完全無欠のざんない想い
「いけません、メアリ様! それ以上は……戻れなくなってしまいます!」
届かない手。私は誰よりも彼女を慕っていながら、ただの一度も救えていない。ただの一度も頑張れない。
「戻れなくていいの。だって最初から、こうなるって分かってたんだから。私はこの世界を掌握して、望まれて王様になる。それが私の目的なんだから、戻れなくたって全然いいよ」
メアリ様が天畧様を継いでから、彼女は私と顔を合わせなくなった。まるで私を避けているみたいに。
「……私は貴方様をお救いしたいのです。その為に創太様に協力しているのですから」
対峙した者を魅了する力のせいで、彼と協力した後も私は対峙する事さえ叶わなかった。私に彼の様な力はなく、出来る事は彼の心の支えとなる事だけ。家族に売られた私にとって創太様との生活はかけがえのないものだったけれど、だからこそ大切な以上にもどかしかった。
家では勿論お世話が出来る。創太様がお望みになるならばどんな世話も。しかしそれ以外は? 私が何の力も持たない一般人のせいで、助けられていない。私はメアリ様の力にも創太様の力にもなれていない。何の影響も与えられない。
「そう言えば、私が命じたんだったね。じゃあ忘れてもいいよ。創太君の所から離れてもいいし、一緒に居てもいい。私はもう何も命じないよ。主従関係解消。もう……放っておいて」
「……いいえ、いいえ! そういう訳には参りません! 私は―――」
「来ないでって言ってるんだよ」
ああ。
また私は。
「メアリ様!」
それが夢だったと気付くのに、分かかった。現実は夢よりも出鱈目で、曖昧でふざけてる。メアリ様に横たわっているこの状況が現実だと、一体どうやって理解すればいい。何もかもメアリ様になってしまって、私自身もまた…………
「…………」
変わってない?
手鏡もメアリ様となった以上、確認する術は肉眼しかない。私はメアリ様の身体を良く知っている。もしこの身体が侵犯されてしまったなら、指はもう少し短い。これは紛れも無く私の指だ。髪の毛を前に持ってきても感想は変わらない。金髪だ。染めた訳じゃない、紛れもない私の毛髪。メアリ様が羨んでいたもの。
給仕服も変わらない。胸も小さくなってない。下着も変わってない。どの要素を分析しても私がメアリ様に変貌した感覚は全くない。たまたま運よく影響から逃れたなんて都合の良い話はないだろうし、合理的に考えるならメアリ様が知り合いの好で外してくれたとか、その辺りか。
果たしてそれは思いやりなのだろうか。神羅万象がメアリ様となった今、それは仲間外れにされただけだ。
「……幸音様?」
家がない。仁王立ちをしているメアリ様が住宅……なのだろうか。確証がない。どういう法則で物体はメアリ様になったのかが分からないと推測が立てられない。
―――ん。
ポケットに何か入っている。服を除けば手持ちの物は携帯でさえメアリ様になっているのに、只それだけは肌触りからして違う。紙だ。取り出して広げると、見た事もない綺麗な文字でこう書かれていた。
『今までありがとう』
名前が無くともそれを書いた人物が誰かは分かり切っていた。同時に私は、何としてでも彼女を救わなければという気持ちを抱いた。
本気になってしまったメアリに最早慈悲は無い。不可侵領域と化していた俺の家さえも周防メアリになってしまった。
「ここが坊の家か」
「そうですけど」
「まぐわいには不向きだな」
「俺の家はラブホテルじゃないんで不向きでも全く問題ないです。まあ……今は普通の家とかそういう次元の話じゃないですけどね」
莢さんも幸音さんも空花も誰も居ない。つかささんが居たら驚くが、やはり居ない。そもそも家ではなくなってしまったので溜まる筈もない。
辺りを見渡すと周防メアリが四人ほど目についた。しかしあのメアリが彼女達だとは思わない。メアリになった奴等は悉くがハイテンションで全く特徴が無いのだ。ハイテンションじゃない時などあるのだろうか。無いから死体があったのか。
『眼』を使って答え合わせ。案の定、見知らぬ男達だった。
「当てが外れましたね」
影響を受けている可能性が高い二人はこの際置いておくにしても、影響を受けていない可能性のある空花に絞った方が良いかもしれない。彼女が避難場所として選びそうな場所と言えば本来の家……水鏡家くらいなものだが、俺はその場所を知らない。
「月喰さん。今の日付って分かりますか?」
「また唐突だな。今更時間を気にして何になるというのだ」
「俺が目覚めたのってあそこのタワーから突き落とされた後なんですけど。気を失ってたんですよね。地面に直撃した瞬間まで空は普通でした。でも今はメアリじゃないですか。だからどれくらい時間が経ってるか知りたくて」
「経過して何かが変わるものか? 手遅れがより手遅れになっただけにも思えるが」
「俺にはあるんですよ」
夏休みが終わったら空花は隣町に帰る予定だった。命様はメアリに取られたが、だからと言って予定は変わらない。携帯を使ってダメ元で連絡を取る手も考えたが、世界中がメアリになってしまった以上携帯は機能停止しているだろう。まだ見ていないが、どうせ全てのアプリがアイツの顔になってる。どうせそうだ。
「現世に合わせるならば、八月を超えとっくに九月に入っている。季節の移ろいに少しの情緒も無いがな」
「……となると俺は最低でも一週間くらいあそこで気を失ってたんですか」
何もされなかったのが不思議で仕方ないし、一週間もハイテンションなら信者が死んでもおかしくはないという謎の説得力が生み出された。テレビで聞いた話では、笑い続けた結果死んだ男が居るらしい。多分それと似た様な事が彼に起きたのだろう。
「妖たる我には取るに足らぬ時間よ。尤も、坊と出会えぬ日は些少なりとて寂しかった訳だが……」
「……頼らなくて、済みません。ホント」
「気にはしておらん。お蔭で今、坊と二人きりの時間を過ごしているからな。いや、これからもずっと……貴様は我の物だ」
不覚にも寂しがる彼女を可愛いと思ってしまった。これ以上は目を見ずとも『魔』にやられそうなので無視するしかない。
「携帯ー……ああもう掛けて……みるかなあ?」
手掛かりが何もない。なら可能性など考えてる暇はない。俺は思い切って空花の携帯に連絡を試みた。
プルルルル……
プルルルル……
『はい。もしもし』
―――誰!?
それは空花とは似ても似つかぬ、非常に落ち着いた声だった。
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