空ろな少女の足跡
「……済みません、こちらの携帯は水鏡空花さんのもので宜しいでしょうか」
空花を三倍くらい落ち着かせたらこんな風になるのだろうか。何を基準に倍増させているかは分からないが、俺の言いたい事は伝わると思う。
「ん。ああ。こちらこそ済まない。本人は現在書庫に籠りっきりだ。用があるなら私から伝えるよ」
「……ええっと。メアリになってますか?」
「その前に避難させたから問題ないが、家から出たらそうなってしまうだろうね。しかしこんな状況で良く電話を掛ける気になれたね。普通はまともに機能も使えない筈だけど」
「そっちだって使えてるじゃないですか」
「中々良い着眼点だ。それで、用件は?」
空花と話すつもりで掛けたせいもあるが、この異常事態に『正常』な反応をされると非常にやり辛い。この落ち着きぶりは何だ。どんなに肝が据わった人間もここまでの異常事態には巡り合わないと言い切ってもいい。周防メアリはそれだけ特別な存在なのだ。
「……あ、空花さんの安否を確認させてもらっていいですか?」
「無事だと言った筈だが」
「本人の声が聴きたいんです!」
謎の女性は少し悩んだ様子で無言を続けたが、間もなく返答した。
「君には申し訳ないが、私の家は外との干渉に酷く喧しくてね。それに今は終末状態だ。外が周防メアリで埋め尽くされてる。全く不愉快だよ、お蔭で私の大切な時間が削られてしまった……話がズレたね。今は極力外との交流を絶たなきゃいけない状況だ。こうして電話が繋がったのはある種の奇跡だと思ってくれたまえ。電話に出たのが私じゃなかったら着信拒否されている所だよ?」
「そこをどうにかお願い出来ませんかッ?」
家族の言う事が信じられない訳ではない。でも俺は本人の声が聴きたい。一瞬だけでも良い。『あー』でも『うー』でも構わない。その為に俺は電話したのだから、少なくともこのチャンスは物にしたい。図々しいと言われるかもしれないが、せっかく繋がったのだから。
女性は再び黙ってしまった。もう一押しするべきかと息を吸った所で、声の代わりに何か物音が聞こえてきた。
「あーもう熖花! ちゃんと本は戻してよー!」
「ええ、めんどいなあ。アンタがやりゃいいじゃん」
「私はこっち探してるんだから―――って蓮次! 葵衣! 手伝うって言ったの二人なのにどうして飽きるのッ?」
「いやーだって……」
「本多いし……」
「だからってドミノ倒しをするなー!」
「お願いして通るなら私も断ったりしないんだよ。じゃあ」
通話は一方的に切られた。
冷え切った口調とは裏腹に、とても優しい人だった。名前を聞き忘れたが、まあいいだろう。(恐らく)年下と一緒に居る時の空花という新しい一面も垣間見えたし。
「どうだ?」
「一人は無事を確認出来ました。あっちはあっちでやれることをやってるみたいですね。となると残りは―――」
莢さんと幸音さん。
正直、まともなままで居るとは考えていない。二人とも耐性はないし、特に幸音さんは言うなればメアリの失敗作みたいな存在だ。通常の人間より影響は受けやすいだろうが、それでもまずは見つけたい。直す方法が無くても、死んでさえいなければどうとでもなる。
「梧医院に行ってみれば……いや、つかささん見つけなきゃなあ…………あー」
考えがまとまらない。絶頂死の件を考慮すると、あまり時間は掛けられない。気が付けば全人類が絶頂死していたなんて笑えない。笑ってくれる人さえ居なくなる。一秒でも時間は無駄に出来ない。悩みながら歩き続けているとメアリとすれ違った。それがどちらか一方だったなら良かったのだが、そう都合よくはいかない。俺はメアリではないもので。
「―――メアリの家に行きましょうか」
「ほう。趣向を変えて直接元を叩く腹積もりか」
「どうせ居ませんよ。でも彼女に仕えてたメイドさんは居るかもしれません。居たらいいんですけどね」
方針が決まれば俺の行動は早い。ここからメアリの家に行くまでまた鬼妖眼を使わないといけないのは負担だが、流石にまだ目は痛くならない。道中、少し気になったので月喰さんとの雑談に興じる。
「なんか随分振り回してるんですけど、文句一つ言わないんですね」
「坊との二人旅に文句をつける我ではない。貴様は我の婿で、我は貴様の嫁だ。多少振り回される事に何故異議を唱えねばならん。強い雄は好みだ。激しく振り回してくれて構わんぞ」
「……マジで意外です。一歩後ろでついてくるタイプだったなんて」
「我の嗜好を抜きにしても、主導する意味はあるまい。飽くまで坊を助けているだけなのだから。ククク、我はとっくにお見通しだ。坊はその甘さから受け身になりやすいだけで本質的には女を掌握せんとする激しさを抱えている。違うか?」
「……何だろう。言い方がとてつもなく悪いんですけど訂正出来ませんか?」
事実を言ったまでだが? と開き直る月喰さん。事実じゃないから俺も突っ込んだのに開き直られてはどうしようもない。婿だの嫁だのはこの際気にしないでおくが、それにしてもこの発言だけは容認してはならない。あらぬ誤解を周囲にバラまかれるのはメアリ並みに困る。
「些末な事は気にするな。我も闇祭りの客を消されて困っているのだ。仮に貴様が我の婿でなかったとしても、利害の一致として協力はしただろうからな」
「婿にならなかった人は『魔』に魅入られるんじゃないですかね」
「……失念していた。至上の美も考えモノだな」
こうして会話を続けていると、月喰さんは厳かな言い回しとは裏腹に意外と控えめな性格である事が分かる。控えめと言っても妖は妖。人を惑わす存在には違いないのだが……どうしても人型をしてるせいで、人間として考えてしまう。
あの泥みたいな不定形状態はハッキリ言ってあまり好きではないので、このままで居てくれた方が俺としても目の保養になって助かるのだが。
「坊。貴様は我が愛おしいか?」
「は? 急にどうしたんですか。俺がどう思おうとそっちは婿にする気満々なんでしょ?」
「ああ。だが愛なきまぐわいはさほど心地良くはない。心を弄ぶ我がそこを気にするなどおかしな話であろう。しかし聞いておきたい、実際の所はどうなのだ」
「うーん……まあ、好きですよ。こんなクソ世界で俺を立ち直らせてくれたのは月喰さんですし。でも……」
「でも……?」
「何回か普通にデートしてからしたいですよね、そういう事は」
俺は『普通』に憧れている。何処に基準があるかは分からないが、メアリと出会わなかった状態としておこうか。真っ当に家族と仲良くなって,真っ当に友達が出来て、真っ当に恋人が出来る様な、そんな普通。この場合、俺は命様とも空花とも幸音さんとも……いや、これまでに出会った全ての存在と接点を持てなくなるだろうが、尚も憧れは消えない。皆と出会えて俺は幸せだった。けれどもその幸せに至るまで俺は十年以上も苦痛を味わってきたのだ。付き合ってきた時間の長さは感情とイコールではない(でなければ絢乃さんを失った時、俺は悲しまなかっただろう)が、それにしたって釣り合わない。
勿論、今の俺を否定したい訳ではない。これはこれで幸せな時もあった。でも……だからこそ、このままでもいい。少しでいいから『普通』を味わいたい。特に恋愛は真っ当に関係を進展させてみたいのだ。
「……では、坊よ。事が済めば我とともに行かぬか?」
「何処に?」
「見えざる世界の深淵に、だ」
「…………何か不安ですけど、そうですね。メアリを無事に倒せたら行きましょうか。婚前旅行って事で」
「お? 坊にしては乗り気だな」
「デートしたいって言ったの俺ですからね。そりゃ乗り気ですよ。楽しみにしておきますね!」
本当に結婚するかどうかはさておき、デートはしたい。それが恋愛耐性など一ミリも無い、女性経験などある筈のない男の願いだ。メアリの事さえ片付けば俺はようやく他の事に目を向けられる。裏を返せば終わらない限り、俺の脳裏には常にアイツがチラついてしまう。
「おっしゃー! そうと決まれば駆け足で行きましょうッ。もうアイツの家は目の前です!」
月喰さんとのデートに想いを馳せていたら気分が上がった。それに応じて身体は不思議と軽くなり、今は羽の様ではないか。こんな美人とデート出来るチャンスは滅多にない。完全に婿としての特権を活用している。
「行くぞ、月喰!」
調子に乗って呼び捨てにするも、彼女はゆったりと微笑んで。
「―――参ろうか、旦那様」
お淑やかに俺の背中を押した。
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