第三話 展翅

第3話 展翅1

https://kakuyomu.jp/users/kaoru-todo/news/16816927859343900433挿絵



 〜僕が天使になる日〜




 雪が降っている。

 とても、めずらしい。


 見なれた小川の景色も、どこか別世界に見える。

 君と語りあった、水車小屋。

 早朝の澄んだ空気が、今日は全身を切るように痛い。


 今日、僕は君への誓いを永遠にする。




 *


 〜僕だけが知っている〜




 君と僕は同い年。

 出会ったのは、十二さい。


 出会いは最悪と言えるだろうか?

 だって、僕は君を見た瞬間に、嫌いだと思ったから。

 君はふつうの子どもとは違っていた。


 今にして思えば、しかたないことだけど、初めて会ったときの君は、まるで狂気に取り憑かれた悪魔だった。子どもの姿をした悪魔。それも、とても美しい姿の……。


 わけもなく、怖かったんだ。


 僕は貴族に生まれて、何一つ苦労なんてしたことがなかった。だから、君のような子どもが、この世に存在しているなんて、そのときまで想像してみたことすらなかった。


 君は孤児で、各地を放浪したあげく、人さらいに追われて、地方の神殿に逃げこんだ。でも、その神殿には、とても、ゆがんだ嗜好しこうの持ちぬしがいた。


 君は毎晩、ムチで打たれたり、針で刺されて苦しんでいたんだね。


 ふつうの子どもなら、そこであきらめて、一生、隷属れいぞくしてしまっただろう。


 でも、君はあきらめない。

 君は、とても誇り高い。


 僕は知っている。

 君の魂の崇高さを。


 君は地獄のような神殿をぬけだす好機を狙っていた。


 そこへやってきたのが、僕らだったというわけ。一人息子の誕生祝いに、各地の神殿に金や宝石を奉納していた。人のよさそうな両親と、いかにも気の弱そうな息子。

 君の目には、さぞかし、いいカモに映ったろうね。


 僕らが神殿長のおはらいを受けたあと、馬車に乗ると、君が待っていた。さわぎだそうとする僕や母上の前で、君は必死に弁明したね。


「たすけて……ここから、逃がして……」


 君は声変わりの最中だった。

 ガラガラ声で、まともにしゃべることもできなかった。


 僕らの国では声変わりすると成人したととらえられる。

 神殿では、見習いから正式な神官へ昇級し、そして、一生を神に捧げることになる。二度と神殿から出られない。だから、君は必死だった。


 君は魅惑的な青い瞳から、こわれた噴水みたいにダラダラと涙を流し続けた。


 ちゃんと事情を書いた手紙を用意してたのは、さすがだったね。


 それを読んだ父上の顔色が変わった。

 君が神殿長に虐待されていることを知って、馬車の椅子の下にもぐりこませた。その上から母上がひざかけをかけて、外から見てもわからないように隠した。


 まんまと神殿長の鼻をあかして、君は逃げだした。

 神殿の門をくぐったとたん、君は立ちあがり、小窓をあけて手をふった。見送りに出ていた神殿長のひきつった顔を見ながら、君は笑った。ゲラゲラ笑いながら、泣きじゃくる君が怖かった。


 馬車の床にうずくまり、丸くなって、君は声をはりあげて泣いた。





 *


 神殿のなかは神殿の規則だけが法だ。でも、一歩でも外へ出てしまえば、逆に神殿の権力はきかない。


 自由になった君は、そのまま、うちに引きとられた。家族はみんな死んでいて、どこにも行くあてがない君に、父上が同情したからだ。


 でも、僕は君をさけた。

 最初に会ったときの君の印象が強すぎて、怖かった。自分と同じ年の少年だなんて思えなかった。


 君はとても美しい姿をした、人ではない何か。

 金色の髪と、蝶の羽のように輝く青い瞳。展翅てんしして飾っておきたいと、誰もが思う。


 だけど、屋敷に来てからの君は、気味が悪いくらいおとなしかった。猫をかぶっていたんだよね? 父上や母上に気に入られるように。


 君のことを誰も疑っていなかった。物静かで頭がよくて、不幸な生い立ちの、かわいそうな子だって。


 でも、僕は知ってたよ。

 君がほんとは、とても激しくて、ずるくて、ウソつきで、負けず嫌いだってこと。


 だって、初めて会った日の君は、そうだったじゃない。


 君は、僕が君を嫌ったことを一瞬で見ぬいた。


 君が着々と自分の居場所を広げるたびに、僕は自分の居場所を失っていった。

 でも、君を嫌うことだけは僕の自由だったのに。君は、それさえも、ゆるさないんだね。


 君と僕が、初めてキスしたのは、十四のときだっけ?

