知らぬを知った憐れな女



 メアリの家までメアリになっていたらどうしようも無かったが……案の定、この家だけはメアリ化を免れていた。証拠も無ければ推測も無かったが、漠然とこの家だけは何も変わらない気がしていたのだ。


「ここがメアリの家か」


「そうですよ。広いでしょう?」


「…………好かん」


 え?


 まぐわいがどうのこうの言うのかと思ったら、出た言葉は簡潔を通り越していっそ手抜きであった。しかし言葉が短ければ短い程そこには強い意味が生まれる。何故好かないのかはさておき、その価値観を改める事は俺には決して出来ないだろう。


 ただし全く何も変わっていない訳ではない。外壁の扉は誰に言われるでも無く勝手に開いている。泥棒に対しての警戒心が皆無だが、こんな世界になってしまえば泥棒も一人のメアリだ。犯罪などしないだろうし、そもそも信者が犯罪を起こす筈もない。俺が関わらない限りは。


「莢さーん! いますかッ!」


 彼女の家は庭一つ取っても広すぎる。同時に見渡しも良いのだが、念の為に大声を出しながら歩き続ける。家の玄関に到着するまで、遂に反応は訪れなかった。家に居ても聞こえる筈なので、聞こえないとなればわざわざ探す必要も…………?


 いや、それは駄目だ。この家は物理的な構造というものを全く無視している。メアリが居ない今はどうなっているのかという確認も込めて内部は探索すべきである。


「気を付けよ、坊。家屋の中から気配を感じるぞ」


「気配? ……それ多分、メアリの両親じゃないですかね」


 別に心配はいらない。メアリの手で二人は揃って廃人にされている。今だったら真っ先にメアリ化しているかもしれない。何を恐れるべき事があるか。玄関を通って全体を見渡すと、かつて遊びに来た時と何ら変わらない内装が広がっていた。


「……」


 変えられないのか、思う所があって変えなかったのか。あの日のループを思い出し苦笑いが出てくる。何故か電気が点いているが、何処から電気を引っ張っているのだろう。今は全てがメアリになっている。仮に自家発電をしていたとしても停電とは訳が違う。


「莢さーん! 居たら返事してください!」


「居らねば我が坊を襲ってしまうぞー」


「ちょっと待って約束が違う。襲わないでくださいよこんな所で。ていうかそれで莢さん反応しませんし」


「む? その莢とやらは貴様の妾ではないのか?」


「メアリのメイドさんですけど、俺の妾ではないです。いつの価値観ですかそれ。最近の日本人使いませんよ?」


 そもそも人間ではない存在に人の価値観を説くなど無駄だった。適当に部屋に入っては中を確認する。かつて来訪した時に見たあのおかしな部屋は何処へ行ったのだろう。何故何処の扉を潜っても続く先は独房もびっくりの空室なのだ。建築したばかりの家じゃあるまいし、本当に人が住んでいたのだろうか。


 二〇部屋程回って見たが、リビングとキッチンを除けば全ての部屋が空き部屋だった。家具は愚か窓さえない閉塞的な部屋ばかり。刑務所より酷い。


「莢さーん!」


 引き続き呼びかけるが、手応えはない。


「そっちはどうですか?」


「何も無いな。だから我は好かんと言ったのだ。この家屋はまやかしで出来ている。実体はこうも空しく、無意味に部屋の乱立した杜撰な造り……本当に居るのか?」


「それは分かりませんけど、居るとしたらこの家かなって思ったんですよ! でも……うーん。認めるしかないですね。当てが外れたな~」


「悲しいか?」


「いや。まあこんなもんでしょう。次は何処を探しましょうかね」


 改めて玄関まで戻り、部屋全体を見渡した。行ってない部屋は……月喰さんが入った部屋を除けば無さそうだ。以前来た時は部屋から部屋。部屋から廊下から更に部屋と迷宮みたいに繋がっていたが、そんな違法建築はすっかりなくなってしまった。


