第20話 笑って振り返るために
やがて、選挙管理委員が、今大急ぎで印刷したという『反対派総長選挙・候補者一覧表』を筒状にして小脇に抱え、入ってきた。
綾の回りに詰めかけていた生徒達が、今の状況を思い出し、蜘蛛の子を散らすように退散する。
選挙管理委員は、まだ候補者名は貼り出さずに、まず、小さな短冊状の投票用紙を配り始める。リリーや沙記も自分の教室へ去り、マーガレットは室内へ入った。
「ところで、綾姫様?」
戻ってきたマーガレットと前後する席に座った綾に、西苑の旧友が、横から話しかけてきた。後ろに座った綾に投票用紙を回すために、マーガレットが振り返ったときだったが、マーガレットは、素知らぬ顔で前へ向き直った。
「先ほど入り口で、推薦候補がいないかどうか、聞かれましたでしょう?」
「ああ、私、リリー・ラドラム様を推薦しましたわ。東苑での、私の親友の一人ですのよ?」
と、綾は答えていた。
車寄せに、クリップボードとボールペンを持った選挙管理委員が立っていた。意見を集めて票の見当をつけ、反対派総長の候補にする、という話だった。
と、相手の少女はにっこり笑って、
「わたくし達、実はあなたを推薦して参りましたの。よろしかったかしら?」
「――はぁッ?!」
「姫が反対派になった理由を小耳に挟みましたわ。エスコート服の前隊長様と、哀しいろまんすがあったとか……」
「全く、狭間様ときたら、なんて罪作りな」
「隊長を辞去したくらいでは、赦されませんわ!」
「~~~!!」
そして、黒板に張り出された候補者一覧表には、エスカドロン・ヴォラン隊長や副隊長、東苑西苑の生徒会役員、西苑新聞会長、東苑放送会長、東苑文化部連合長など、錚々(そうそう)たる肩書きを持つ著名生徒達の名に混じって、何故か東苑の一介のクラス委員――しかも二年生にすぎない、『式部綾』の名があった。
午後六時。西苑大シアター。
わあああ! と、歓声が一気に沸き上がった。
「え? え? えーーーー?!」
壇上へいきなり担ぎ上げられて、訳もわからず周囲を見渡す綾。
あれから約一時間で開票結果が出て、総長発表のために反対派全員が集まった会場中が、拍手と歓声で沸いている。
マーガレットは、壇のすぐ下、観客席の最前列で、他の生徒達の陰になったりしながら、聖女よろしく祝福の微笑を浮かべて上品な拍手をし続けている。
「おめでとうございます、綾様!!」
横から、選挙管理委員に、白い毛皮の縁取りのついた真っ赤なマントを着せつけられ、頭には巨大な王冠がすっぽりかぶせられたと思ったら、上機嫌のリリーが、錫杖まで押しつけてきて、持たせる。
「一体どこからこんなもの……」
「いやーっ、おめでとうさんっ!! やっぱ東苑料理研究部の部員ッちゅう肩書きが効いたんどすなぁっ!!」
そういえばリリーとのなれそめは、中等部二年で入った料理研究部に、彼女が一学年上の部長として所属していたためだった……!