 ずっと君をさけてた僕を、君はあの日、庭のかたすみで追いつめた。


「なんで、おれをさけるの? ねえ、ルーシサス」


 逃げだそうとする僕を、すばやく君はつかまえた。病弱で小柄な僕は、君の手にかかれば、羽をもがれた蝶のようなものだ。


「友達になりたいんだよ。仲よくしよう」


 君は僕が君を嫌ったことを見ぬいた。

 僕も見ぬいていた。

 馬車のなかで初めて会ったあの瞬間から、君が僕にとくべつな感情をいだいたことを。

 君はきっと、最初、僕を女の子だと思ったんだろうけど。


 君は僕を天使だと言った。


「ねえ、おれと仲よくしたくないの? おれが怖いの? なんで、おれを嫌うの? おれ、おまえに何もしてないよ?」


 それでも逃げだそうとする僕を見て、君はとつぜん、怒り狂った。


「ああ、そう。じゃあいいよ。友達になりたくないんなら」


 そして、草むらに僕を押し倒し、君はナイフをふりかざした。目の前にふりおろされる刃のきらめきを見て、僕の心から抵抗は消えた。君に、すっかり展翅されてしまったんだ。


 ナイフは僕の頰のすぐよこに、つきささった。もちろん、君は僕を殺すつもりはなかった。でも、その気になれば殺せると、僕は理解した。君は、そういう生きかたをしてきたのだと。


「ゆるして……殺さないで……」

「いいよ。そのかわり、今から、おまえは、おれの奴隷だ」


 その日から、君と僕のいびつな関係が始まった。


 はためには、とても仲のいい友達。

 じっさいには、王と奴隷。


 君は生まれながらの王者だった。

 なんでもできるし、魅力的で、人の心を支配するすべに長けていた。


 ねえ、知ってる?

 僕が君を恐れていた、ほんとの理由。


 こうなることが怖かったんだ。

 君に心を支配されてしまうことが。


 君の圧倒的な存在感に、僕のすべてが塗りつぶされていく。僕は君の色に染まる。


 君がやれと言えば、なんでもやったし、君の言いつけは守った。

 仲のよかった友達とも、みんな絶交した。

 僕には君だけ。

 君だけ、いればいい。


 君は僕を支配し、苦しめているつもりだったんだろうけど、僕は、そう思ってなかったよ。


「ゆるせないんだよ。おれと同じ年のおまえが、なんの苦労も知らず、雨にもぬらさないように大切に育てられてきたのに、おれは……。

 おまえ、飢えなんて知らないだろ? 腹がへってしかたないのに、食うものなんて、なんにもなくて、そのへんの草むしって食ったことなんてないだろ? 盗んだパンを食わないと生きていけないなんて、わかんないだろ?

 なんで、おまえだけ天使のままでいられるんだ? 貴族ってだけで、そんなに、えらいのかよ?」


 君は神殿の暗闇からはぬけだしたけど、心は囚われたままだった。


 夜になると、しばしば、うなされ、叫び声をあげて、とびおきた。ひどくふるえて、自分の肩を両手で抱いた君。


 君は王者なのに、君の翼は、もうない。誰かにむしりとられてしまったんだね。

 今でも、その夢が君を苦しめる。


 展翅されてしまった、君。


「おまえも、おれと同じになれ。おまえだけ天使のままでなんて、いさせない」


 堕ちろと、君は言う。


 でも、僕には、おぼれそうな君が、何かにすがりつこうとしているようにしか見えなかったよ。

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