嘘も誤魔化しも無い言葉

 体育館シューズを鞄にしまっていた僕の手が一瞬止まった。

 武雄さんは更に続ける。

「ひょっとすると、一月にテレビ塔でやったアトラクション研究部のイベントを見に来ていたとか」

 僕はシューズを鞄の奥に押し込み、ファスナーを閉めた。

 そして、武雄さんを見る。


「ええ、そうですが。

 何でわかったんですか?」


「お?」

と武雄さんは意外そうな顔をする。

「否定するとばかり思っていたが」

 僕は小首を傾げた。

「否定する理由もなかったもので」

「ふ~ん」

と武雄さんはしげしげと僕を見る。

「いや、こういう場合は勢いで否定するかと思っていただけだ」

 それだけ言うと、武雄さんは外に向かってまた歩き出し、僕もそれに続く。

 もう一度、訊ねてみた。

「何で、テレビ塔で利華さんを見たって分かったんですか?」

「何でって」

と武雄さんは答える。

 その時、僕は武雄さんの横に並んだ。

「一点はさっき、アトラクション研究部と言うキーワードを出したからだな」

 それはそうだ。

 だが、それだけでは、僕と利華さんを結びつけるには無理がある。

「もう一点は……。

 いやなんて事もない」

と、武雄さんが僕に笑いかけた。

「お前が利華を付けていたのを見ていたからだ」

 あ~なるほど……。って、

「見てたんですか!?」

 み、見られていたのか。

 僕は瞬時にその光景をイメージした。

 前を歩く美少女、利華さんに、後ろを歩く怪しい少年、僕。

 人はそれをストーカーと呼ぶ。

 顔が熱くなってきた。

 今日、何度目の赤面だろう。

 人生最多記録なのは間違いない。

「い、いや、あれはそのう……」

「それについてはいい」

 僕が必死に弁解しようとするのを、武雄さんは制した。

 分かってくれているのかな? 

「クラスも名前も覚えたし、ストーカーの件は、後で先生にチクるだけだからな」

「た、武雄さ~ん!」

「冗談だ」

 はははっ! と武雄さんは笑う。

 人が悪い。

 本当に洒落にならないことを平気で言う先輩だ。

「でもな」とひとしきり笑った武雄さんは、話し始めた。

「初めはそう疑った。

 利華の奴はあの面だから、そういうことも結構あったんだ」

 なるほど、利華さんも真理子さんのように迷惑なファンに追いかけ回されたことがあるのか。

 それも納得できる。

「でもまあ」

と武雄さんは笑いながら僕の肩をぽんぽんと叩く。

「軽運動室でとか、真理子さんとの会話を聞いてる限りそんなタイプじゃないって分かったから安心しろ。

 っていうか、ストーカーやるような根暗が、あの真理子さんとまともに会話できるはずがない」


と、ここで真顔になった武雄さんは断言した。


「正面に立った瞬間に溶けてしまうからな」

「溶ける!?」

「いや、蒸発する」

「あの人が放つ熱量はそれほどなんですか!?

 いや、でも分かります!

 あの美しさ、あの輝きは半端ないですから!」

「そう」

と武雄さんは一呼吸置くように視線を静かに斜め上に向けた。

「あの人が好きか嫌いかは、男にとって常人か変人かと問われているのに近い。

 そういう人なのさ」

「言い切った!」

っていうか、ノッといて何だけど、真理子さんのこと好き過ぎやしないですか?

 もっとも、真面目に語っているようで、口元が半笑いだったから、冗談なのだろうが。


「着いたぞ」


 武雄さんは校庭の端っこにあるプレハブの前で立ち止まった。

 ストリートダンス部が使用している軽運動棟とは比べものにならないほど貧相でぼろかったが、そこそこ大きかった。

 教室一個強と言った所か。

 入口にアトラクション研究部というプレートがきちんと付けられているし、マイナーな部活と言うことを加味すればかなり良い施設なのだろう。

「ありがとうございました」

 僕は武雄さんに一礼すると、中に入ろうとした。

 だが、「ちょっと待て」と武雄さんに呼び止められた。


 振り返ると、少し思案顔の武雄さんがいた。


「あのな、利華についてだが……。

 テレビ塔の話をあいつに振らないでやって欲しいんだ」


 僕は武雄さんが何を言っているのかよく分からなかった。


 そんな表情が出てたんだろう、武雄さんは少し困ったような笑みを浮かべた。

「お前が見に行ったテレビ塔でのイベント……。

 あのあと、あいつは恐らく、今までの人生の中で一番の挫折を味わったんだ。

 だから、今は思い出させたくないんだ」


 何があったんですか?


と口に出しそうになった。

 だが、すぐに飲み込む。


 武雄さんの顔が本当に苦しそうだったからだ。


 出会って間もない僕が詮索して良いものではないだろう。

 ただ、もう一つ疑問に思ったことだけは確認しておくことにした。

「何で、あんな事を言ったんですか?」

「ん?」と武雄さんは小首を傾げる。

「利華さんのダンスに対して、あんなにも辛辣に批評するなんておかしいじゃないですか?

 武雄さん、利華さんのこと嫌いじゃないですよね?

 何で、心無いことを言ったんですか?」


 武雄さんは利華さんのことをとても心配している。


 じゃあ、軽運動棟でのやり取りはなんだというのか?

 何かしらの意図があってのことだろうか?

 でも、武雄さんから答えが返ってくることは、それほど期待していなかった。

 きっと、曖昧に、冗談っぽく誤魔化されるだろうと思っていた。


 だが、そうではなかった。


 武雄さんの目が険しくなった。

「言ったはずだ。

 俺はダンスに関して嘘はつかない。

 利華に言ったことは全て本当に思っていることだ」


 ゾクッとするような冷たいものが背筋を走った。


 明らかに怒気が含まれていた。


 先輩は、顔を引きつらせている僕をそのままに、

「じゃあな」と言うと、来た道を戻っていった。



「はぁ、疲れた」


 僕は思わず、声を漏らした。

 掃除も終わり、クラスメイトらは鞄を持って教室を出て行く。

 僕も箒をかたづけると用具入れを閉めた。

 そして、視線を廊下に移す。

 教室の戸口から帰宅する生徒らが横切るのが見えた。

 そのほとんどが、教室の中をチラ見していく。

 中には、無遠慮に戸口から覗き込む輩もいた。

 理由は明確だった。

 自意識過剰でも何でもなく、彼らは僕がどんな奴だろうかと捜しているのだ。


 ストリートダンス部に迷い込んでしまったのは前日のこと。


 まだ、一日経っていない。

 にもかかわらず、どこから情報を得たのか知らないが、軽運動棟の一室で行なわれたドタバタ騒ぎはあっという間に学校中に広まっていた。


 しかも、悪いことに――が二つあった。


 一つは、噂が正確に広がっていなかったこと。

 もう一つは、利華さんのファンが想像をはるかに凌ぐほどいたことだった。

 あの利華さんを小馬鹿にしたとか、暴言を吐いたって位ならまだいいとして……。

 何故か、利華さんが告白して、僕が手ひどく振ったとか、利華さんを泣かせたとか、そんなどう考えてもあり得ない噂のため、男女、学年問わず、やって来ては、一方的に非難され、一方的に嫉妬された。


 そして、クラスメイトのほとんどは、そんな僕を遠巻きに眺めていた。


 ……まあ、入学して間もないし、中学からの知り合いがいないので仕方がないけれど……。

 誰か一人ぐらい、思いやりのある優しい言葉の一つでもかけてくれたって良いのに。

 などと心の中でぼやいていると、鞄を手に持った浩一君が、「お疲れ!」と労をねぎらうように話しかけてきた。

「大変だったな!

 真理子さんのファンほどではないけれど、利華さんのファンも多いとは聞いていたが、凄い状態だったな」


 ふむ、そういえば彼と同じクラスだったか。


 僕は机に掛けてある鞄を掴んだ。

「お~い、新太く~ん」

「あ~ごめん……」と冷めた視線を浩一君に送った。

「桂 浩一君――だったっけ。

 喋りかけないでくれるかな」

「お、おいおい、何を怒ってるんだ!?」

「親しくもないのに名前で呼ばれるなんて……。

 不快だ」

「不快ゆうな!」

「業腹だ」

「言い換えただけじゃないか!」

「だったらさぁ。

 昨日は経験者のくせに素人の僕を置いて逃げたし、今日は利華さんファンの乱入がようやく収まってから、のうのうと声をかけて来たし。

 そんな、自称友人に対して、僕はどう反応すればいいんだい?」


 浩一君は僕の肩に手を置き、わざとらしいくらいに優しく微笑んだ。


「寛容な心で許してやれば良い。

 罪を憎んで人を憎まずだ」


 こ、この男……。


 まるで僕が大人げないと言わんばかりに自己擁護している。


 とはいえ、仲間が一人もいない現状、頑なになりすぎていても損をするだけと分かっていた。

 なので、ぐちぐち、責めるのを切り上げることにした。

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