何者で無かったとしても

 周防メアリは救えない。



 その闇はあまりに深すぎるから。



 周防メアリは倒せない。



 非科学的存在に勝利は勝ち取れないから。



 メアリに見初められた俺だけが選べる第三の選択肢。それは『受け入れる』という事。自分をありのまま認められない彼女を代わりに受け入れ、その凶行を思いとどまらせる事だけ。率直に言って彼女は非常に面倒くさい性格をしている。否定されれば錯乱状態に陥り、肯定されれば元から乗っていた破滅の道を突き進む。それ故に判断するのは俺ではないと思っていた。


 説得出来ればそれが一番良かったが、理屈ではなく感情に振り回されていた相手にそれは厳しいと思っていた。だから俺は感情に訴えた。




 これが俺の出した答えだ。




「……とも、だち」


「そう、友達。今のお前とは絶対にならない。嫌いだからな。でも俺が嫌いなのは変な力で好き放題した『周防メアリ』だ。何の力もない周防メアリじゃない。どうだ?」


「ど、どうって………………………………………………」


 呼吸こそ荒いが、啜り泣きは落ち着いた。しかしそれ以上にメアリは激しく目を瞬かせて、どうにか俺の発言を理解しようとしていた。


「自分を視て欲しいって言うなら、俺がお前を友人として視ててやるよ。お前がそんな風になったのは天畧が全面的に悪いが、世界がここまで荒らされた責任は俺にもあるからな。だから一緒に償おうぜ、メアリ」


「な…………何で? 何でそんな事……言えるの」


「友達になりたいからだ。それ以上の理屈なんて特にないぞ。まあ友達になりたくないならそれでもいいけど……」


「い、嫌じゃない…………嫌じゃない………………けど。力を返したら、創太君だって私の事―――」


「忘れない」


「言い切れない!」


「約束する」


 少し考えがある。絶対にメアリを忘れない為の方法が。それはまだ説得出来てないので言わないが、もし俺の考察が当たっているなら、それで確実にメアリを忘れないでいられる。俺を好きになってくれた彼女に対してせめてもの約束だ。


 世界を取るか、俺を取るか。


 それは彼女が決める事である。


「―――ずるいよ、創太君。私、嫌ってくれる様に努力したのに……あ、貴方がそんな事言ったら、私バカみたいじゃん……!」


「お前は馬鹿だろ。自分の事さえ何も分からない奴は天才って言わねえんだよ。でもそんなお前と友達になりたい。そしたらお前は空っぽじゃなくなる。他ならぬ俺がそう言ってるんだ。俺にとってお前は代替の利く存在じゃない。神の力なんてなくても、お前はそのままでいいんだよ」


 今までのツケを払うかの如く、滂沱の涙が無言で流れていく。長い歪みに苛まれた彼女は、どうして自分がここまで泣いているのか自分でも良く分かっていないらしく、何度も目を拭っては不思議そうに濡れた手の甲を眺めていた。


「…………そのままで、いいの」


「そのままだからいいんだ」


「私、何も出来ないよ?」


「これから出来るようになればいい。俺もお前も『完璧』じゃないんだから」


 それはメアリへの救済に見えるかもしれないが、そう思ってくれたなら申し訳ないが只の勘違いだ。これはメアリに対する罰でもある。救済要素は一つもない。


 影響下に置いた全ての存在からメアリの記憶が無くなるのなら、当然法律も彼女を裁けない。やってきた悪行は現実離れしすぎて信じてもらえない。だから俺が裁くしかない。最初から対立し続けた俺しか彼女を裁けない。


「この手を取れば、お前は命様の力を失う。誰もお前を認識出来なくなるだろう。不可視の存在も命様もお前の事なんてさっぱり忘れる。誰かに視てもらいたいと暴れ続けたお前には相応しい末路だ。喜ぶ様な事は何も無いぞ。俺はお前の罪を見届けるだけだ。お前が死ぬまでずっとな」


「………………」


 莢さんも、對我さんであろうとも例外はない。俺と友達になるという言葉の聞こえが良いのは見かけだけ。実際は『力に拘らず築き上げた全ての関係を捨てろ』と言っているに等しい。



