美しすぎる真理子さん
「待って!」
僕が軽運動館の玄関口で外履きに履き替えていると、真理子さんが走り寄ってきた。
気まずい。
でも、僕に非があることは明らかなので、振り向き様に頭を深々と下げた。
「すいませんでした!」
「ねえ……」
と真理子さんの声が聞こえて来た。
やさしく、それでいて、心配そうな響だった。
「本当に間違えたの?
利華達の騒動に巻き込まれるのが嫌だというのなら、無理強いはしないからね。
うまく誤魔化してあげるから」
「い、いえ!」
と僕は顔を上げて否定した。
そして、経緯について手早く説明しようとした。
が、真理子さんの顔を至近距離で見てしまい、思わず、うぉ! っと声を上げそうになった。
心配そうに眉を寄せながら、この美しい先輩は薄茶色い瞳で僕を見つめていた。
ただ、それだけのことで僕の鼓動は強く、早くなってしまう。
恐るべき美人女子高生だ。
学内ナンバー1どころか、県ナンバー1と言ってもおかしくない。
「あ、いや、ほ、本当に間違えたんです」
僕は動揺を抑えつつ、どもりながらも何とか答えた。
「ホントに?」
と真理子さんが顔を寄せてきた。
仄かに甘い匂いがして、一瞬立ちくらみがしそうになった。
僕はその分だけ体を後ろに傾けながら首をカクカク縦に振る。
「な、何故だか知らないですが、ここがアトラクション研究部の活動場所だと思っちゃったんです。
誰かに聞いたんだったかな?
何も考えずに中に入っちゃったのもいけなかったのですが」
と僕は引きつった笑顔で答えた。
かなり苦しい言い訳だ。
でも、真理子さんは納得してくれたらしく、右手を口元に持って行き、ふふふ、と笑った。
「本当なの?
だったら、かなりのうっかり屋さんね」
「お恥ずかしい限りです」
と僕も笑った。
何とか、ごまかせたことに胸を撫で下ろした。
「そうなのねぇ」
と真理子さんは残念そうな顔をする。
それが申し訳なく、
「期待させてしまってすいません。
また、利華さんのパートナー探しをしないと、勝負を始められませんね」
と、謝罪した。
でも、真理子さんはニッコリと微笑み、首を横に振った。
「違うの、利華のパートナーについては、あの子が苦労して探せばいいから」
ちょっと酷い発言だ。
僕は自然に笑ってしまった。
真理子さんもさらに口元を綻ばせた後、話しを続ける。
「ただ利華がね、新太を選んだのを見て少し楽しくなったの。
だって――あ、気を悪くしないでね。
何か、ダンサーっぽくない子だなって思ったから」
「ま、まあ言葉通りダンサーじゃないですからね」
と僕が返すと真理子さんは楽しそうに微笑んだ。
「ふふふ、だから期待したの。
新太という音が利華と混じり合い、面白い方向に向かうことをね」
「人が悪いですね」と僕は苦笑いをした。
まあ、人の不幸は蜜の味というし、他人があたふたする姿は端から見ていたら楽しいものだが……。
真理子さんは微笑みながら首を横に振った。
「意地悪をしている風に取らないで。
わたしの言う面白いはポジティブな意味よ」
「ポジティブ?」
僕が聞き返すと、真理子さんは両手を広げた。
「そう、利華って完成しているのよ。
ううん、完成って言い方は正確じゃない。
固まっているのよ。
ダンスとは? ダンサーとは? という確固たる持論が、がちがちに、余所からのものなど入り込む隙間がないぐらいにね。
確かな哲学を持つことは必要なこと。
でも、変改を望むとなると、それが足かせになりかねないのよ。
言っている意味、分かる?」
「何となく」と僕は頷いた。
そこで、真理子さんは広げていた両手を、パチンと合わせた。
「で、ダンス初心者の新太が登場する。
ダンサーのものではない目線を持っている後輩を指導することによって、ひょっとしたら何かしらの変異を見せるかも知らない。
そこが、面白いってことなの」
どうやら、僕は利華さんに化学反応を起こさせる触媒として期待されていたらしい。
「なるほど」と僕は肩をすくめた。
「でも、素人だったら、逆に向いてない気がしますよ。
右も左もわからないですもん。
利華さんの言うことをただ聞くしかないじゃないですか」
僕の反論に、真理子さんは「ふふふ」と笑った。
「あなた、かわいらしい顔よね」
「はあ!?」
僕は唐突に言われて顔を赤めた。
時々言われるので慣れているつもりだったが、この美しい先輩に指摘されると無性に恥ずかしくなった。
真理子さんは話を続ける。
「でも、何となくの雰囲気で感じたことだけれど、新太って人に言われたことだけを何も考えずにやってしまうようなタイプじゃないでしょう?