「そういえば月喰さん。気配を感じるって言ってましたよね? それはどうなったんですか?」


「既に見つけているが、坊の探してる存在ではなかろう」



 …………。 



「いやいやいや! 何か見つけたなら言って下さいよ! 何も無い、じゃなくて!」


「莢とやらを探しているのだろう? あの者には見覚えがある。坊を送り出した時、我を見ていた者だ」


「えッ。それって―――」



  
















 ライトの光を浴びて玲瓏たる銀髪が露わになる。俺の存在に気が付いて、伏せていた碧眼が弱弱しくこちらを向いた。


「ああ……貴方……何処の誰か、知らないけれど。助けて下さる? 手枷と足枷のせいで、動けなくて」


 その髪色を、俺は知っている。


 その碧眼を、俺は知っている。


 世界で一番メアリを嫌っている俺が、その色を見間違うものか。その二つの色こそメアリを象徴する美しさの証。翻ってその色を持つ彼女こそ、周防天畧に他ならない。


「……アンタ、周防天畧だよな」


「あら……? 私を知ってるのね……なら話が早いわ。助けなさい、今すぐ」


 天畧は両手を後ろで拘束され、両足には鉄球と共に枷が嵌められている。そんな状態で横たわっているにも拘らず、己の名前を知る者が来たと知るやその瞳に生気が宿った。悲しいくらい力強いその眼力はいっそ憐憫すら催してしまう。


「……アンタ、廃人から解かれたんだな」


「何の話?」


「アンタの娘、メアリの事だよ。知ってんだろ、自慢の娘なんだから」


「……メアリの事まで知ってるなんて、誰? 貴方」


「周防メアリの朋だ」


「勝手に話に加わらないでくれますかッ!? 俺はアイツを友達なんて認めた事は一回もありませんからね!」


 そうは言いつつも、事情を知らない人間に関係性を説明するのにそれ以上便利なものはない。月喰さんの横やりには注意をしつつも、一部拝借して自己紹介を始める。


「俺は檜木創太。メアリに友達扱いされてる同級生だ。今、そのメアリのせいで酷い目に合ってる。親のアンタに聞かせてやりたいくらいだよ」


「あら、どんなの?」


「全世界を征服された。己の美貌と力を最大限活用して、乗っ取っちまったんだよ。アンタが―――アンタがメアリに変なもん押し付けたせいで大迷惑被ってんだよ! どう責任取ってくれんだッ?」


 周防天畧とはこれが初対面だが、俺は本気で怒っている。やったのは信者でもあるし、メアリでもあるのだが、それらも元を辿ればコイツが悪い。コイツが欲を掻かなきゃ全ては始まりさえしなかったのだから。


 毒親を極めた女は、悪びれもせずに―――否、誇らしげに笑みを浮かべた。


「流石は私の娘ねッ! お母さんのお願いを叶えてくれるなんて、流石は私の娘だわ! これであの女にも勝てる……だって世界一の美人を育てたんだもの。これで私が世界一の美人なのは疑いようもない事実! 貴方もそう思うでしょ? だからお・ね・が・い♡ これ、外してくれる? 後で良い事してあげるから……」


「…………周防天畧」




「俺にはメアリ以上にアンタが醜く見えるよ」




 美醜に価値観を囚われた人間に対して、俺の言葉は最上級の侮蔑にも等しい。甘い声で誘ってきた直前から一転、天畧はドスの効いた声で俺を脅す。


「はッ!? 貴方、何様のつもり? 私を誰だと思ってるの?」


「子供を道具としてしか見てない、自己中心的で、貞操観念ガバガバの、傲慢で、愚かで、最低の女だよ」


「…………んだと?」


「てめえの所業、全部知ってんだよ俺は。人の命を何だと思ってる? 子供の心を何だと思ってる? 母親の自覚ってものがないのか? アンタのせいで俺は人生を滅茶苦茶にされた。俺以上にメアリはすっかり歪んだ。周りがどんなに助けたいって思っても手遅れなくらいな。だからアンタは一度廃人にされた。メアリだってアンタの事が嫌いで仕方ねえって言ってたよ」


「そんな訳無いでしょ? 頭イカレてんじゃないの? 私はメアリを愛してあげてた。きちんとご飯もあげたし、出来る事はした。それの何処に問題があるの? 親になった事もない癖に生意気な事言ってんじゃないわよ」


「アンタこそ知った風な口聞くんじゃねえ! 結局全部てめえ自身の為にやった事だろうが……! 子育てが簡単とは言わねえよ、きっと凄く難しいんだろうよ! でもな、アンタの価値観を押し付けんじゃねえ! 歪む前のメアリはずっと悩んでた! 理想の女性を目指す為に莢さんに色々聞いたり、何度も自問自答を繰り返してたり、ハッキリ言って馬鹿みたいに悩んでた! 俺はメアリが嫌いだ。大嫌いだ。でもな、アンタの所業聞いてちょっと考えが変わったよ。アイツは……メアリはメアリなりに抗ってた。『完璧』という名の不完全に必死に抗ってた。子供に負担掛けるのが子育てか? 子供だけに頑張らせるのが子育てか? 親は叱ってるだけで勝手に育つと思ったか? テメエは親としても女としても人間としても落第点以下、失格だ! そんな奴が女の頂点に立とうなんて寝言は寝て言えバーカ! 莢さんの方がよっぽどアンタより人間出来てるわ!」


「……さっきから莢、莢って。アンタ、莢とはどんな関係なの?」


「家族です」


「…………莢は私の物なんだけど。勝手に奪ったんだ? 人間のクズね」


「クズにクズ言われたって傷つかねえよ。メアリだけじゃ飽き足らずナチュラルに莢さんまで物扱いしやがって。話が通じないのは信者そっくりだな」


「それはこっちの台詞! どうせアンタみたいな冴えない男が莢にする事と言えば下世話な事に決まってるのよ。毎日毎日アンタを相手しなきゃいけない莢の気持ちにもなりなさいよ!」


「あんな良い人にそんな事する訳ねえだろてめえ基準で物事考えんなこのクソビッチが! ああ言い直す。莢さんと比較するのは間違ってた。あんな気立ての良い人と比べるなんて失礼だ。比較対象の無い最低な女だよアンタは」


 悪口の応酬は止まらない。周防天畧の逆鱗に触れている処か、俺は殴りつけているに等しい。だがそれでも止まらない。止められない。全ての元凶とも言えるこの女性には言いたい事が山ほどある。こんな所で罵り合ったとしても何らメアリに影響がない事など知っているが、それでも言わずには居られない。廃人化しているならいざ知らず、今はすっかり元気を取り戻している。


 散々証拠を見せつけられた後で少し話したくなってみたから声を掛けたのがついさっきまでの動機だ。しかしそれは既に達成された。信者やメアリが人の話を全く聞きもしない都合の良い事にだけ耳を傾ける性質は彼女から来ていたのだ。


 ああ腹が立つ。


「……もしかしたら。廃人化してる内に心を改めたんじゃないかって思ったんだけどな。一ミリでも期待した俺がバカだった」


「ふん。じゃあ馬鹿は馬鹿らしく私を助けなさい。散々馬鹿にしてくれたお蔭でアンタをぶち殺したいくらいだけど、助けてくれるなら一夜のお礼をしてあげても良くてよ?」


「―――いや、結構です。俺にはもうお嫁さんが居るので」


「……は?」


 空気を読んでか、月喰さんが部屋に入ってきた。天畧が『魔』に魅入られぬよう両目を閉ざしていたが、その淫乱すぎる格好と究極的に本能を刺激する煽情的な肉体を見れば―――特に天畧は一瞬でその正体を理解した。



