目二日

神社で眠れば、時間は戻らない?


 そんな都合の良いループは存在しない。俺がすっかり覚醒した時、己の身体が自宅に舞い戻っている事に気付いてしまった。


「……ああ」


 またか、と言いかけた。しかし文句を垂れてもメアリは今日という日から解放しちゃくれない。諦めて今日を受け入れよう。時刻は五時前。未来を見通す力は無いが、この後の展開を俺は知っている気がする。


「……時間はたくさんある、か」


 メアリの言う時間とは砂時計の中の砂だ。足りなくなったらひっくり返してしまえば良い。アイツはきっとそんな風に繰り返している。その蛮行をやめさせるには、砂時計そのものをぶっ壊してしまうしかないが、この場合の器とは地球そのもの。


 ギャグマンガじゃあるまいし、人間一人が易々と破壊できる程地球は柔らかくない。水風船とは訳が違う。その手段が使えない俺に、今日を乗り越える手段があるのかどうか。こんな事になるなら空花の言葉に甘えて胸を触らせてもらうべきだったかもしれない。いや、本当に。



『少しくらい良い思い出が無いとやってられないでしょー? 私は巻き込まれてないから協力出来ないけどさ、おにーさんさえ望むならあんな所やこんな所を触っても訴えたりしないよ? ウフフッ!』



 朝が弱い自覚は無いが、三度目の朝は流石に気怠い。分かり切った流れなのにこうもナーバスになってしまうのは、他の誰でもないメアリのせいだ。でなければ普段の俺が『胸触っといたらよかったなー』などと邪な考えをする筈がない。



 ―――行くか。



 朝食を食べる理由も無ければ余裕も無い。明日を生きる為に人は食事をするのであって、明日が来ないなら食事の必要はない。生きる努力はメアリが肩代わりしてくれる。眠いから寝ているが、極論寝る必要もないのだ。どうせ『今日』は明日もやってくる。


 気分として非常に心地悪いので、全く意味は無いが洗顔と歯磨きだけはやっておく。腹の音が空腹を告げているが、構わず玄関を開けて彼女を出迎えた。


「おはようございます」


「お待……おはようございます、檜木創太様」


「ああ、もう創太でいいですよ面倒くさい。もしかしたら永遠に協力し合うかもしれませんしね」


「では創太様。私が来訪する事をご存じだったのですか?」


「ご存知も何も、これ二回目でしょ。しらばっくれなくても大丈夫ですよ。メアリは不親切なもんで、前回のループの記憶を消すオプションをつけてないんです」


 嫌味のつもりで言ったが、莢さんにそれを言って俺はどうするつもりだったのだろう。本人は気にも留めていないが、中々馬鹿な発言だった。


「それでは私がここへ来た経緯も省いて―――」


「いいですよ。え? もしかして莢さんは記憶を引き継いでないんですか?」


 もし莢さんが記憶を引き継げないとすると、俺はとんだぬか喜びをしていた事になる。せっかくメアリの事を良く知る協力者と出会えたのに、こんな事になると分かっていたなら昨日莢さんを拉致してでも会話を続けるべきだった。


 或はメアリに対策をされたのか、と内心穏やかではいられなくなった所で、莢さんがフッと笑い、嬉しそうに俺の方を見た。


「―――冗談でございます、創太様。驚かれましたか?」


「は…………冗談?」


「まだご理解いただけませんか? では失礼ながらもう少し……私は記憶を失ったフリをして貴方様を困らせようと画策しました。ほんの悪戯ですが、創太様は綺麗に引っ掛かってくださいました。満足しています」


 丁寧な口調で己の心情までありのままに語られると、こちらも幾らか気分が落ち着いてしまう。激昂したい所だが、どうにも無理やりそれをすると独り相撲になりそうであまり気が進まなかった。自分で言うのも何だが俺の根はかなり真面目なので、怒りに駆られなかったともなれば行動は一つ。冷静に尋ねた。


「……な、何でそんな悪戯を?」


「創太様の気を少しでも緩ませようと」


「下手くそか! むしろびっくりして肩の力入っちゃいましたよ! 味方が居なくなるってのは辛いんですからッ」


「申し訳ございません。お詫びとしては満足に足る代物ではございませんが、創太様にプレゼントがございます。どうかご活用してくださいませ」


 そう言って莢さんが車から取り出したのは、一冊の鍵付き日記。真っ黒い装丁も気になるが、何より視線を引くのは左下に書かれた『すおう めあり』の名前。


「アイツ、日記なんて書いてたんですか?」


「幼い頃の話です。今は触れておりません」


「まあ、そうでしょうね。それで幼い頃ってのは……豹変前の事ですか?」


「私も今日掃除をしていた際に見つけた代物なので、詳しい内容についてはご自身の眼でお確かめになった方がよろしいかと」


「因みにこれ、メアリは把握してますか?」


「私の存在はメアリ様にとっては視界の端に移る景色も同然。一々気にする道理もないでしょう。しかし一つ申し上げるなら、メアリ様はご自身の過去を誰にも知られたくないとお考えです。私も幾度となく処分に協力いたしました……無論、意図的に残した可能性もございます。ですが万が一見落としていたなら、大きな手がかりになるのではないでしょうか」


