甘く彼女の瞳は微笑む

 その後もメアリとは色々な事を話した。だがいつの間にか、正体を探る事はやめておいた。彼女になびいた訳ではなく、単純に疲れてしまったのだ。一々怒っていたのもあるだろう。本当にどうでもいい話題ばかり出した結果、時間は不思議な程早く過ぎ去った。メアリもどうでもいい話題に切り替わったのは分かったろうに、文句一つ言わずに付き合ってくれた。

 いやまあ、当然だ。他人様を一日拘束しておいてその程度の不自由も許容出来ないならとっくに帰らせてもらっている。一切の飲食を行っていないが、空腹も喉の渇きも不思議と感じなかった。だがそれも飯を抜かれる日が大多数であった日々を思えば特筆すべき変化ではない。


 何より記すべきは、メアリに対する感情の変化だ。


 好きになったとは言うまい。話していれば分かるが、こいつはとんでもないクソ野郎だ。それは昔も今も変わらない。自分を白と信じる黒色。周防メアリに合う色はそれしかないくらいのゴミだ。それとはまた別に……俺が普段から抱いていたあの妙な嫌悪感。あれが著しく薄くなったのだ。実を言えばメアリと顔を合わせる度、その顔に吐瀉物を穿き散らかしたくなるくらいの嫌悪感を抱いていた(とはいえ慣れとは恐ろしいものだ)のに、今では本当にもう、何の嫌悪もない。

 ―――それでは語弊があるか。こいつは嫌いだが、生理的嫌悪感は明らかに無くなった。科学が通用しない力と言えども理屈は存在する。しかし力の持ち主たる俺にも、何故消えたのか、そもそもあれが何なのかは未だに分からない。或はこれがメアリを一日中『視た』影響なのだろうか。

「あーあ。もうお終いか」

「……お前と駄弁ってただけって言えばそれまでだが。何だろうなこの疲労感。とても一日を無駄に過ごした気がする」

「そんな事ないよ。創太君は私の為に役立ってくれた。こんな日は二度と来ないんだから」

「二度と来させねえよ! こんな無意義な日は本来一日もあっちゃいけねえからなッ!」

「有意義かどうかは私が決めるの。貴方が楽しかったかどうかもね。今日は私とたくさん遊んで楽しかった。とても有意義な一日だった。それでいいじゃん。そっちの方が幸せでしょ?」

「もし夏休みの日記付けろって言われても、絶対このエピソードは書かねえし……その、およそ完璧からは程遠い乱暴な理屈は何処から来たんだ? 前も言ってたよな」

「だってそうじゃん。みんな辛いの嫌いでしょ? だから私が楽しさとか幸せとか、そういう優しさを全て決めてあげるの。そうしたら辛い事なんて何にもない。今日も明日も明後日も。ずっとずっとみんなは笑顔」

 ほら、変わってない。メアリは根本的に話が通用しないのだ。以前と今に違いがあるとすれば、今は話が通じている様に見えるから困ると……それだけ。所詮は究極の自分勝手。己を神と錯覚した憐れな人間の末路だ。この偽神の悪い所は実際に超常の力が使えてしまう所だが、俺は本物を知っている。

 だからこそ、こいつは神ではないと言い切れる。

「…………あれ。返して来ないんだ」

「………………色々言いたい事はあるけどな。なんかもう、これ以上付き合ってらんねえ」

 時刻は零時二分。本当に心底無駄な一日だった。俺が望んだ事だから仕方ないのだが、どうして過去の俺は突然お願いを聞く気になったのだろう。その軽率な判断が未来の俺に対して過重を掛けている自覚はあるのか……答えは否。普段の俺はそこまで深く考えながら行動していない。あの時お願いを聞く気になったのは、虎穴に入らずんばという気持ちからだ。

 お蔭で色々と分かったが、引き換えに大事なものを失った気がする。主に時間。

「帰っていいよな。引き留めんじゃねえぞ」

「あ…………」

「ん?」

 可及的速やかに退室しようとした足を、メアリの声が止める。眉にしわを寄せて嫌々振り返るも、先程の声は幻覚だったか。メアリは首を傾げていた。

「どうかした」

「……いや」

 約束は約束だ。仮に名残惜しいと言われても俺は帰った。特別この件に関してメアリは約束に忠実だったし(グレーな部分は指摘が面倒なので見逃す)、今更ループして再び俺を引き留める行為は流石にしてこない筈だ。多分。

 廊下に出たと思ったが、そこは既に玄関だった。普段は碌な使い道をしないメアリだが、お礼代わりと見て良いのだろうか。地味ながら非常に有難い。何せ俺の体力は全力疾走後もかくやと思われるくらい疲れている。

「…………まあ、夜だしな」

 莢さんの迎えが無いが、文句は言わない。時刻は夜も夜。深夜と言っても差し支えない時間帯だ。彼女が使用人なら眠っているか、それとも家主のお世話をしているかの二択になるだろう。俺に割く時間は無くて当然。メアリじゃあるまいし、自分に都合が悪いからと言ってギャーギャー喚くのは良くない。

 季節が夏で良かった。十二月の今頃は極寒と表すのも温い風が吹いているから、十中八九俺は凍死していた。その一方で夏の夜風は蒸し暑くて…………これはこれで嫌だが。死にはしない。寒いのは苦手なのだ。メアリと知り合ってから一度もこたつに入っていない。布団は九割以上の確率で剥ぎ取られる。

 所で俺の両親はいつ帰ってくるのだろうか。

 家に居ないのは気楽で良いが、いつまでも帰ってこないとなると話は変わってくる。清華も大概寒がりだから彼女は帰ってくるとしても、本当にあの二人は何処へ行ったのだろう。全く大嫌いだが、それでも行方不明になられるのは気分が悪い。家族の事は大嫌いだが、流石に死んでほしいとは思わない。どうせ外出するなら、紙に『お前と一緒に過ごすの気分悪いから暫く旅行するわ』とでも書いてくれれば良かった。それなら……この空しさは感じなかったろうに。

「はあ……」

 そう言えば一周目でも疲労していた気がする。その深さは段違いだが、結末は収束するか。相違点があるとすればメアリのお願いを聞いたか否かぐらいだが、その僅かな違いが今後の動きに変化をもたらすと信じたい。取り敢えず次も繰り返されるようだったらアイツをぶん殴る。

 くたくたになった身体を引き摺っていたらようやく自宅に到着した。ノブを握る手が異様に重たい。うちの玄関は何で出来ているのだ。

「あ……?」

 足元を見ながら歩いていたから途中まで気付けなかったが、何故家の電気が点いている。消し忘れたなんて事があり得るのか? 俺が家を出たのは朝の五時頃。電気を点ける時間帯ではない。家には家族が一人として居なくなってしまったので、同居人という線は無い。

 となれば考えられる線は一つだけ。そう、不審者だ。

 ―――!

 気だるさに支配されていた身体が一時的に解放。直ぐに携帯へ手が伸びたが、通報する寸前で手が止まった。知っての通り俺は警察組織を信用していない。国家の犬は単なる悪口だが、メアリの犬は真実だ。彼女の為なら警察と言えども法を無視する。この地域の警官は俺の顔を良く知っているから、こんな時間に通報しようものならタコ殴りにされるのがオチだ。


『こんな時間に呼びつけんじゃねえ!』

『理由つけてお前を逮捕してもいいんだからな!』


 そんな幻聴が直ぐにも聞こえてくる。確か過去に逮捕された時は暴行罪だったか。全身痣だらけな上に骨折までしていた覚えがあるものの、病院には連れて行かれなかった。警察にあるまじき行動だが、メアリ信者にとってはこれが普通の行動だ。だから信用出来ない。

 結局、俺は携帯をポケットにしまって自分で解決する事にした。喧嘩の心得は無いから不安しかない。でもそれ以上に警察が信用出来ないのでやるしかない。

「誰だ! 他人様の家に勝手に入りやがって!」




「お帰りなさいませ、創太様。誠に勝手ながら夜食を作らせて頂きました」




「…………莢さん!?」

 不審者の正体は莢さんだった。彼女の性格を考慮すると彼女自身の意思で無断に立ち入るとは思えない(それなら最初に出会った時から一階に居るべきだった)のでメアリの指示だろう。リビングの方を見遣ると、写真でしか見た事がないような料理が幾つも並んでいた。

「何でここに……?」

「天畧様に申し付けられました。近頃は物騒だから、お前は創太様のお世話をしに行けと」

「物騒? 最近何かありましたか?」

「いえ、これから起きるとの事で」

「はあ?」

 これから物騒な事が起きるなどという予言が、実行犯以外に出来るとは思えない。メアリは何かするつもりなのか? 今日、俺が『視た』から?

「私にも事情は把握しかねます。しかしご命令とあらば従わなくてはなりません。それが私に出来る唯一の役目ですから。気分を害されたなら今すぐにでも退出いたします。それでは―――」

「ああ待って待って! 不快じゃない全然不快じゃない! むしろ莢さんなら大歓迎ですッ!」

 俺にはかけがえのない存在がたくさんいる。しかしこの家に居る間は誰にも会えない。そこに誰か一人居てくれるなら大歓迎だ。もし両親か清華が帰ってきたら……彼女とでも紹介しておこう。給仕服は俺の趣味という事にして、口裏を合わせておけば何とかなる。

 本当の事情はややこしすぎてちょっと説明したくない。

「そうですか。それではお夜食に……と。私の決める事ではございませんね。お風呂は既に沸かしております。どちらからなさいますか?」

「ああ。じゃあ…………夜食で」

「畏まりました。夜食は今しがた出来上がったばかりでございます。苦手な食べ物等があればお申し付けくださいませ。以後は外させて頂きます」

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