 人は二度死ぬ、という有名な言葉がある。



 一つは心臓が止まった時。


 そしてもう一つは人に忘れられた時。


 多くの人間は最初の死を迎え、二つ目の死を克服する。それは墓であったり、写真であったり、映像であったり、記憶であったり。しかしメアリは心臓が止まるよりも先に一度死ななければならない。それは精神的な死刑であり、死とはある意味で究極の免罪符だ。


 そも死刑とは、命と引き換えに全ての罪から逃れる刑罰だ。どんな極悪な事をしようが、本人が死んでしまえばそこで手打ち。その話は終わりだ。俺がコイツと友達になろうと言い出したのはそれを防ぐ為。二つ目の死を以て免罪とはせず、二度の死を迎えさせる為。それくらいしなければ釣り合わない。ただ死ぬくらいではケジメはつけられない。


「…………どうやって、私から力を取るつもりなの?」


 よくぞ聞いてくれた。俺はあの慣れない不快感に微妙な顔を浮かべながらポケットからナイフを取り出した。今更拳に納めていた小瓶が地割れに落ちて以降見当たらない事に気が付いたが、誰が居れたのか反対側のポケットに入っていた。


「このナイフでお前の血を摂って、この瓶に入れる。それを呑む。後は外に居る空花が術式……を組んでるから、俺がする準備はそれで終わりだ」


 友達にならんと差し伸べた手は、ナイフと小瓶を受け渡す手も兼ねた。選択してもらわなければいけないが、選択するのはメアリだ。強制は出来ない。選択を押し付ければ天畧と同類になってしまう。


 口論も落ち着き、長い長い静寂が二人を包んだ。


 十分、ニ十分。三十分。手を伸ばし続けるのにも疲れてきたが、メアリはまだ考え込んでいる様子だ。催促はしない。友達になろうとこちらから言った以上は、信じて待つのが筋という奴だ。


「…………催促しないの?」


「お前が選ぶ事だ。それにこれは、お前の協力なくして成立しない」


「そのナイフで私を襲えばいいじゃん。少しでも当たればそれで達成でしょ」


「勝算が無いって言ってんだろ。刃物如きでお前に傷がつくとは到底思えないしな。後さっきも言ったけど、お前に対する恨みはさっきの拳に全部込めた。俺からはもう何もしない。どうせダメージなさそうだしな」


「ダメージあったら、するの」


「もうしない、ってさっきから言ってるだろ。それにもし襲い掛かったとして、その小瓶を割られたらそれも失敗だ」


「じゃあ切らせてあげるって言ったらどうする?」


「それはお前に自分で切ってもらうのと何の違いがあるんだ?」


 疲労を通り越して腕の痺れを感じ出した頃、メアリが俺の掌からナイフと小瓶を強奪。真一文字に指を切ると、滴る血液を小瓶に納めてシェイク。血を飲料として飲むなど未知の体験だろうが、メアリは難なく飲み干した。


「……お前」


「………………言えば?」


「―――ああ」


 そう言えばそうだ。当初からその問題はどう解決したものか悩んでいたが、メアリが協力してくれるなら考える必要はない。




『空花ッ! 説得が終わった! もうやってくれていいぞ!』




 塔全体がスピーカーとなってメッセージを伝える。これで聞こえなかったら嘘だ。後は術式の発動を待つのみとなるが、人が呪われるのを間近で見る事になる。相手がメアリだったとしても果たして直視出来るものかどうか。


 メアリが背中を向けた。


「……………………ねえ創太君。私、貴方と友達になれたら、してみたい事一杯あるんだ。付き合ってくれない?」


「――――――幾らでも付き合ってやるよ」


「……そう」


 後は空花の方が仕事を終わらせるだけ。それだけで全て終わりだった。




 ガゴゴンッ!




