たった一つの小さな歌

『鬼妖眼』は定義する力であるが故に『個』を識別する力が異常に強いらしい。周防メアリとなってしまった建物も人物も、この眼を通せば何の変哲もないままだ。月喰さん曰く、『本質から変異しない限りはそのまま』らしい。


「中々に合っているではないか、坊」


「え、そうですか?」


 しかしながら異常に乗っ取られた世界を『正常』に認識し続ける事は人間には著しく負担が掛かる様で、事実俺は三十分くらいしたら目が潰れたと錯覚する程の痛みに見舞われた。なので今はこうして互いの左目を布で縛り、平時は使わない様にしている。


「……月喰さんがそれする意味ありますか?」


「無いが?」


「只のノリじゃないですか! 外してくださいよ!」


「我が婿に格好を合わせているだけだ、意地らしいであろう? そう案じずとも、我の視界に影響はない」


 本当に意地らしい奴は自分の事を意地らしいなどと言ったりはしない。それは真の天然が天然を指摘されると不愉快に思うのと同じ原理だ。


「……俺は滅茶苦茶影響あるんですけどね」


「我の視界を貸そう」


「確実に酔うのでお断りします」


 他人と視界を共有……九割以上の人間が未体験だろうが、左目と右目で景色に違いが生じると考えたらそれがどんなに影響を及ぼすか考えるのは想像に難くない。それに月喰さんの視界を借りているだけで俺の左視界が補完されている訳ではないので、確実に何かに躓く自信がある。


 メアリを通過し、メアリをぐるりと迂回してメアリへと向かう。


 この眼が力を発揮してしまうと例えばそれがメアリであってもかつては壁であったのなら、俺にとっては壁になるので、こんな風に通り抜ける事が出来なくなってしまう。わざわざ片目を縛ったのはこのメリットを享受する為だ。どちらの姿にしても現実には変わりないのにこの違和感。異界と現実を往来していると言ってもいいが、最低限これが出来ないと人探しすらままならないのはどうかと思う。




「わーい! メアリ様だ、メアリ様だあああああああはあああああっは~!」


「私……メアリ……? メアリなの……! メアリちゃんなのぉ……!」




 メアリがメアリである事に感極まって泣いている。瞳から零れるメアリと言い、本人と見分けのつかない声と言い、近くに居るだけで不愉快なのは何とかならないだろうか。メアリとなった人々は口々にメアリを称えながら己がメアリである事に感謝している……即ち信仰だ。


 世界征服が終わった後でさえこの信仰心。流石はメアリと言う他ないし、信者共は紛れもない狂信者だ。彼女の本当の顔など全く知りもしない癖に、よくもまあそこまで無条件に……命様の力のせいなのは知っているが。


「因みに今は何処へ向かっている」


「差し当たっては俺の家に―――んーやっぱ片目隠すのって不便ですね。視界からメアリが居なくなったり出てきたりややこしいったらありゃしない―――あ?」


 鬼妖眼を使って現実を探索していた時、様子のおかしな人間を見つけた。知り合いではない。眼を使わなければ単なるメアリがメアリの上に倒れているだけだ……倒れているッ?


 早足で接近しても反応が無い。舞い上がっているメアリはともかく、素面のメアリが俺に対して何も感じない筈がないのに。試しに身体へ触れてみると、その身体はすっかり冷たくなっていた。熱に嫌われてしまったのだろうか……という冗談はさておき。つまりこれは。


「うあああああああああああ!?」


 恐ろしくなって飛びのいた。入れ替わりで月喰さんが死体に触った。


「恐れるな、坊よ。我よりも遥かに大人しいぞ、この死人は」


「獰猛な死人とか嫌ですけどね! っていうかそんな問題じゃないですよ……何で死んでるんですかッ? メアリが世界征服したんですからもう争いとか起きっこないでしょッ」


「老衰という場合もあるぞ。現世の民は儚く脆い存在だからな。……成程。やはり恐れる事は無かったぞ坊。この者は絶頂死したのだ」


「ぜ、絶頂死? それはその……月喰さんが幾度となくやってそうな事ですか?」


「たわけ。それではない。この者はメアリになれた喜びがあまりに強すぎた故に死に至ったのだ」


 そこまで喜べる様な事かは信者になって見ないと分からないが、今までの狂信ぶりを知っていたら納得できてしまうのも事実。あそこで舞い上がっていた信者も時間が経てば死んでしまうのだろうか。



 ―――それっておかしくないか?



 世界を平和にしたいとの言葉が嘘だとして、これを止めない奴がいるだろうか。世界を自分の物にしたいなら―――してしまったなら、それ以上の望みはあり得ない。現状維持を行って然るべきだ。



『もう邪魔者は居ない。誰も私を止められないんだよ創太君。これからの世界は私の物。私が崩して、私が作り上げる』



 注目するべきは『私が崩す』という言葉。それは既存の世界を塗り上げ、自分だけの楽園を作るという意味だと思っていたのだが……『崩す』対象が既存の人類だったとしたら?


 メアリ信者は骨の髄まで彼女に魅了されている。拳銃を渡されて死ねと言われたら躊躇なく頭をぶち抜くくらいはやるだろう。そうだ、元々アイツは他人に興味なんかない。對我さんは全人類に自分の姿を渡す事で天畧の追及していた最上の美を否定する的な事を言っていたが、何かまだ裏がある気がする。それだけとは思えない。


 ……いや、それだけではない気がしていたのはずっと前からだ。今までの所業に比べたら些細に過ぎる違和感かもしれないが、それは清華のあの映像を見せられていた時。俺はメアリのお蔭で学校から脱出出来た。


 ここで予め言っておくと、彼女は己に授けられた神の力を捻じ伏せる為に俺を利用していた。正確には俺が婿の証として月喰さんに渡された鬼妖眼を当てにしていた。幼少期の教育によって『好き』という感情を歪んだまま理解した彼女はむしろ嫌ってもらう為に手段を選ばず俺を攻撃した。


 そんな彼女があの瞬間だけは、結局何の裏も無く俺を助けたのだ。清華の件は色々複雑だったので今は責めるつもりはない。主にあの時暴走していたのは本人ではなく信者だったし。


 話を戻す。メアリの考え方からすれば、少しでも好かれてしまった瞬間自分への興味が薄くなると考える筈だ。法律を歪め、倫理を歪め、価値観を歪めてまでアイツは俺に嫌ってもらいたかった。全ては内側にある力を捻じ伏せる為。


 であるからこそ、そうに違いないからこそ、それ以外の全てに理屈をつけられるからこそ、この動機ではあの瞬間に理屈が付けられない。どうして俺を助けたのだろう。俺が根に持つタイプだからこそこうなっているが、そうでなければ彼女はどうするつもりだったのだろう。俺に好かれる事こそ何より避けたい筈なのに。


「…………月喰さん」


「ん?」


「不可視の存在処かメアリって……ひょっとして人類そのものを消そうとしてませんか?」


「如何なる理由で?」


「え。いやそれはまだ分かりませんけど―――ん。まだ早計ですかね。絶頂死なんて偶々かも……偶々でも困りますけど……しれませんし。あーもう! アイツって何考えてるかいつも分かんねえだよなあ!」


「…………貴様が想定しているよりも、ずっと単純やも知れぬぞ?」


 意味深な微笑みを浮かべながら、月喰さんは俺を抱き寄せた。






「貴様の家はここではなかろう。死人に構わず先を急げ」





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