「でもだって私、今ではほとんど幽霊部員――むがっ」
「余計なことは言わんときぃな。僅差で負けて副総長におさまるんはうちどすし、総長やるんに、なんの不満もあらしまへんやろ」
綾の口を塞いだリリーは、素早く耳元に口を寄せた。
「意外にE服副隊長はんとの一件が知れ渡っとったらしいんどすわ、堪忍してぇな? 特に、昨日の朝一番に思いっきり許さへんて
「――!!」
綾が絶句すると、リリーはまたもとの大きな地声に戻り、
「ゆーワケや。よろしく頼んます~」
壇上の選挙管理委員や、大シアターに集まった反対派の大集団に、ご機嫌よろしく、言い放つ。
「エスカドロン・ヴォランもみーんな、アヤ・シキベはんの支持に回りますえ~!!!」
お得意を発揮して、客席を煽り、黄色い声援を引き出して、壇上を右往左往してはしゃぐ。
学院の最高の華であるエスカドロン・ヴォラン隊長が乞うのでは、仕方がない。対立候補へ投票した生徒達も、しだいに、綾を支持する意志を拍手と喝采で表しはじめる。
――違うわ――
リリーは、自分に気を使ってくれているのだ。綾は彼女の走り回る背中を見つめた。
綾も気がつきはじめていた。
エマ・ヘルフェリッヒは、賛成派にいる。そして、反対派で綾が選ばれたのと同じように、ダントツの知名度で、総長に選ばれるだろう。
エマは、東苑にいたころ、高二だった一年半前でも、次期生徒会長候補と目されていた。
今まで自分の回りでは、エマについての話題をタブーにさせてしまっていただけで……。
――ああ、ごめんね……リリー……マーガレット……沙記……
他の、沢山の東苑の友人達、上級生達、下級生達。
リリーが今、自分を持ち上げようとしてくれているのは、もともとエスカドロン・ヴォラン隊長の身を大して偉く思っていない謙虚さもあるが、綾の人望に傷をつけないための配慮に違いなかった。
選ばれた以上、綾がここでうろたえたり、拒絶したりしては、綾の人気が落ちてしまう。立派な総長に担ぎ上げようという魂胆。彼女も、敵がエマになることを予測した上だ。
――
綾は瞳を見開いた。眼下に、目の上に、居並び、歓声を上げているシアターの数千人の女生徒達。遠く、フィルターのかかった向こうの世界のように感じるが、それは混乱した過去の像の一つではなく、今、この瞬間の、現実だった。
将来、笑って振り返るために、過去に目をつぶって、今を楽しく生きようと思ってきたけれど。
――将来、笑って振り返るために、エマ姉様と……過去と、対峙しなくてはならない……?
綾は、背筋を冷たいものが這い上がってくるような感覚に、膝を震わせた。
東苑の、中等部学舎と高等部学舎を足繁く行き来する毎日を送った、二年近く前の、幸福な記憶。
ちょうど、綾様、式部様と急に高等部の上級生や同級生達にも可愛がられ、もてはやされるようになったころのこと、大図書館で知り合った上級生、エマ・ヘルフェリッヒ。
高等部一年生にして、既にその頃から女王然とした輝きを放っていた彼女に、綾は強く惹かれ、憧れた。
賢く、才能あるだけではなく、努力家で、自信に溢れていた彼女は、綾本人の理想をつきつめたような女生徒だった。
心を分けあう親友のリリーとは、また違った存在。
あの頃の綾は、エマのすることなら何でも真似をした。
持ち物からファッション、食べるもの、紅茶やコーヒーの好み、行きつけのショップや音楽の嗜好……
エマも、無邪気に慕ってくる綾を心の底から可愛がって、どこにでも連れていった。
『私、エマ姉様のようになりとうございますわ』
『ああ、お前ならなれるだろう、アヤ』
まるで女帝がその好適な後継者でも見つけたかのように。
エマには妹が一人いたが、その妹以上に、綾を妹扱いし、様々なことを教えた。同学年の友人達と共に、綾をよく連れ歩いた。邸宅にも幾度も招かれ、綾も招いた。
綾にとっては、学院の豊かな風景も、学外の世界の全ても、エマを中心に回っているような、幸せな毎日だった。
それなのに、突然、エマは別れを宣告した。
――
この物語はフィクションであり、実在の団体・個人・事件とは一切関係ありません
また、この物語は自殺・自傷を推奨するものではありません
――
お読みいただきありがとうございます。
これからも面白い物語にしていきます。ぜひブックマーク・応援・レビューをお願いします。作者のモチベーションに直結します。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます