全能の果て



「…………何を、言ってるの?」


 殴られた時にその反応が出来ていれば少しは俺も様になったかもしれない。メアリは双眸をカッと見開き、信じられない言葉を聞いたとばかりに前傾した。


「そのままの意味だ。俺はお前に全部破壊された。俺は絶対に忘れないさ、なあ。でもお前の事は恨まない。今までお前に向けてた憎悪はこれで手打ちだ。一発殴ったんだから妥当だろ」


「……ち、違う。お、おかしいじゃん。何で……私、全然効いてないのに! 泣かそうとか、後悔させようとか思わないの?」


「出来ねえもんは出来ねえから仕方ないだろ。それともお前は素直に殴らせてくれるのか? まあ今更遅いけどな。俺はもうスッキリしたし」


「―――ま、待って。理解出来ない。どういうつもりなの? 私を止めなきゃ世界が滅ぶって……貴方も分かってるでしょッ?」


「俺がなんか不思議な力でも持ってるならともかく、何もないからな。お前を倒そうって思った時から倒し方をずっと考えて来たけど思いつかなかったよ。まあそりゃそうだよな。蘇生出来る奴をどうやって殺せばいいんだ。銃使おうがミサイル使おうが海に沈めようがバラバラにしようがお前はどうせ復活する。やろうとするだけでも困難なのに達成なんて不可能だろ。だからこれでいい。暴力じゃお前を止められない」


 倒す方法なんて最初から存在しなかった。そんなものは考えるだけ無駄だったのである。俺が考えるべきだったのはそれ以外の方法。メアリさえ止めてしまえばこちらの勝利なのだから、手段について拘る必要は全くない。


「―――なあメアリ。命様の力を返してくれないか?」


「そ、そう言って返す私だと思う? ようやく世界を支配出来たのに、何で返さなきゃいけないの。あのクソババアが好きだったこんな世界、何もかも無くなっちゃえばいいの……」


「八つ当たりは良くねえな。俺も天畧に出会って分かったよ。アイツはとんでもない奴だった。あんなゴミの下に生まれたお前を憐れとさえ思う。でもこれがお前の望んでた事か? 世界中の人間をお前にして、絶頂死させて。天畧への復讐になるのかよ。復讐ってのはさ、俺がお前殴ったみたいにそいつに対してやらないと復讐って言わないんだよ。周りにし始めたらそういうのは八つ当たりって言うんだぜ」


「……そんな事はない。だってこんな世界があるからクソババアは私に理想を求めたんだよ。だから八つ当たりなんかじゃない。この世界を壊して初めて私は自由になるの。だから絶対に返さない。貴方だって本当は私を殴りたいんじゃないの? 格好つけるのなんてやめてさ、掛かって来ればいいじゃん」


「格好つけるんだったら最初から『お前は俺が救う』とでも言うよ。言わないのはそれも無理だって分かってるからだ。色んな人に頼まれたけど、俺じゃお前を助けられないし救えない。全く考えなかった訳じゃないけど、お前はもっと根本的な所から問題なんだ。だからもしお前が救われるとしたら、それはお前自身が変わるしかない」


 人間には出来る事と出来ない事がある。メアリにもどうか覚えていて貰いたい。生きとし生ける者達には例外なく不可能がある。物理法則という者にさえそれはある。不可能が無い存在はこの世界に居てはいけないのだ。



 この世界唯一にして無二の完璧。それは完璧など存在しないという自己矛盾。



 どんな手段を使ってでもそれを目指そうとした時点から、メアリも天畧も矛盾していた。不完全性に美を見いだせなかったが故の悲劇だ。そして悲しい事に矛盾は現実に実物として存在しえない概念。この世界を好き放題弄る事が出来たとしても、この世界に居る限り、誰も『完璧』とやらにはなれない。


「お前さ―――何もかもやり直したかったんじゃないのか? 命様の力で過去に戻ろうとしたんじゃないか、最初はさ」


「…………どうしてそう思うの」


 俺は、あの日記の事を出来れば口にしたくない。あれはメアリの本心そのもの。錯乱状態の本人では気付けもしない純情だ。メアリを止められるなら手段は問わないと言ったが、流石に気が引ける。俺に向けてくれた好意を利用しているみたいで。


「復讐するよりずっと簡単だ。出来るならな。お前はその力を嫌ってた。でも今のお前があるのもその力のお蔭だ。覆せる訳がない。お前自身の否定になるからな」


「……」


「過去には戻れない。さりとて現在では抗えない。なら未来で覆すしかないってなった結果が今のお前なんだろう。『完璧』じゃない奴が出来もしない事を言うべきじゃねえんだよ。その力は、俺達には早すぎる代物だ。もう頼ってちゃいけないモノなんだよ。だから―――返してくれ」


