第2話 異国の花3
*
翌朝。
そんなことがあったので、ワレスは寝不足だった。昼まで、だらだらベッドのなかですごしていると、窓の外で、知らない男と話しているハナの姿が見えた。
ようすが普通でない。
ワレスは急いでベッドをとびおきた。近づいていくと、二人の話し声が聞こえた。
「そんな! ほんとに? ディルトさまが……」
「この前の嵐で船が沈んで、乗組員は全員、絶望的だそうだ。だから言ったんだ。お父さまのお命をうばった海になんぞ、出るもんじゃねえと」
「ウソ……ディルトが……」
それは、ディルトの死の知らせだった。以前、屋敷で働いていた老人が、ディルトの乗った貿易船が沈んだという知らせを持ってきたのだ。
ハナはふらふらして、今にも倒れそうだ。
なので、ワレスが部屋につれ帰った。ワレスの小間使いになったので、となりの部屋に、ハナのひかえの間がある。ハナをベッドに寝かせ、ワレスは台所に水をもらいに行った。その途中、使用人部屋の近くで、ひそひそと言いかわす声を聞いた。
「ディルトさまが亡くなったって。よかったな。これで、あのことを知る人間がいなくなった」
「しッ。誰が聞いてるかわからないよ」
部屋をのぞいてみたが、すでに庭へ出ていったのか、誰の姿も見あたらない。
さらに、水差しとグラスを持って、ワレスがハナの部屋の前までもどったとき、ブツブツ言いながら歩いてくるジョスリーヌに出会った。
「変ねぇ。なんで見つからないのかしら? たしか、この別荘にあったはずなんだけど……」
ワレスにも気づかないほど考えこんでいる。
「何か探しているのか?」
声をかけると、
「あら、ワレス。息子にあげようと思っていた宝剣が見つからなくて。飾り用だから、かまわないんだけど」という答えが返ってくる。
この屋敷には、いろいろと問題が多いようだ。
「ジョスリーヌ。ちょっと見せてもらいたいものがある」
「あら、何?」
「この屋敷の帳簿だ。誰が管理している?」
「もちろん、家令のユングルトよ」
「なるほど。ところで、この近くに小屋と呼べる場所はあるか?」
「狩り小屋のことかしら?」
「了解」
「何が“了解”なの?」
「あんた、おもしろいことが好きなんだろう? だったら、見せてやるよ。ただし、あんたは今すぐ皇都へ帰ること」
「ワレス。あなたって、ほんとに変わってるわ」
「褒め言葉なんだろ?」
「そうね」
夕方になって、ジョスリーヌは馬車で屋敷を出ていった。ワレスだけを残して。
そして、夜が来た。
*
クルスミ畑の外は自然の森だ。
森のなかの狩り小屋に近づいてくる足音がある。ガラの悪そうなのが二、三人。
「おい。だんな。来てるのかい? 羊がいるから、とうぶん休むんじゃなかったのかよ?」
それに答える声は、きっと彼らの想像していた人物のものではなかった。
「羊は港に使者を向かわせるために、いったん帰ったんだ」
「港? なんでまた?」
「人を探させるために」
「誰を? それより、あんた、ほんとにだんなかい? なんかこう、いつもと感じが……」
黒くシルエットになった相手の顔を見て、男は「あッ」と声をあげた。
だが、そのときには、すでに遅く——
*
数日後。
ふたたび、ジョスリーヌが屋敷にもどってきた。
「ワレス。帰ってきたわよ! 早くおもしろいものを見せて!」
興奮しているのをなだめて、まずは、ユングルトを呼びだす。
場所はサロン。室内には、ハナもいる。
「お呼びでしょうか? 侯爵さま」
神妙にうかがいをたてる家令に、ワレスは切り口上を述べる。
「単刀直入に言う。あんたはクビだ。ユングルト。なんなら窃盗の罪で牢獄にぶちこんでもいい」
「はあ?」
「証拠はあがってるんだ。帳簿を調べたろ? おれがアルベルト男爵の航海日誌をひろったとき、いっしょに置いてあったのは、この屋敷の家計簿だった。先日、あんたが、おれに見せてくれたやつだよ。つまり、男爵の航海日誌を持ち歩いてたのは、あんたなんだ」
「それは……以前のご主人がおなつかしくて……」
「なつかしくて読んでたのか?」
「はい。さようです」
「そう。あんたは漢字が読めるんだよな? あんたは男爵の航海日誌を清書してたから」
「それが、何か?」
ワレスはふところから、例の暗号文を出した。
「これは、あんたが書いたものだ。内容はこの屋敷から盗んだ宝物を、悪徳商人に売り払うときの待ちあわせだな。ああ、言いわけは、もういいんだ。商人のほうは捕まえて、全部、吐かせてあるから」
ワレスが合図すると、ジョスリーヌの兵士たちが数人の男をつれてくる。
ユングルトはぐうの音も出ない。
「あんたは、この屋敷がアルビドス男爵のものだったころから、同じことをくりかえしていたんだろ? 息子のディルトだけは、薄々、そのことに勘づいていた。だから、ディルトと親しかったハナを冷遇したんだ」
ジョスリーヌが
「あなたはクビです。ユングルト」
ユングルトは商人たちとともに兵士につれられていった。
「でも、そうなると、この屋敷には新しい家令が必要になるな。そうだろ? ジョスリーヌ」
「ええ。そうね」
ワレスはハナをながめた。
たった一人で、愛する人を待ち続けた娘。
ワレスも一人だから、惹かれた。足りないものを補おうとするように。でも、それは、きっと、ほんとうの愛じゃない。
「ハナ。おまえが家令になってくれ。この屋敷で、ディルトの帰りを待ち続けるんだろう?」
ハナはとまどっている。
「でも、ディルトは……」
「信じてるんだろ? 必ず帰ってくると。なら、ディルトは、きっと生きてる」
ハナの目に涙が浮かんだ。
「そう……そうね。わたし、信じます」
おろかだけれど、美しい。
それは真実の愛だから。
*
今でも、クルスミの花の咲くころには思いだす。
あのときの、ハナの笑顔を。
はかなく消えいりそうな、切ない笑みを。
おだやかで鮮烈な、異国の娘。
ワレスは数年ぶりに屋敷をたずねた。
「ハナ。今日は神さまが、おまえにご褒美をくれたよ。おまえが信じ続けたから」
港へ送ったジョスリーヌの使者が、やっと見つけてきた。
ハナの瞳に涙が浮かぶ。
それは、あたたかな涙。
了
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