第3話 生首

 11月1日

 3代目新500円硬貨(バイカラークラッド貨幣への改鋳)が発行。素材は日本の通常硬貨では初となるバイメタル技術を採用、縁の異形斜めギザ、表面の一部に微細文字を施し、偽造抵抗力をより強化。発行時期は、新型コロナウイルス流行の影響を受け、事業者の機器改修面に遅延が生じ、当初の2021年度上期から延期されていた。しかし発行時点では機器改修が追い付いておらず、自販機等で使用できない事例が相次いでいる。


 ジャニーズ事務所の男性アイドルグループ、V6が本日千葉県千葉市の幕張メッセで行われた全国ツアー最終公演を最後に解散。これに伴い、森田剛はジャニーズ事務所から退所し、残りのメンバーは引き続き現在の事務所でそれぞれ活動する。


 事件記者の血洗島月美ちあらいじまつきみは杉戸町に来ていた。

 新しい首相は何かパッとしないな?

 アグリパークゆめすぎとに入った。

 公園では噴水が上がってる。⛲

 佐伯邸事件は凄惨だった。

 残された子供たちが可愛そうだ。

 男性の店員さんに尋ねた。

「佐伯さんのこと御存知ですか?」

「事件は知ってるけど、あの家族は知らないな」

「そうですか」

「虻川って知ってる?」

「北陽の?」

「そうそう。杉戸出身なんだよ」

「そうなんですか」


 夫と離婚して間もない哲子てつこは、15歳の娘・富子とみこと共に、少し前に死去した老富豪が住んでいた杉戸の豪邸に引っ越してくる。その豪邸は法律上あと数日は入居してはならないと決められていた物件だったが、元女優の哲子達は予定より早く入居してしまう。


 その夜、哲子達が入居していることを知らずに、富豪の遺族の一人である夏樹なつきが仲間である任太郎にんたろうとヌルを連れて邸内に侵入する。夏樹は屋敷に設けられた密室に隠し財産があることを知り、屋敷が人手に渡る前に仲間を連れてこれを秘密裏に奪取しようと考えていたのだった。


 強盗達の存在を監視カメラと物音で確認した哲子はすぐに事態を察知し、娘と共に屋根裏へと逃げ込む。


 11月15日 - 俳優の菅田将暉と小松菜奈が、お互いのSNSで結婚したことを発表。

 永福寺の境内で月美は生首を見つけた。   

 杉戸署捜査1係の根来敬之ねごろのりゆき係長は現場にやって来た。部下たちは全員聞き込みに出ている。現場に入れるのは係長とか鑑識とか限られた者のみだ。


 根来は首を良く観察した。どこかで見た顔だ。

 元女優の服部哲子はっとりてつこだ。

 いろいろスキャンダルがあった。

 

 寺の創建の経緯については定かでない。伝承によれば、天平勝宝5年(753年)、行基により開基。かつては阿弥陀寺と呼ばれたという。寺の中興については、次のような伝承がある。武蔵権守興世王の妾といわれる妙喜尼は、天慶3年(940年)、承平天慶の乱の首謀者として興世王が討たれるに及び、自ら寺に火をつけて焼死し寺も焼け落ちた。天慶5年、平将門が京に滞在している時に生まれた子といわれる抜山優婆塞が、東国に下り父の戦場で死者の菩提を弔って、高野の地に来た時、土の中から光り、行基作と伝わる阿弥陀寺の本尊であった阿弥陀仏の木像を発見し、再興したという。


 その後いつの頃か長福密寺と改名されたが、江戸幕府6代将軍徳川家宣が子息に長福(のちの徳川家継)と名づけ、それに遠慮して永福寺と名乗るようになったという。ただし、寺に伝わる『永福寺伝燈記』には、宝暦9年(1759年)、僧弁隆が住持となる前は長福寺と称していたとあり、徳川家継(1709年生まれ)とは時代が合わない。


 斬首は刑罰として、あるいは生贄として人間を殺害する手段として、古代以来世界各地で普遍的に行われた。いつから斬首刑があったかは定かでないが、既に人類が鋭利な刃物を武器にした青銅器時代にはあったことが確認されている。たとえば中国の青銅器時代に相当する商(殷)・周代では、鉞(エツ)というまさかり状の青銅製利器が斬首に用いられ、王が正義を執行する具として王権の象徴とされた。甲骨文字にも鉞で斬首している様を象ったものがあり、商代の祭祀に伴う生贄として斬首された人骨も多数発掘されている。また秦の始皇帝が10万人を斬首したとする記述も史書に残されている。さまざまな方法が世界各国であり、江戸時代の日本の死罪・獄門では当番同心が日本刀の打刀を用いており、中世ヨーロッパでは死刑執行人は両刃の処刑人の剣を用い、イギリスでは斧が用いられた。


 斬首は火刑よりも苦痛が軽いとされており、死刑でも比較的軽い(生命が奪われることには変わらないが)刑罰とされていた。これはローマ帝国の時代であるが、イエス・キリストやキリスト教徒は磔刑ないし動物刑が執行されたが、ローマ市民である使徒パウロには斬首が行われたとされることからもわかる。そのため中世のイギリスでは、斬首されるのは貴族階級だけであった。また、江戸時代の日本においても罪状に応じて複数の死刑が定められていたが、斬首のみの「下手人」が死刑のうちで最も軽い罰とされた。


 しかしながら、人の手による斬首は相当な技量がなければ非常に難しく、頚椎の骨のつなぎ目を正確に切らなければ簡単に切断は難しいため、実際には死刑執行人の腕前によっては1度で斬首することに失敗し、首が落ちるまで何度も斬りつけるなど、残酷な結果に終わる危険性が高かった。一例として、17世紀にイギリスのチャールズ2世の子で、父の死後にジェームズ2世に対する反逆罪で斬首刑に処せられたモンマス公爵ジェイムズ・スコットは、悪名高い死刑執行人ジャック・ケッチによって斬首されるはずであったが、何度も切断に失敗し、最終的には斧ではなくナイフで切断するという不首尾に終わった。そのためフランス革命の際、ジョゼフ・ギヨタンによって「失敗のない人道的な死刑方法」としてギロチンの使用が提言されると、革命政府国民議会は1792年4月25日に採用を議決し、以後の処刑を全てこの機械によって行い、恐怖政治の象徴となった。さらにギロチンはドイツに輸出され、ナチス・ドイツ時代に盛んに使用されている。一方フランスでも死刑制度が廃止される1981年9月まで一貫してギロチンが用いられていた。


 ギロチンはフランスの死刑に機械的な装置を使用することを議会に提案した提案者であるギヨタンの名にちなむ。ギヨタンが死刑に処された事実はない。


 日本においては、平安時代までは武士が捕縛された場合は身分にかかわらず斬首刑となったが、捕虜は恥であるとして切腹を含む様々な方法で自害していた。戦国時代になると切腹の際に醜態を晒さず名誉を保つ死に方として、切腹直後に首を切り落とす介錯が行われるようになった。さらに江戸時代以降は細かな作法が制定され、江戸時代中期以降は実際に腹を斬る前に介錯するようになり、実質的には斬首刑となった。なお庶民の死刑は単なる斬首刑だった。


 月美は哲子は何かしら過ちを犯したんじゃないかと、図書館で推理した。

 

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