 再び距離を詰める。メアリは動かない。


「……全力で俺に勝ち筋を作ったのはお前だ、最後くらい勝たせてくれよ。一度くらい敗北したって俺は何とも思わねえよ。だってお前は『完璧』じゃないから」


「…………や、やめて」


「ん?」






「やめてやめてやめてやめてやめて! 近づかないで!」






 ドンドンと距離を詰めたと思いきや、メアリの姿が一瞬にして後方へ。背を壁につけてはいるが、彼女の足はそれ以上後退せんとしていた。


「私を憎んでよ! 嫌ってよ! 何でそんな優しくするのッ? 何で殺そうともしないのッ? ね、ねえ。おかしいって! どうしてそんな目が出来るの!?」


「嫌ってる。お前なんて大嫌いだ。心からそう思ってる。けど憎まれるのは―――もう諦めてくれ。殴ったしな」


「そんな事言わないで! ねえお願いだからもっと私を視てよ!」


「視てるよ。お前と出会った時からずっとお前を視てる」


「そうじゃないの! 違うの! やめてやめてよ! 私に対してマイナスの感情以外抱かないで! そんな目で……視ないで」


 メアリを説得するには一先ずこの錯乱状態を落ち着かせなければいけない。しかしながら俺は最後まで彼女の言葉に反対する決意を固めている。何故なら周防メアリは自分自身でも気付かない内に破滅の道を進むおっちょこちょいだ。それに同調してしまえば猶更酷い事になるのは想像に難くない。


 想像を絶する苦難に見舞われた彼女に必要なのは慰めではない。


 それは決してやってはいけない。


「何で駄目なんだ?」


「だって、だって―――創太君が視てくれなかったら、誰も私を視てくれない。本当の私なんて誰も見ちゃくれない! 世界中が私の味方になっても満たされなかった! でもやめられなかった! だって本当の私を視てくれないからって全部やめちゃったら、私は誰にも注目されてもらえない! もしかしたら一人くらい、創太君みたいな人がいるって思ってたのに……信じてたのに…………」


「…………ああ、成程な。やっぱりお前は自分でも止まり方が分からなくなってたんだな。本当の自分を誰も視てくれないと知っていても、誰にも注目されない恐怖に比べたら大した事がないってか。天畧の教育か? 注目されない女に価値はないってか? 男を虜に出来ない女は女じゃないとでも言われたか? それともお前自身が勝手に『憎悪以外の感情を向けられたら視てもらえなくなる』とでも思ったか? もしそうなら信じるな。アイツの発言には何の信憑性も無いし、そこから生まれた歪みにも正当性はない。所詮はアイツも虎の威を借りパクしただけの存在だからな」


「そんな事言われても出来ないよぉ! 結局クソババアだって私を視てなかった……あの女は、自分の力を継げる器が欲しいだけだった。私じゃなくても良かった。あのクソババアにとって都合が良ければ何でもよかった!」


 随分久しぶりに『創太君』と呼ばれた気さえする。錯乱状態に陥った彼女を落ち着かせてしまえば再び無数の人格が本音を覆ってしまう。だから俺は決して慰めなかった。無数の人格を掻き分けてでも本人と話したかった。


「……力のお蔭で私の周りに人が寄ってきた。創太君に構ってもらえた! これが無かったら私は…………私は…………」


 怒られるかもしれないが、天畧とメアリは腐っても血が繋がっている。天畧もメアリも根っこは自信を持てないネガティブな人間だ。だから神の美しさに縋ったし、だから神の力を捨てられない。それもまた人の弱さだ。二人のミスは、弱さを認められなかった事にあるのかもしれない。


「空っぽになっちゃう……世界中から…………私が…………」





「存在を忘れられるんだろ?」





 実を言えば、大分前から気付いていた。始まりはメアリからの情報提供で周防天畧が昔は有名だったという事を知った時だ。


 そんな女性を俺は知らなかった。


 初めは時代の流れとはそういうものかと思っていたが、アイツのやっていた所業からそうも考えられなくなった。風化出来る代物ではない。今のメアリと似た様な事をやって忘れられる筈がない。町中で天畧の名前を一度でも聞ければ良かったが、関係者以外についぞその名前を出す者は居なかった。


 そこから命様にも発想させた。彼女は昔こそ多くの信者が居たが、今となっては自分はおろか神社の存在すら忘れ去られ、神聖なる山は単なる自殺スポットへとなり下がった。月巳町の歴史は偽りの物へと塗り替えられるもつかささんに暴かれるまで誰にも知られなかった。インターネットにさえ載っていなかった。


 これらを纏めると、見えてくる結論が一つ。俺の要求に対してメアリが頑ななのは、『力が離れた瞬間、その時影響を及ぼしていた存在から一切の記憶が抹消されるから』ではないだろうか。天畧の存在を莢さんや對我さんが覚えていたのは彼女が影響下に入れなかったからだ。町中の人間を影響下に置いていた命様は現に全員から忘れ去られている。


 つまり世界中を影響下に置いてしまったメアリは…………


「何となく気付いてたよ。それでも俺はお前に返却を求める。お前の力じゃないのに変わりはないんだからな」


 例外たる空花でさえ、追加で呪文を書かなければ影響を免れない様な力だ。水鏡家は覚えている、と仮定しても、家から出られない以上はカウントしてはいけない。それはメアリにとって居ないも同然だ。


「私は…………空っぽになりたくない! 消えたくない! お願いだよ創太君……私は貴方が死に時を導いてくれると信じてたんだよ! お願い、ねえ! 殺して! 私を屠ってよ!」


「人殺しを俺に頼むんじゃねえ」


「私が居なくなれば世界は救えるんだよ!? 誰にも見てもらえなくなるよりはずっといい! 私は貴方に殺されたい!」


「俺は殺したくない」


 法律が無い世界だとしても、俺は人を殺したくない。ましてずっと―――苦しんできた奴を相手に。それはある意味介錯という名の救済かもしれないが、その代わり俺は地獄に落ちるだろう。檜木創太は人格者ではない。殺しの罪を背負ってまで彼女を救いたいとは思わない。


 再び距離を詰める。背後は壁だ、これ以上メアリに逃げ場はない。全能の力を持ち、殺そうと思えばいつでも殺せるのに少しの抵抗もしてこないのは、俺が彼女に抱く感情に恐怖しているのか、それとも本当は力なんて振るいたくないのか。


「そんな我儘言わないで! ねえどうしたら嫌ってくれるの! どうしたら憎んでくれるの! 私は全てを注いだのに、拳一発で終わりなんてあんまりじゃん!」


「何の報いも無いのは流石にな」


「そうじゃない! おかしいじゃん……おかしいじゃん! 殺されるだけじゃ温いくらいの事したのにさ! 一発殴るだけで終わらせるなんて……私から興味無くなったって事じゃん!」


「興味なくなったって奴がこんな所来るか?」


「サーヤのせいでしょ、知ってるよッ。私を助けてほしいって散々貴方に言ってたもんね! 創太君ならそれくらいするよ、だって貴方はそういう人だか―――!」




「勘っ違いすんじゃねえ!」




 壁を無意味に押し続けるメアリの胸ぐらを掴み、俺は至近距離から叫んだ。


「俺は自分の意思で来てるんだッ! 莢さんに対して義理を感じてるだけならわざわざお前と口論なんかしねえし殴ったりもしねえよ! 人が大人しく聞いてりゃいい気になりやがって。俺が居なくなったから何だってんだ! 莢さんと對我さんはずっと本当のお前だけを案じてんだよ! 空っぽになる? 消えたくない? 思い込みも甚だしいんだよお前はァ!」


 胸ぐらをつかむ手に力が込められる。しかし決して殴るつもりはない。俺の恨みはあの一発に全て込められた。特別な事情が無い限り人は殴らない。


「自分を完璧だって言うなら気づいとけ! 俺なんかよりもずっと前から―――あの二人は、あの二人だけはお前の事を気にかけてたんだ! お前が天畧を継ぐ器なんかじゃないってのは、ずっと前から二人が証明してんだよ! お前が力を受け継いで、二人の知るお前じゃなくなったとしても、あの二人はお前を見放さなかった。俺を利用してでも助けようと考えた。それでもお前は空っぽだってのかッ?」


「…………ッ!」


「俺だってそうだ。お前の人格が無数に分裂しようが、どんなに完璧ぶろうが、俺は不完全な『お前』を視てた。お前を止める為にここに来た。『お前』を視てる奴は誰も放っておかなかった。一度もなかった!」


 メアリの視線が横に逸れる。叫び過ぎて喉がイカレそうだ。声も段々掠れてきた。彼女を納得させられるまで声が出せればそれでいい。それで全てが終わるなら安いものだ。俺は胸ぐらから手を離すと、歩数にして二歩ばかりの間合いを開けて、改めて用件を切り出した。


「……メアリ。力を返してくれ」


「………………い、嫌」


「お前を視てくれてた奴もそれを望んでる。だから俺がここに居るんだ。答えを教えてやったんだからいい加減分かれよ」


「だとしても、力を返したらそんなの関係なくなっちゃう。誰も……誰も私を認識してくれない! これから私が何をしても、ウンと可愛くなっても、誰も…………」


 またメアリを泣かせてしまったが、本人の涙は初めて見た。紡ぐ言葉は啜り泣きが混じり、頼りない。認識されない―――『不可視』に彼女が心から恐怖している証拠だ。涙を流す程に拒絶するのは俺が二人の気持ちを伝えたせいもあるだろう。


「…………もしお前が力を返却して、何でもない周防メアリになってくれるなら」


「……………………ぇ?」


 そして俺は、初めて手を差し伸べる。



 










「俺はそんなお前と、友達になりたい」

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