第2話 佐伯邸の殺人

 啓太は高野砂丘にやって来た。

 高野砂丘は河畔砂丘(内陸砂丘)に区分される砂丘群である。砂丘は旧利根川(現:大落古利根川)の旧河道東岸沿いに幸手市大字上高野から北葛飾郡杉戸町大字下野・大字下高野にかけ、かつての蛇行の袂状部の内側に発達している。


 この砂丘は全体としておおよそ南北方向から南に向かうに従い南東方向へと弧を描くように発達し、微高地は主なものは2条あり、1つは長さ約2800m・幅約85m・高さ約14.4m(最高点:下高野一里塚。北側、永福寺では13.3m)、もう1つは長さ約350m・幅約50mのものとが所在している。砂丘の東側に所在している後背湿地の低地との比高は、前者の最高点との比高が約7.2m、後者は約2mである。また、高野砂丘は中世の時期以降に形成期に入ったのもと推定されている。これは大字下高野の砂丘の下に自然堤防や中世の土器が含まれた土で建造された2列の古堤防(築堤時期:1253年(建長5年))が埋没しており、砂丘上に所在している永福寺が1579年(天正7年)に建立されていることによる。


 中世には奥州への道がこの自然堤防・砂丘を通っていた(後の日光御成街道)。 現在これは埼玉県道65号さいたま幸手線であり、東側を南側用水路が流下している。大字下野の砂丘上には八幡神社が所在しており、神社の西側(裏側)は「下野の森」となっている。


 砂丘からほど近いところにある一軒家で凄惨な事件が起きた。

 9月2日0時40分ごろ、佐伯さえき一家の母親志奈子しなこから「助けて!」という通報があり、15分後に杉戸警察署員が現場に駆けつけると犯人の姿はなく、一家の父親、寿喜男すきおと志奈子が遺体で発見された。就寝中に襲われた2人は顔や首などを約10箇所以上刺されており肺に達するほどの傷もあった。2階の子ども部屋で寝ていた夫婦の長男、節夫せつおは腕などを切られ重傷を負わされ、次女、創美そうみは催涙スプレーのようなものを噴射されて軽傷を負った。1階の自室にいた長女、貴子たかこは無傷であった。埼玉県警察は本事件を殺人事件と断定し、杉戸署に捜査本部を設置して捜査を開始した。


 金品を物色した形跡はなく、周囲を木々に囲まれ、一見住宅があるようには見えない佐伯邸の立地から当初、捜査本部は、金銭目的より一家に強い恨みを持ち、周辺現場に土地勘がある犯人像を有力視し、夫婦の人間関係を調べていた。しかし事件から1か月が経過しても夫婦のトラブルの情報はなく、捜査は難航していた。重軽傷を負った節夫と創美は「帽子と黒いマスクの男に襲われた。犯人は1人だった」と証言し、近隣住民からも「事件前にマスクをした不審者を被害者宅で見た」という目撃証言が寄せられてはいたが、犯人特定の決め手とはならなかった。

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