ホラー短編集 〜眠れなくてもいい夜に読む話〜
@naoyas0716
雨の夜
大学生の頃、8畳半という広さに対して家賃の安いアパートに住んでいた。2階、日当たり良好、風呂トイレ別、新幹線が通る最寄りのK駅まで徒歩8分、すぐ近くには、春になると一面の桜を楽しめる有名な河川敷があり、バス通学にも便利ということで、最高の条件だと思った。冗談交じりで確認したところ、不動産会社の方にも「本来はお答えできませんが、事故物件ではありませんので、違いますとお答えできます」と言われたので、安心して引っ越すことになった。
念願の一人暮らし。興奮冷めやらぬうちに荷ほどきも勢いでとんとん進み、手伝ってくれた二人の友人に出前の寿司を振る舞って解散し、新品のベッドで気持ちよく眠った。
ただひとつ気がかりだったのは、春先にしてはずいぶん冷える、ということだった。どうやら日当たりの良さを確保している大きな窓、そのガラスが薄めなのか、窓際が冷えやすいのだろうと思った。
それは、引っ越してから初めての雨の夜のことだった。
大学進学を期に親に買ってもらったパソコンで、友人たちとインターネット回線を用いた通話をするのが日課になっていたのだが、その日の通話相手の友人が、電波が悪い、と訴えるのである。普段なら特別気にすることでもないのだが、そのときは少し嫌な感じを受けた。
偶然か、天井の蛍光灯が明滅していたのだ。
それもどうやら、明滅するときに合わせるように、通話にノイズが入っているという。何度か友人と確認しあって、あまりに気味が悪いので、通話と蛍光灯を切ってその日は眠った。雨のせいで、ひときわ冷えたのを覚えている。さすがに切れるのが早すぎるので、翌日不動産会社に電話すると、蛍光灯を替えてもらえた。
4月下旬ごろ、大学でみつけた気の合う友人のひとりであるKが、寮に入ったばかりだが引っ越したいと言った。規則が厳しく学食がまずい、という理由らしい。一度アパートに遊びに来ていたこともあり、条件が良さそうなので不動産会社を紹介するよう頼まれた。
友人とはいえ出会ったばかりの相手と同じアパートに住むのも気乗りしなかったが、どうにもアパートを気に入っているようだったので、しまいには承諾し、駅前の不動産屋を紹介した。
数日後、通学バスで会った彼が、妙なことを言った。
「お前のアパート…〇〇〇〇?やばいかもしれんで」
「なんで?」
「真下の部屋って誰も住んでへんやろ」
「うん、そこ入んの?」
「いややめたわ。やばそうやし。人死んでる言われた」
「え?ううっそ」
耳を疑った。事故物件ではないと、たしかに言われたはずである。
「死んだのは真下の部屋やから、お前の部屋はたしかに事故物件じゃないねん。空いてるしお前のとこの半額くらいやったから入ろかな思ったんやけど、言われてビビったわ。なんか起こらんの?カイキゲンショー?(笑)」
「ああ、そういえば――」
その日以降、大学の友人たちにとってはこのアパートがいい話題となった。事故物件専用の某検索サイトに載っていると言って喜んだり、地元紙のアパートでの死亡事故を見つけてきたりした。通話に入るノイズの話も、彼らの興味を惹いた。
「今度みんなで泊まろうぜ、こいつんち!」などと言ってぞろぞろ集まってきて床や座椅子で雑魚寝してみたり、部屋を真っ暗にして写真を撮ったり、2時過ぎに複数人でインターネット通話をしたりなど試みたが、ノイズはおろか蛍光灯の調子は良好だったし、とくに何も起こらなかった。2時まで待つために観た『仄暗い水の底から』が一番怖かった。
4月も終わり、梅雨に入った頃だった。
その日も雨が降っていて、部屋は冷え込んでいた。起きている間は暖房を動かしていたのでよかったのだが、夜中になるとずいぶん気温が下がったようで、目を覚ましてしまった。あまりに寒いので吐く息が白かった。
寝ぼけた頭で気付いて戦慄した。一気に目が覚める。
吐く息が白いのである。
加えて、声が出ず、体が動かなかった。
そして、横向きに、壁の方に顔を向けて寝ている格好の自分の体に、寄り添うように何かが、たしかにいて、それがとてつもなく冷たいのだ。ベッドのマットのスプリングも、自分の背中側に二人目分の重量がかかったように沈んでいるのがわかる。
怖ろしくて、とにかく息を殺して耐えた。
やっと、背後にいた何かがベッドから引き摺るようにして降りる。ベッドのスプリングが開放され、体が揺れる。その後も気が遠くなるほど待った。寒さか恐怖かで歯がガチガチ鳴るのを必死で抑え、確実にそれが去るのを待った。
何か、布が擦れるような音が部屋の中に響き渡り、それが玄関の方へ向かって遠ざかっていくからである。
ずるり。
ずるり。
ずるり。
それが遠ざかり、愚かにも、安心して、そして興味を持ってしまった。恐怖とは、未知である。正体を知り安堵するために、部屋を訪れたそれが何だったのかを確かめずにはいられなかったのだ。
小さな子ども。
髪の長い、びしょ濡れの、そして、左の足を引きずった、女の、子どもの後ろ姿だった――。
左足を引きずった女の子の幽霊の話は、ふたたび大学の友人たちを喜ばせた。自分自身も、恐怖もあれど、珍奇な体験をしたことで興奮していたし、興味を持った誰かが宿泊してくれれば助かると思ったのだ。
そしてその願いは望み以上に叶った。友人Oの友人であるNが、一晩部屋を交換したいと言ったのだ。私は二つ返事で快諾した。
夕方、彼は三脚をつけたビデオカメラやノートパソコン、ドラッグストアで調達した塩などを持って現れた。
私は結局Oのアパートの部屋で、雨音を背景に友人と酒を飲んで過ごした。Oの方には、Nから定期的に連絡が入っていたようだが、私達は馴れない酒に酔い、やがて眠りに落ちたようだった。
翌日の昼前に目を覚まし、Oとともに自分のアパートに戻ると、Nはすでに撤収していた。Oの携帯電話には、午前3時前から4時過ぎまで、何度もNからの着信履歴があった。マナーモードであったために私たちは眠り続けていたようだった。
「やばい」とか「トイレから出られない」などのメッセージも入っていた。自分で名乗りを上げたものの恐怖に引き攣り携帯電話を取るがやがて諦めて不貞寝をするNを想像し、私たちは笑った。
だがその日以降、Nは大学に一切顔を出さなくなった。
私やOが何度連絡をしようとも反応はなく、もともとサボりがちであった上、大学に来なくなりやがて中退していく者も少数いたために、そういうものかと思っていた。私にとっては直接の友人ではなかったし、何よりあの女の子の幽霊が現れなくなり、やがて意識の外へと消えていった。
それから1年後、Oが恋人と別れたため、慰めようと私の部屋に友人たちと集まって酒を飲んだ日があった。ちょうど梅雨の時期であったからか、同席していたKが、もはや内輪の伝説と化した私の部屋の怪談について、顛末を聞きたがった。すると、急速に神妙な面持ちになったOが、ゆっくりと語り始めたのである。
大学に顔を出さなくなり、しまいには中退したNのことが気にかかり、OはNのアパートを訪ねたという。しかしNは「雨が降っているから」と言ってドアを開けることもなく、インターホン越しに同じ話を、何度も、何度も繰り返すのだという。
雨だからやばい。女が来る。白目がなくて、床に。
Nのその後を、私たちは誰も知らない。
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