第9話 夜伽草紙6
夜になった。
今日もまた、そろそろ迎えの馬車が来るころだ。
「クリストフ。おまえの思ったとおりだった。昨夜、つけてみたが、令嬢は富豪の商人と結婚をするつもりだ」
ワレスはすぐに出かけられるよう早めの晩餐をもらいながら、そんなことを言ってみる。給仕の料理人の老婆まで顔色を変えた。
「なんだって? それはほんとうか?」
「ああ。まちがいないね。男の寝室に招かれて、いっしょにすごしていたよ」
「そんな!」
「それが二十も年上の男で、しかも相手には、すでに妻がいるんだ。重婚だな」
「えっ?」
「令嬢は伯爵家を守るために、それもしかたないと覚悟の上のようだ。とうぜん、相手を愛してなどいないだろう」
「うぬぬ……」
クリストフはおもしろいように憤慨している。ゆであがったタコだ。
「だから、今夜、おれとジェイムズが令嬢を救いに行く」
「どうやって?」
「令嬢が馬車で乗りつけたところを追いかけていって、相手の男から奪いかえしてくる」
「う、うん……」
「でも、それだけでは根本的な解決にならない。令嬢はお金に困っているかぎり、何度でも同じことをするだろうからな」
「うん、まあ、そうだ」
「でも、安心してくれ。クリストフ。ジェイムズは令嬢をほっとくことができない。そのくらいなら自分が結婚を申しこむと言っているんだ」
ブウッとジェイムズがスープをふきだした。口元をふきながら、あわてふためいているすきに、ワレスは続ける。
「ジェイムズなら、きっと令嬢を幸せにできる。君もそう思うだろう? クリストフ」
「えっ?」
「だって、ジェイムズはいいやつだから。家督も継ぐし、役職も持ってる。結婚相手には申しぶんない」
「で、でも……」
「なんの問題もないだろ? だって、君は令嬢のこと、幼なじみとしか考えてないんだから」
「ううっ……」
「おっ、もう時間かな。ジェイムズ、行こう!」
「…………」
ジェイムズは雄弁な目をして、ワレスを見つめながら立ちあがった。何を言ってもムダだと観念したようすだ。
「ではな。クリストフ。令嬢のことは、ジェイムズがめんどうを見るから、もう心配することはない。ただ、今夜だけ、君の家の馬を一頭、貸してくれ。あとでちゃんと返すから」
「いや、あの……」
クリストフを残して、ワレスはジェイムズの背中を押していく。馬屋から馬を出し、
ヘタクソなクリストフの尾行を見て、ワレスは笑った。
「ワレス。急に何を言いだすんだ。私がオレリー嬢に求婚するだなんて」と、ジェイムズがごねる。
「だって、そうでも言わなければ、頑固者は動かない」
もちろん、今夜も迎えの馬車は来た。それに乗って出かける令嬢を、ワレスたちは追っていく。行きさきはもうわかっている。昼間にも行った、あの孤児院だ。
ワレスたちが押しかけていったときには、オレリーは小さな女の子の枕元で物語を読んであげているところだった。ワレスたちを見て、オレリーはあぜんとしている。
すると、その背後で、また忙しくかけてくる足音がある。バタンと扉があいて、クリストフがとびこんできた。
「ほら、ジェイムズ。言うんだ。今だ」
「いや、でも、さすがに、ワレス。それは……」
「じゃあ、おれが言うよ。オレリー姫。どうか、私と結婚してください!」
ワレスたちの背中しか見ていないクリストフは、つられて叫んだ。
「いや、私と結婚してくれ! オレリー。ずっと君を好きだったんだ!」
真っ赤になる令嬢を見て、ベッドのなかの子どもが嬉しそうに手をたたいた。
「じゃあ、ステキな騎士さまとは、わたしが結婚してあげる」
おませなキスを頬に受けながら、女の子はどんなに小さくても女なのだなと、ワレスは思った。
*
「クリストフを置いてきてよかったのかな? ワレス。子どもたちがさわいで、寝かせるのが大変そうだったが」
「おれたちがいたら、もっと落ちつかないだろう」
「クリストフは勘違いしたままだと思うが」
「いいんだよ。クリストフも、令嬢も、ほんとのことを知らなくても」
孤児院を出たところで、馬車を見つけた。あの迎えの馬車だ。扉がひらき、なかから老婆が出てくる。それはワレスたちの知る人物だった。
「やはり、あなたが裏で
「采配というほどのことではありません。わたしはただ、孫が幸せになれるまで見守っていたかっただけなのです」
「だから、クリストフの屋敷に入りこんで、料理人をしていた」
「はい。あなたは
「それは気づきますよ。ちょうど伯爵が亡くなったころに、あなたはあの屋敷にやってきた。ぐうぜんではない。オレリーを見るとき、とても愛しそうだったしね」
それは、ル・ドラウ家の料理人だ。宮廷料理人をしていたという老婆。
「あなたの娘さんが、亡くなったル・オルダン先代伯爵とのあいだに生んだのが、オレリー嬢だ。娘さんはオレリーのために伯爵家を去って、今は再婚なさっている」
「ええ。でも、娘はオレリーのことを忘れたことはありません。オレリー自身は今の奥さまの娘だとかたく信じているでしょうから、会うことはゆるされないのですが」
「ほんとにそうかな? オレリーは自分が今の奥方の娘でないことを知っているんじゃないかな?」
「それでもいいのです。オレリーが幸福になってくれることが、何より重要ですからね」
ワレスは請けあった。
「その点は大丈夫です。クリストフは単純だが、悪いやつではない。きっとオレリーを幸せにします」
「ええ。わたも娘も、これで安心できます」
ワレスは微笑する。
「ただ一つ、明日から孤児院の子どもたちに、夜伽する相手がいなくなってしまいますね」
「それは娘が代行するでしょう」
「それならよかった」
オレリーの弟妹は少しさみしがるかもしれないが、嫁ぎさきは隣家だ。いつでも会える。
「では、わたしはもう帰ります。オレリーに正体を知られてはなりませんから」
「なるほど。ときどきには、おれたちもドラウ家に遊びに行ってもかまいませんか? あなたの料理は忘れがたい」
「かまいませんよ。そのときには腕をふるいましょう」
「ドラウ家まで送っていきます」
「ありがとう」
ドラウ家の前で、老婆と別れた。
なんにせよ、大団円だ。
きっと数ヶ月後には、あの人が孫娘の結婚式のために、素晴らしい料理を供することだろう。
招待状の届くのが、今から楽しみだ。
了
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