 皁月莢は期待している。全知全能の怪物へとなり果てた主人が戻る事を。


 そして俺も期待している。明日という今日が繰り返される事象の終焉を。


「……準備が整いましたら、ご乗車下さい」




 完全無欠を冒涜する一冊の日記。それは俺達が手にした全知全能の盲点。





 肝要なのは動機でもなければ手口でもなく、犯人でもない。何があったかだ。

















 日記の中身は、最初こそ微笑ましいものだった。



『おかーさんがだいすきです』



 すの向きが逆だったり、濁点の位置が適当だったり年相応の幼さが見られる。日記の内容もまだその日の出来事を書くという型に囚われておらず、母親への愛を語ったり、夜ご飯が美味しかったなーとだけ書いてあったり、今で言うツイーターみたいな書き込みの薄さだ。


 だがそれは、本当に最初だけ。途中から―――厳密に言えば月祭りの終わった日以降(日記に月祭りの事が書いてあったのでその後)。



『お母あさんにえんぴつをとられました。なのでこれからはえのぐでかいていきます』



 その言葉は偽りだらけだ。確かに文字は赤いが、これは絵の具じゃない。風化の具合からしても、これは血液以外の何者でもない。メアリの母親は血の事を絵具と言って教えていたのだろうか……文面からはそうとしか考えられない。


「変な事聞きますけど、メアリのお母さんって血を絵具って呼んでたんですか?」


「存じませんが、一度だけメアリ様が絵具をお求めになられた時、天畧様は果物ナイフを渡していらっしゃいました。それが答えではないかと」


 俺の過程はメアリが関わった事で崩壊したが、コイツの家は最初から崩壊している。周防ヨヅキが出てこないのは単純に知らんぷりを貫いているか、天畧の不思議な魅力にやられて口出し出来ないのどちらかだろう。


 次のページを開くと……四日後に飛んでいる。あどけなさの残った文章は、ここで完全に消えた。



『うつくしいってなに? かんぺきってなに? なにがダメなの? わたしみたいにうつくしくなれないってなに? わたしどうでもいいのに? かんぺきじゃないとどうしてだめなの? まえはごはんくれたのに、くれないの? うつくしさってだいじなの? けがしてももとめなくちゃだめなの?』



 日記の所々がゴワゴワしているのは、涙の痕だろうか(血も水分だが、明らかに血の触れていない場所がそうなっているのだ)。ここまで来ると、ある種の強迫観念に苛まれていた可能性もある。日記を書き始めた経緯は知らないが、何処かで『書けるなら書かなくてはいけない』という気にならなくては、こんな日記にはならないだろう。


 次のページは三週間後。一気に漢字が増えた。五歳にも満たない女の子が書いたとは思えない程字が綺麗だ。具体的に比較対象を挙げるとするなら―――今の俺よりも綺麗。



『私にとって良く出来たつもりでも、お母さんはずっと完璧じゃない、美しくないと言ってきます。私の努力なんて決して評価はしてくれません。お母さんは私を視てくれません。お母さんの求める完璧は一体何処にあるんだろう。完璧になったら褒めてやるって、それはいつ来るんだろう。お母さんが私を見てる時はいつも失敗する時。怒る為に見に来てるんじゃないかってくらいいつも居る。だから失敗しない。でも失敗しない時に限って、お母さんは居ない。狙ってるの? ねえ、褒めるところが無いから見る価値が無いって言いたいの? 完璧じゃないから? 何で? どうして?』



 かつてのメアリは承認欲求の塊だったらしい。馬鹿にするつもりはない、誰かに認められたいという感情はあって当たり前の物だ。その感情は他人依存かもしれないが、持ち続ける事がやがて自尊心を高める事に繋がる。俺はそう思う、 


 次のページは一か月経っている。日記を書く暇もない程努力していたのか、それとも過ぎた虐待が物理的に行為を不可能とさせたか。今のメアリからはまるで想像が付かない。



『気づいちゃった』



 終わり。


「え? これだけ?」


 むしろ何故これを書こうと思ったのか理解に苦しむ。次からは暫く空白が続き、最後のページに差し掛かった時にようやく文字が見えた。



『許さない。勝手にこんな事して。あのクソババア。私を何だと思ってるの。そんなに私が信じられないんだ? 自分の娘なのに。ならぶち壊してやるしかないよね。あの女の完璧なんて私は知ったこっちゃない。壊さないと。でもどうやって』



「日記はこれで終了の様ですね」


「……さっぱり分からないんですけど。メアリは最後何をされたんですか? 口調も普段のアイツからは想像もつかないくらい荒いし、いや、日記に出る程ってよっぽどだと思いますけどね」


「気が立っていたのならそういう事もあるでしょう。あり得ないとは思いませんが」


 何があったかはメアリのみぞ知る事だが、この日記でハッキリとした。確かにメアリには豹変前があったし、俺の想像するよりも遥かに過酷な環境で彼女は生きていた。こんな環境で生きていたなら、自分を蔑ろにする発言が出ても不思議ではない。日記からでは断片的にしか読み取れないが、周防メアリは自尊心が欠如している。


 あまりにも大事にされなかった者は、たとえ自分自身から見ても己を大切に出来なくなる。他でもない俺がそうだ。命様と出会って以降は鳴りを潜めたが、そういう面があるのは自覚している。


「……本人に聞いたら、素直に答えてくれますかね」


「私が殺されてしまうかと」


「そうですよね……」


 俺が頭を抱えそうになった時、車が停車した。






「……創太様。時間切れです。あまり時間を掛け過ぎるとメアリ様が様子を見にいらしてしまいます」 



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