 本物の猫ではなく、イメージ絵の凶悪な猫だ。


「巻き込むんだから、ただとはいわない。

 ……勝てたら、いいもの見せてあげる」

「な、なにを……」

 鼓動で心臓が壊れてしまうのではないか、そう思ってしまうほど、激しく鳴り響いていた。

 利華さんはニカッと笑った。そして、僕の耳元に息を吹きかけながらささやく。


「勝ったらパンツ見せてやる」


 馬鹿じゃないですか? 僕は笑い飛ばそうとした。

 パンツなんて、きょうびの高校生にとって珍しくも何ともないし。

 うちの高校の女子だって、ほとんどの子がスカート短くしてるし、不可抗力ながらにも、偶然ながらにも、ちらっと見えたりしたのは一、二回では済まない。

 そんなもので、釣ろうなんてアマアマですよ、そう言いたかった。


 が、しかし、僕は言えなかった。


 今まで見たことがないぐらい近くにある、女の子の股関節、有り体に言えば股が、甘く鼻につく匂いが、頭を掴む手のぬくもりが、利華さんという美しい少女の存在が、僕の頭の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。

 平静を保とうとしても出来なかった。

 頭を壁に打ち付けたい衝動に駆られたが、利華さんにがっちり捕まれている現在、出来そうにない。

 いや、やれば逃れることは出来るだろうが、正直、現在の体勢で、利華さんのどこをどう触れて逃れればいいのか分からない。

 頭が本当にくらくらしてきた。

「利華さん!」

 誰かの声が聞こえた。

 視線を何とかそちらに向けると、いつの間にか人だかりが出来ていた。


 そのほとんどが、見知った顔だった。


 今日、朝からひっきりなしにやってきた、利華さんファンの皆さんだ。

「そんな条件――もとい、そんなにお困りであるならば、この俺がそいつの代わりに戦います!

 いえ、戦わせてください!」

 一人が言うと、俺が、わたしが、僕こそが、とわいわい言い始めた。


 た、助かった。


 こんなに、希望者がいるのなら、問題なしだ。

「あんたらの誰かで構わないけど……」

 利華さんは彼らを睨む――というより、ガンくれる。

「もし、負けたら半殺す!」

 サァー っと潮が引くように誰もいなくなった。

「なんてことを!

 せっかくの希望者があんなにいたのに!」

 僕が叫ぶと、「だまれ」と利華さんは殺気だった目で見下ろして来た。

 そして、椅子と机から降りると、僕の胸ぐらを捕まえて体を持ち上げる。

「あいつらの事なんて、どうだっていいんだ!

 見たいのか、見たくないのか?」

「え、ええぇぇ!」僕は思わず声を上げてしまった。

 そんな僕に苛立つのか、利華さんはグググッと手に力を込める。

「く、苦しいです!」

「どっちなんだ!」

「い、いや、ちょっとは……」

 僕は思わず本当のことを言ってしまった。


 とたん、利華さんはパッと手を離した。


 僕は勢いよく、お尻から椅子に落ちた。

 痛がる僕の目の前で利華さんはニカッと笑う。

 そして、僕の腕を掴むと、

「よし、行くぞ!」と強引に引っ張り始めた。

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