 塔を殴りつけた巨大な振動。ここまで来て何かが起きるとは思わず、俺もメアリも体勢を崩した。それは結果的には不意打ちとなったが、天井を仰ぐ事になって俺は今更の様に思い出した。この塔は罅だらけだ。何かの間違いで一部分が崩れでもしたら連鎖的に倒壊するのは自然の理。


「きゃあッ!」


 メアリの真横の床が抜けた。連鎖的に周囲の壁や天井も崩壊。塔の外から見える景色に『メアリ』は視えない。家は家、地面は地面、空は空。『周防メアリ』と化した世界は既に崩壊を始めていた。


「メアリ! 塔何とか出来るかッ?」


「む、無理!」


「無理ぃッ?」


 まともに会話する隙もなく今度は俺とメアリの間にある壁が抜けた。足元で術式を組んでる空花は大丈夫だろうか―――それよりも今は自分の心配だ。こんな所から一溜まりもない。


「や、やだ! 何でッ? まだ力は取られてないよね? 何で……きゃああああああ!」


 横殴りの衝撃にメアリが崩れかけの壁まで吹き飛ばされる。彼女が叩き込まれたのを契機に壁は一部倒壊。助けに行きたいがこれだけ大きな揺れが続いていると身動きが取れない。怖いとか怖くないとかそういう問題ではなく、単に動けない。


「メアリッ! こっちに来られるかッ?」


「そ、そっちッ!? え、えと―――」


 彼女を支えている壁が崩れるのとほぼ同時にメアリはこちらまで移動してきた。ただしその移動方法は明らかに乱暴であり、移動したというよりは吹き飛ばされたと言う方が的確である。俺がギリギリの所で受け止めたから良かったものの、居なければ空中に放り出されていただろう。


「雑だな使い方が!」


「おかしい! あの血を飲んだ時から上手く使えないの! 最初に入ってた血は誰のッ!」


「空花だよッ。お前がずっと彼女だって勘違いしてた奴!」


「普通の血じゃない! 塔の形も全然維持出来なくなっちゃった! どうしよう創太君!」


 どうしようもない。


 そう諦めたい所だが、まだ命様は救い出せていない筈だ。出来るだけここに留まらなければいけない。命様さえ戻って来ればこの場はどうとでもなる筈だ。俺はメアリを抱き寄せながら這いつくばり、罅の少ない場所へ移動を始めた。ほぼ誤差だが、まだ崩れていないだけマシなのである。


「―――あ、やべえ! 莢さんはどうすりゃいいんだ!」


「サーヤまだ居るのッ? 追い出した筈なのに!」


「だからお前を放っておいた事なんて一度もねえんだよ! あの人たちは自分の事よりもお前がよっぽど大事だって言ったろうがよ!」


 階段は崩れてこそいないが、側面の壁が壊れたせいで先に進めなくなっている。片腕の使えない彼女が生き残るのは俺達以上に困難だろう。彼女に関しては最早祈る事しか出来ない。メアリから力を取り、完全体として復活した命様に全てを任せるしかない。


 文字通りの神頼み。俺達は揃って信仰心を試されている。


 俺は振動の隙をついて一瞬だけ身体を持ち上げると、そのままメアリに覆いかぶさった。


「な、何ッ!?」


「勝手に死なれたら困るんだよ! 良いから黙って縮こまってろ!」


「は、はいぃ…………」


 もう動けない。全ての賽は天に投げられた。ここまでやってきて二人共死亡してしまったら笑えないが、出来る事はやった。後は空花と命様を信じよう。自分が出来ないからこそ他人を信じて任せるのだ。



 不完全を補い合う姿こそ、あるべき人間の姿ではないだろうか。



 メアリを知る莢さんが日記を渡し、


 過去を知る對我さんが過去を話し、


 力の影響を受けない俺がメアリを説得した様に。


 不完全は時として完璧を凌駕する。




 ―――そして完璧は。完璧などというものがあるのなら。




 ―――もしそれを。神と呼んだなら。




 遂に俺達の蹲っていた箇所が崩落。初めて覚える浮遊感と強い重力には高揚さえ覚えたが、それを吟味する暇も無く俺達は地上へと落下した。  


「ヒイ…………!」


 体に逆巻く空気に怯えたメアリが俺の身体にひしとしがみつく。俺もまた彼女を離すまいと背中に手を回した。


 今までツイてない人生を送って来たのだ。この瞬間くらいツキがあっても、文句は言わせない。


 目を、閉じた。



























「待たせたのう、創太」





 ―――神は人を、賞賛する。



 



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