違ったかしら?」
「ま、まあ、確かにその通りですが」
と僕は苦笑いをしながら答えた。
「よく人間観察しているんですね。
でも、利華さんに引っ張り出された時の僕って、つるし上げられた――ただの気の弱い一年生でしかなかった気がするのですが」
普段は、年上でも異性でも言うべきははっきりと言う男だと、自分では分析していた。 学級委員を経験したのもあったし。
けれども、どう言いつくろっても、あの時の僕は情けない奴であった。
「ふふふ」と真理子さんは笑った。
「あれは、仕方がないことでしょう。
一年生のわたしが同じ立場だったら、やっぱりドギマギしてしまったと思うし」
そうかもしれないと思う反面、この先輩が狼狽え、慌てる姿は想像つかない。
あれ? と少し引っかかった。
利華さんに引っ張り出された時の僕は、ただの気の弱い一年生だったことを、真理子さんは肯定している。
じゃあ、僕が『人に言われたことだけを何も考えずやってしまうタイプではない』といつ気付いたのだろうか?
大したことではないが、少し引っかかった。
だが、それについて訊ねるタイミングを僕は逃していた。
真理子さんは話を続ける。
「でも、ダンス部や利華に慣れ始めたら、きっとがんがん疑問をぶつけたでしょう?
その時、あの子が何を考え、どう答えるのか。
少なくとも、ダンスを――そして、自分を見つめ直す機会になると思うの」
その時、意外な人物の姿に気づき、思わず見直した。
その気配に気付いたのか、真理子さんは振り向いた。
「あら?
いつからいたの?」
真理子さんも意外だったのだろう、不思議そうに訊ねた。
奥にある階段の中ほどに、武雄さんが軽く笑みを浮かべながら座っていた。
なぜか、右手にはスニーカーの入った透明な袋を持っている。
「部外者と二人きりでいると、また面倒な騒動の引き金になりかねませんよ」
言いつつ立ち上がると、何の躊躇も無く――階段を蹴って飛び降りた。
一番下まで五段ぐらいはあったと思う。
だが、特に危なげも無く、軽く地面をならして着地すると、僕らの方にやって来た。
それだけの動作だったが、どことなくスマートなイメージを与えた。
「面倒な騒動?」と僕は真理子さんに訊ねた。
それに対して、僕の方を向き直した真理子さんは、うんざりした顔で一つため息をついた。
「世の中には人の迷惑を考えない困った人がいるってことよ」
「たちの悪いファンのことだ」
と僕の隣にやってきた武雄さんが肩をすくめながら話す。
「真理子さんのことが好きで好きでたまらない、非常に厄介な輩がいるんだよ。
最近はましになった方だけれど、以前は真理子さんと話をした男子生徒は、その日の内に不幸な目にあっていたんだ。
ちょっとした怪談話だろう?」
武雄さんは面白そうに話しているが、かなりとんでもない話だ。
「そんなこと思い出させないで」
と真理子さんは、げんなりした顔で文句を言った。
これだけ美人で――しかも、物腰も柔らかいと、そりゃ人気も出るし、そういうおかしなファンも現れるか。
武雄さんは僕の肩を叩きつつ、真理子さんに言った。
「俺、こいつをアトラクション研究部まで送り届けますよ。
また間違えるといけないし」
なるほど、そういう意図があったから武雄さんはスニーカーを持ってきたのか。
「そうね」
と真理子さんは少し、意地の悪そうな顔で僕に微笑みながら了解した。
そして、改めるように姿勢を正し、右手を出してきた。
「まあ、今回のことで知り合えたのも何かの縁。
廊下とかで見かけたら声をかけてね」
ただでさえ握手をしなれていないのに、相手は美しすぎる真理子さんである。
僕は、顔が強ばらないように何とか堪えつつ右手を差出し、恐る恐るそれを握った。
小さめで少し冷たい手はとても柔らかく、いつまでも掴んでいたいと思わす魅惑の力を持っていた。
とはいえ、当然のことながら、僕は握手をした後、すぐに手を離した。
そして、真理子さんが引っ込める手を名残惜しく思いながら見送った。
軽運動室に戻る真理子さんは階段を上る手前で、振り返り僕に手を振ってくれた。
胸を突き刺すような愛らしさだ。
僕は何とか頭を下げることが出来たが、もう一年若ければ、恐らくぶっ倒れていただろう。
恐ろしい。
「アイドル資質が過多すぎますね、あの先輩」
「全くだな」と武雄さんは何度も頷く。
「真理子さんは磨く必要のない、天然のダイヤモンドだ。
それが、地表にひょっこりと顔を出しているようなもの。
そりゃあ、おかしくなる奴も出てくるさ」
まさに、言い得て妙。
武雄さん、なかなかうまいこと言う。
「行くか」
と外履きに履き替える武雄さんに、僕も倣った。
そして、出口に向かって数歩歩いた武雄さんは不意に振り向いた。
「お前、以前から利華のこと知っているのか?」
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