第2話 異国の花2

 *



 ジョスリーヌは悪い後見人じゃなかった。気前もいいし、気まぐれだが、残酷ではない。


 ワレスの体力が完全にもどるまで、今しばらく別荘に滞在することになった。


「何か欲しいものはある?」と聞かれ、ワレスは答えた。

「ものじゃないが、おれに専用の小間使いをつけてくれ。ハナという異国人の農婦がいるんだ。おとなしそうだから、あの娘がいい」


「あら、あの子に興味があるの?」

「めずらしいからな。どこの国の娘なんだ?」

「さあ。あの子は、ほかの召使いといっしょよ。この屋敷ごと買いとったの。だから、一人一人のことはよく知らない」


「屋敷ごと?」

「もとの持ちぬしは、自分の船で航海中に亡くなってしまったの。ばくだいな借金をかかえて、遺族は屋敷を売るしかなかったそうよ」


「遺族というのは?」

「息子が一人いたらしいわ。わたしは代理人にすべて任せていたから、会ったことないんだけど。わたしがここを買った十年前に、今のあなたくらいの年齢だったんじゃないかしら」

「ふうん」


 そういうわけで、ハナは今日から、ワレス付きの小間使いだ。


「……先日は、ありがとうございました」

 うつむいて緊張しているハナには、以前、ワレスが惹かれた神秘的な美しさはない。


「遭難者だそうだな。子どものころに、以前のこの屋敷の主人に助けられ、育てられた」

「……はい。実の親は海難事故で死んだそうです。わたしにとって、アルビドス男爵は、ほんとの親のようなかたでした。わたしは実の親も、育ての親も、海で亡くしたんです」


 不運な娘。

 実の親の顔はおぼえているのだろうか?

 育ての親が死んだとき、自身の不幸に絶望しなかったのか?


 たよる者は一人もいない。

 世界中で、たった一人。


 そのさみしさを、ワレスも知っている。


「アルビドス男爵には息子がいたそうだな。今なら二十六、七になっているだろう。おまえのことは置いていったのか」


 ハナはだまりこんだ。


「どうした?」


 かさねて、たずねる。

 ハナはキッと、ワレスをにらむ。だが、涙目だ。


「ディルトさまは必ず帰ってこられます!」


 叫んで、部屋をとびだしていった。


 女を泣かせてしまった。

 泣かせるつもりのなかった女だ。

 これは、ズルイ。涙がつきささる。


 ワレスはため息をついて、ソファに自堕落に寝ころがる。


 育ての親の息子ということは、ハナにとっては兄妹同然。兄と慕っていた相手にすてられたのだ。ふれるべきではなかった。


 だが、ハナが暗号のような手紙を送る相手と言えば、いっしょに育った義兄妹くらいしかいないはずだ。


 親の死によって、とつぜん失ってしまった家屋敷。とりもどしたいのが人情ではないだろうか?


 ディルトにだまされて、ハナが妙なことを企んでいなければいいのだが。




 *


 夜になって、ワレスは目がさめた。

 窓の外を見ると人影が歩いていく。

 うしろ姿だけでも、ハナだとわかった。


 ワレスはベッドをぬけだして、そっと、あとをつけた。


 ハナは暗がりのなかでも迷わず歩いていく。方向からわかっていたが、やはり思ったとおりだ。あの巨木のもとへ来た。


 ハナは以前の夜と同様に、木に向かって話しかけている。だが、うろを使って手紙のやりとりをするそぶりは見られない。


「何をしてるんだ?」

 思いきって話しかけてみた。


 ハナはバツの悪そうな顔をしたが、今度は逃げなかった。


「この木の下で、ディルトは言いました。お金をためて、必ず、わたしを迎えに来るって」

「十年も前だろう?」

「ディルトはウソなんてつきません。わたしたち、約束したんです。大人になったら結婚するって」


 ああ、なんてバカな女だろう。

 そんなの男の常套句じゃないか。

 いつか必ず迎えにくるだなんて、男がジャマになった女に言う別れのセリフだ。


 でも、この娘はその言葉を信じて、待ち続けているのだ。ほかに行くあてもないから。世界中で、ひとりぼっちだから。その言葉だけが、ただひとつの心のよりどころ……。


 一瞬、思った。

 おれといっしょに行かないかと。


 だが、口から出たのは、

「ああ。帰ってくるといいな」


 平凡な、なぐさめの言葉。


 ワレスは木のうろをさぐった。

 また、封筒が入っている。

 この前とはなかみが違っていた。


「これは、おまえがディルトにあてた手紙か?」


 ワレスが手紙をさしつけると、ハナは首をかしげた。


「いいえ。わたしじゃありません。でも、漢字ですね。この字を書けるのは、わたしとディルトさま、亡くなった男爵さまだけです」


 だとしたら、手紙はディルトが書いたことになる。


「ほんとに?」

「たぶん。でも、男爵さまが書かれていた日記を清書していた人がいるようです」

「それが誰か知っているか?」


 ハナは首をふった。

 ワレスは手紙の内容をたしかめる。


「羊が牧場に入った。しばし延期——か」


 この意味はなんとなくわかった。羊はジョスリーヌのことだ。女主人がやってきたので、今は事を起こさない。そういう意味だろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る