第9話 夜伽草紙5
その夜、ワレスはオレリーを迎えに来た馬車を、こっそりとつけた。徒歩ではさすがに馬車の速度についていけないので、ジェイムズの馬を借りて物陰にひそんでいたのだ。
豪邸のたちならぶ屋敷街を通りすぎ、馬車はやがて、貴族区を出ていく。平民たちの居住区のなかでは、金持ちの商人の邸宅が多いあたりの外れにまでやってきた。
そこで細い路地に入ると、馬車は高い塀にかこまれた一軒の屋敷に入っていく。華美な造りではなかった。建物も古い。だが、庭木も最低限の手入れがされている。
オレリーの馬車が入っていったときには、屋敷の窓のいくつかに光があった。が、そのまま二刻ばかりがすぎ、ふたたび、あの馬車が出てきたときには、すべての窓が暗くなっていた。屋敷の住人は寝入ったようだ。
オレリーは馬車に送られて、まっすぐ自宅へ帰っていく。
ワレスは謎の屋敷の場所を記憶した。
翌日、ジェイムズと二人でそこをたずねてみる。
昼の明かりで見ると、思っていた以上に建物は古い。しかし、傷んだところはそれなりに修復が重ねられている。
「子どもたちの声が聞こえるな」と、ジェイムズは首をかしげている。
ワレスはなんとなく、その屋敷がなんなのか、外観だけでわかった。こういうふんいきの建物を何度か見たことがある。
「ジェイムズ。おまえの役職を利用して、見まわりに来たと言ってみろ。きっと、すんなり、なかへ通してくれる」
「えっ? ほんとに?」
「ああ」
門は閉ざされていたが、前庭で遊ぶ子どもの姿が見えた。三、四歳から十二、三まで。
門前に立つワレスたちに気づいた少年が、屋敷に走っていった。すると、しばらくして、なかから女が一人やってくる。五十にはなるだろうか。若くはないが、教養と体力はありそうだ。
「御用でしょうか?」
ワレスが脇をつつくと、ジェイムズは告げた。
「裁判所預かり調査部隊のジェイムズ・ティンバーです。本日は見まわりに来ました」
女は
「どうぞ」
「ありがとう」
屋敷のなかは清潔だが、決して
ジェイムズがポカンとしているので、ワレスがかわりに口をひらく。
「現在は何人の子どもを預かっているのですか?」
「六人ですわね。一番上のヨーゼフは幸い、徒弟が決まりました。絵の得意な子ですからね。有名な画家に習うことができると喜んでおります」
「それはよかった。しかし、帝立の施設ではありませんよね。個人で経営するのは何かと苦労が多いでしょう」
「善意の寄付でなりたっております。ありがたいことですわ」
やはり、ワレスの思ったとおりだ。
ワレス自身もほんの少し何かが今と違っていたら、もしかしたら、こういうところに入ることになっていたかもしれない。大人を信用していなかったので、当時は逃げまわっていたが、これほど心地よさそうなところなら、入っても悪くなかった。
「お茶を持ってきますわ」
客間に通され、婦人が出ていったすきに、ジェイムズがたずねてくる。
「ここは、なんなんだ?」
「孤児院だよ。身よりのない子どもをひきとっている。それもたぶん、事情があって家庭では育てられない子どもだな。たとえば、貴族が奥方にナイショで召使いに生ませた子」
「それって、オレリーさんのおばあさまの話につながってるのかな?」
「当然だろ?」
そうこうするうちに、お茶が運ばれてきた。
ワレスたちはとりすまして、次の話題に移る。
「ところで、最近にやとわれた、子守がいるでしょう?」
「ええ。おります。オレリーさんですね」
「夜にだけ来て、幼い子どもたちを寝かしつける仕事ですね?」
「さようですわ。はっきりと素性を知らないのですが、おそらく、いいところのご令嬢ではないかしら」
「どなたの紹介ですか?」
「それは申しあげられません」
「でも、オレリーさんの給料を払っているのは、そのかたでしょう?」
「さようです」
「ここで育ったかたではありませんか? つまり、オレリーさんの母上です」
なおもワレスが食いさがると、女はため息をついた。
「なんでもお見通しですね。どこかで聞いたのですか?」
「ええ、まあ」
「オレリーさんにはナイショにしてくださいね。ご令嬢の身分に傷がつかないようにと、婚家を出ていかれたおかたですので」
「今は裕福な家庭の奥さまになっておられる?」
「はい」
そうだと思った。
夜の子守の仕事にしては、金貨数枚というのは、えらく割がいい。困窮している娘のために、母が陰ながら力になっていたのだ。
(オレリーは弟妹にくらべて一人だけ年が離れている。もしや、母が違うのかなとは思ったが)
おそらく、今の奥方が嫁ぐ前に、伯爵は一度、結婚していた。あるいは、正式な婚儀までにはいたらなかったのかもしれない。実の母は娘の将来のことを思って身をひいたわけだ。
事情はわかった。
しかし、問題を解決するには難関が待ちかまえている。
こじれている二人をどうやって素直にさせるか。そこにつきる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます