第3話 展翅2

 *



 そんなことが数年、続いた。


 僕たちは十六さい。

 もうすぐ僕の誕生日だ。


 君は近ごろ、騎士学校を飛び級で卒業することに懸命けんめいだ。


「なんで、そんなに急ぐの? べつに飛び級でなくたっていいじゃない」

「おれは早く一人前になりたいんだよ。おまえの親父の援助があるうちに、学校を卒業して官吏になるんだ。おまえにはわからないだろうけど、大切なことなんだよ」


「父上は、ずっと君のめんどうを見ると思うよ」

「そんなのわからないだろ。人間なんて、いつ気が変わるか保証はないんだ」

「……どこかへ、行ってしまう気なの?」


 君はやっと本から顔をあげて、僕を見る。

 青い瞳は、こんなに澄んでいるのに、君の目に映るのは、ゆがんで醜いこの世の不条理だけ。


 僕らは屋敷の裏庭の、水車小屋のあるこの小川のほとりで、よくいっしょにすごした。水車小屋は二人の秘密の逢瀬には、ちょうどよかったから。


 カラカラとまわる水車の音を聞きながら、君は長いこと僕を見つめていた。


「何? おれに行ってほしくないの? そんなわけないよな? 心配しなくても、卒業したら出てってやるよ。そうしたら、おまえは自由になれるんだ」

「僕はイヤだよ。君に行ってほしくない」


 僕も君の瞳を見つめかえした。

 君は僕の言葉の意味をさぐるように、つかのま、だまりこんだ。


 口をひらいたとき、君は少し怒っていた。


「なんで、そんなこと言うんだよ? おれの機嫌をとりたいわけ?」

「そんなんじゃないよ。僕はただ、君といっしょにいたいんだ」


「そんなわけないだろ? おれは、おまえを苦しめてきた。おれが大人にされた残忍なことを、全部、おまえにしてやった。なんで、それでいっしょにいたいんだ? おまえ、頭、おかしいよ」


「ねえ、君は気づいてなかったの? 僕といるとき、楽しくなかった? ドキドキして、心が弾まなかった?

 僕は楽しかったよ。君に名前を呼ばれると嬉しかったし、君にふれられるとドキドキした。君に束縛されることは、僕には幸せだったよ?」


 今じゃないと、まにあわない。

 君は行ってしまう。


 そして、これまで同様、誰のことも信用せずに、神を呪い、世の中のすべてを敵にまわして、たった一人で生きていくんだ。


 でも、それじゃ、さみしすぎるよ。


 僕が言わなくちゃ。

 君のことを誰よりもよく知っている、この僕が。


「僕は君を愛してるよ」


 一瞬、君は、ぼうぜんとして僕をながめた。


 僕は知っていた。

 君がほんとは愛に飢えていることを。


 傷つき、おとしめられ、誰のこともよせつけないでいる君は、ほんとはさみしがりやで、愛されることに臆病になっているだけだということを。


 僕を支配するふりして、じつは、ただ、そばにいてほしかっただけなんだと。


 初めて会った馬車のなかで、君と目があったとき、僕は気づいたんだ。


 だから、君に何をされても僕は受け入れた。

 君のためなら、僕はなんだってできる。

 そのことを君にもわかってほしい。


「君を、愛してる」


 ぼんやりと僕を見つめ、君は自分の心をはかりにかけていた。


 僕の言葉を信用すべきか、否か。

 この世に愛は存在するのか。


 でも、君の出した答えは、こうだった。


「……そうか。おれに仕返しするつもりなんだな? おまえをさんざんオモチャにして、いじめてきたおれを、だまして、手玉にとって、信頼したところで手痛いしっぺ返しをするつもりなんだろ? やっぱり、おまえも、ほかのやつらといっしょなんだ!」


 君の反論の言葉の一つ一つが痛い。

 それは君の心の傷の深さを物語るものだ。

 愛されたい気持ちの強さの反比例にほかならない。


 僕は訴えた。

 ここでつきはなせば、きっと君はもう一生、誰のことも信用できないだろう。


「ウソじゃないよ。信じて」

「信用できるものか!」

「じゃあ、どうしたら信用できるの?」


 君はしばし、ためらった。

 それを言おうか言うまいか、躊躇ちゅうちょするように口ごもった。


 やがて、君は言った。

 美しい顔を苦しげにゆがめ、吐きすてるように、ひとこと。


「おまえが……おまえが、死んだら」



 ——おまえが死んだら、信じるよ。



 愛のために、君は死ねと言う。

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