 至上の美に到達したと自負する彼女が唯一心から負けを認めてしまった魔性の獣、月喰。



「あ! ああああああ…………ああああああああああああああああああああああんたは!」


「……貴様らの話を聞いていた。坊の言う通り貴様は醜い。我を美で上回ろうというのがそもそもの間違いなのだ。それに気付けなかった時から貴様は雌として終わっていた。まして他人を利用するなど、そんなものは美ではない。美とは追う物ではなく追われる物。美を追い回し、美を愛していた貴様には悠久の時を経ても辿り着けぬだろうがな。上等な雌には美の方から付いてくるものだ。貴様は美に愛される努力をしたか? 最早真の美などどうでも良く、愛されればそれで良いとさえ思っていないか? 求めるばかりでどうして美など得られよう。なあ、憐れな雌よ」


 相手が俺の時とは違って、天畧は愕然とした表情のまま固まっている。言い返せないのだろう。月喰さんの美貌に彼女は心から負けを認めてしまっている。彼女にとっては手の届かぬ存在だ。そんな存在にどうして自分が正しいと言い切れる。正しくないから嫉妬に狂ったのに。


「それと坊を冴えない男と言ったな? それも貴様の悪い所だ。雄を見下すな。雌は雄が居て初めてその魅力が引き出されるものよ。我は坊に『恋』をした。坊が相手ならば一年、二年―――百年千年とまぐわい続けても良い。幾度となく孕ませられようとも我にはそれを受け止める覚悟がある。貴様はどうだ? 『恋』はしたか? それは本当に『恋』か? 結局のところ貴様は己の感情さえまともに把握出来ていないのではないか? その人が好きで一緒に居たいという感情を持った事はあるか?」


「ああ。あああ、ああああああああ、ああ…………」


 嫉妬、怒り、恐怖。それらの入り混じった感情は複雑極まりなく、一言で天畧の表情を説明しろと言われても俺には出来ない。あれだけ己の至上性を語っていた女性が、超越した存在を前に身体を震わせている。何をしても勝てないと心から悟り切っている。


「……『恋』は雌を美しくする。それが分からぬ限り我には勝てまいよ。生娘」


 月喰さんが振り返った。


「坊はもう良いのか?」


「……まあ、ちょっと話したくなっただけですから。どんなクソ野郎なのかって。もう十分です。これ以上居ても収穫は無さそうですし、行きましょう―――」




「待て」




 足早に家を出んとする俺の手を彼女が掴んだ。振り返ると天畧が視界に入ってしまうので気が進まない。


「何ですか」


「そこな憐れな雌の奥の壁の先―――何かあるぞ」


「はあ―――ってうわ!」


 有無を言わさぬ膂力で再び部屋に引っ張り込まれる。空室ばかりのこの家で、天畧の監禁されていた部屋だけは唯一ベッドがあった。勿論めぼしいものはそれだけで、後は精々壁が石作り程度の違いしかないのだが、彼女には一体何が見えたのだろう。


 足元の天畧は俺達が無視を決め込んだのを良い事に必死に拘束から抜け出そうとしていた。尤も、最初に俺を助けを求めた様に、枷は自力では外せない様になっている。無駄な足掻きという他ない。


 月喰さんが壁に手を置いた瞬間、彼女の手が大きく開き、壁を『食べた』。瞬きの刹那に手は元に戻っていたが、彼女は妖。人間ではない。妖艶な女性で居てくれるのは飽くまで俺の為であると忘れてはならない。


「……ほう」


「…………あ、まさかここって!」


 部屋の中心に広がる未知の方陣。規則正しく並べられた鉄の杖と、壁中に書き込まれた二次元的な瞳。棚の上に並べられているのはお札の他に髪の毛、爪、血。そちら方面に詳しくない俺でも、今まで聞いた情報から推察する事は出来る。


 ここは儀式の場。


 『周防メアリ』が生まれた場所だ。



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