疑心
"おや、今日は ずいぶん早い帰りだねぇ"
"…管理人さん、、、"
"…今日は少し体調がすぐれなくて…
早退しちゃったんです…"
マンションの入り口でポストの郵便物を探っているところに
エントランスの掃除をしていた管理人が
私に気付いて近づいてきた
"ええー!?そりよゃ大変だ。大丈夫かい?"
"ええ、そんなに大したことないですけど、
ちょっと疲れが溜まってたみたいで…"
やけに顔が火照り 体が熱いなと思っていたところ
お昼休みに体温を計ってみると熱がある事を知り
大事をとって午後から帰らせてもらったのだった。
熱があるっていうのに
人前では平気なフリをして強がってしまうのは私の悪い癖なのかもしれない
自室に戻ると私は 良真にメールを打った。
"38度の熱が出て 仕事 早退してきた"
自分の足で自宅まで帰ってきたものの、
買い物をして帰る気力はなくて
着ていたコートをハンガーにかけ
そのまま ソファーに横になった
今日の夕飯どうしよう、、子供達帰ってきちゃうよね、、
そんな事をしばらく考えていると
ふと テーブルに無造作に置かれた郵便物が目にとまった
生命保険の更新手続き確認書類…?
結婚時に 夫婦で加入してからずっと
手続きなどは 良真がやってくれていて
特に気にもしていなかったので
その内容を 確認した事がなかった
主人宛ての郵便物だから
本来なら
家族であっても 開封してはいけない物なのかもしれないが
その日は なんとなく更新手続きの文字が気になって 寝転がりながら封筒に手を伸ばし
封を開けて見てみた
… するとそこには衝撃的な内容が書かれいた
受取人が お義母さんの名前になっているのだ
しかも 結婚時に加入してから
これは ずっとそのままに更新されてきたようだった
…え?
すぐにでも確かめたい気持ちは山々だったのだが
その気持ちを抑え良真に電話をかけなかったのは
先程送ったメールが既読になっていない事で
忙しい時に電話をかけるのが気が引けるのと
勝手に封を開けてしまった罪悪感からだった
心臓の鼓動がはやくなったのは
熱のせいなのか それとも この書類の内容からなのか、
帰ってきた時よりも 症状が重くなってきていくのを感じていた
夕方、子供達が帰宅してきたが
夕飯は 家にある物で適当に済ませてくれたのは幸いだった
"大丈夫?薬飲んだ?"
長女が あれこれ世話を焼いてくれて
気にかけてくれるのでとても助かったのだが
保険の事がずっと 気にかかり
重く黒ずんだ不安が胸の奥でじっと淀んでいる
19時30分
メールを読んだ良真からの返信が
やっときた
"田村さんと 飯行ってくる"
"え?今日は私 具合悪いから なるべく
早く帰ってきて欲しかったんだけど"
意外なほど あっさりとしたその返信に
少し戸惑って すかさずメールを送ったが
それからしばらくメールの返信はこなかった
1時間ほどして やっと次の返信
"田村さんが、どうしても 日頃の御礼がしたいって言うから仕方ないだろ?"
そんなの妻の具合が悪いっていえば
無理には誘わないはずなのに…と
更にメールを打とうとしたけれど
こんな事 当事者の私が言う事ではないと
思い止まった
私が具合が悪い事は 最初のメールをみた時に 承知してるはずだ
それでも あの内容なのだから
メールを送ったとしても無駄に終わる
夕飯の心配していたくらいなのだから
用意する手間が省けて良かったと思うべき
なのだろう
それでも 会食をなるべく早めに切り上げて
帰宅してくれる事に期待しながら
ベッドに潜り込むと眠りはすぐに訪れ 沈みこむように寝入ってしまった
喉の渇きで目が覚めると
時計の時刻は 午前3時15分
リビングを見回しても
良真は まだ帰宅していなかった
不審に思い 良真にメールを打つ
"こんな時間まで 何してるの?"
既読にならない
"ねえ?私が具合悪いのに いくらなんでも
遅すぎるんじゃない?"
その後も何度かメールを打つが 全く
反応がない
ここまでスルーするには 途中で何かあったんじゃないかと心配にもなってくる
まだ熱が下がっていないのだけれど
再び寝付く事もできず
午前 4時30分 やっと 玄関のドアが開く音がした
ふらふらと泥酔した様子でリビングに向かう良真に背後から静かに近づき
"どうして こんな時間になるの?"
と話しかけた
私の具合など気にする素振りもなく
リビングのソファーに倒れこみ
"だから、田村さんに飯誘われたって言っただろう!!"
面倒くさそうに そう答え
良真はズボンのベルトを緩め
靴下を脱ぎカーペットに放り投げた
"もう 4時過ぎてるんだよ?
いくらなんでも 遅すぎるでしょう?"
良真が寝入ってしまう前に
思わず私は 執念く食い下がってしまった
"付き合いだから仕方ないだろう!"
"けど…
何もない時ない時なら わかるけど
私 具合悪いんだよ?
そんな時に こんな時間になるまで付き合う事ないよね!?"
"具合悪い?元気そうに見えるけど…。
俺の方が飲み過ぎて 具合悪いし…"
それを聞いて
顔が火のようにほてり体全体が怒りで震え
感じるその痛みに耐え切れず
さっきから抑えつけていた感情を吐きだすかのように叫んだ。
"それは自業自得でしょう!!!
私が具合悪い時に こんな時間まで飲んで
おきながら
自分の方が具合が悪いなんて
よく言えるわね?!!!
遅くなって ごめんとか 一言もないわけ⁈
どうして⁈ どうして?!
…こんな時間になるまで一度も…
…私の事を 気にかかけるようなメール
一度もなかったんだよ!!!!!!!!"
私は涙が出るほどに胸が詰まって 立ってはいられなかった
泣き崩れる私をよそに良真は目を閉じたまま
"嫌なら 出て行けば?
"俺のやる事に不満があるなら
いつでも 出て行っていいよ。
好きなようにして。
なんなら 今からでも出て行けば?"
これ以上ないとおもえるほどの
冷ややかで淡々とした口調で そう言い放った
そこへ良真の携帯の通知音がした
あまりのタイミングに
動悸が激しく鳴り
自分の心がざわざわと波立つのを感じた
嫌な予感がする
開かずとも ロック画面に表示された文字を見た
"良真ー!!
今日は ありがとね
楽しかった♡ 沙羅"
更なる不安と絶望が
暗雲のように頭上にかぶさってきて
声も出ないほど打ちのめされた
"……何これ?……"
もう言葉も出てこなかった。
暗い淵に引きずり込まれ
這い上がることができない哀れな存在でしかなかった
恥ずかしいほど涙がとまらずに流れ続け
なんとも知れぬ大きな悲しみの底に突き落とされた気がした
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