天を良しとせず

 メアリの母親の名前は漢字で書くと周防天畧すおうあまら。昔の人間とだけあって字が普通ではない。関係あるかは分からないが。


 いや、名前の難しさなどどうでもいい。そんな細部の話は心底どうだっていい。キラキラネームなんてこの世にはごまんとある上に、文字の並びだけ見れば実に良心的な名前だ。ちょっと漢字が難しいだけ。気にするべくはそこではなく、命様の口から漏れた言葉。


「ご、五百年前!?」


 泣かない赤子の話は確かに聞いた。が、あの時は単なる雑談と思っていた故にそこまで話を覚えていない。誰がその話とメアリに関連性があると思えた。もし関連付けられる奴が居たらそいつは未来予知の能力を持っているに違いない。


 十年以上も視えない世界に触れてきて、並の事では驚かなくなっているつもりだった。所が直近の出来事は悉く俺を驚かせてくる。驚いてばかりだから少しぐらい耐性が付いても良いが、如何せんどれもこれもぶっ飛んでいる為、耐性は付けられない。


 五百年も前の人物がメアリの母親などと言われた日には、すっかり脳内がファンタジーにぶっ飛んでしまった。


「え、ええ、ええ。え。じゃあメアリのお母さん五〇〇歳ですかッ? 年取り過ぎでしょ―――っていうか人間なら死んでますよ!」


 記憶が確かならギネス記録が一二〇とかそこらだった筈。五〇〇など夢のまた夢。生物学的にあり得るのだろうか、それは。人間が五〇〇まで生きるなど。


「妾の力を簒奪したのならば納得も行く。神は多くの者が不老不死じゃ。否、時の流れに干渉されていないと言った方が的確かの。妾達に年齢は無い。自在に姿形を変えられるという点では、妖と大した違いはない。それでも神ごとに決まった像があるのは偏に信仰の力じゃ。信仰は妾達に力を与えるが、同時に鎖でもある。変幻自在の妖との違いじゃな」


「でも命様以外の神って死んでますよね? 不老不死ってのと矛盾してません?」


「自らの手で滅する事は可能じゃ。他に例外があるとすれば……いや、これは良い。お主に話しても仕方がないからの」


「教えたくないなら最初からそういう言い方しないでください。なんですかその含みみたいな……気になるじゃないですか。教えてくださいよッ」


 どうせあり得ないから話が逸れるだけとは前置きしつつも、命様は溜息混じりに教えてくれた。


「―――人の理が定着した世とて例外はある。極稀に超常の存在を自力で滅する事の出来る存在も居るのじゃ。妾は見た事がないぞ? 全盛の頃に信者から聞いた噂に過ぎぬからな」


「なんだ、じゃああり得ないじゃないですか」


「だからそう言ったのに! お主という奴は時々どうしようもなく神の忠告を無下にするのうッ?」


「あははッ! すみませんどうにも……でも命様にだって責任はあるんですよ。興味を引く言い回しが悪いんですからね」


「そこは反省しておる。じゃがさりげなく妾に責任を擦り付けるな。一番はお主じゃ」


「うッ…………やっぱ駄目な感じですか」


 悪知恵に基づいた浅はかな企みは失敗に終わった。同時にこれ以上は本格的に話が逸れそうなので、俺は命様の隣に座り、話を仕切り直した。


「でもどうやって命様の力を奪ったんですか?」


「それが分かれば苦労はせぬ。今まで単に信仰の消失から力も衰えたとばかり考えておったのじゃからな」


「それもそうですね…………因みに神様から力を奪う方法って、具体的にはどうやるんですか?」


 残念ながら一般の家系に生まれた俺はその手の分野に精通していない。これ以上は空花も交わってくれると非常にやりやすいのだが、彼女はまだ水浴びから帰ってこない。長風呂にも程がある。あれを風呂と言っていいのかはさておき、早く来てくれないものか。


 精通していない俺に出来る発想は漫画やアニメなどから来る娯楽的なものしかない。例えば何らかの術式を用いて……いや駄目だ。何故なら命様の力を保有しているとされるメアリにそんな手段が通用するとは思えないからだ。何なら普通に破壊するだろう。


 では言葉巧みに神を欺いて……神を欺けるような奴は既に人間ではない気がする。創作物においてはその方がカッコイイし、主人公たちの特別性も際立たせられるからそれで正解だが、現実に当てはめた場合その特別性を持っているのはメアリだ。アイツなら出来るかもしれないが、俺みたいな一般人には無理だろう。同様に、命様の下を訪れた人間が出来るとは思えない。


「……妾にも見当がつかぬ。天畧に特別な寵愛は感じなんだ。奴の母も貧しい身寄りだったからの」


 泣かぬ赤子を抱えた女の話。それは決して複雑なものではない。




 女は泣いていた。


 女は生まれた時から貧乏で、女として色気づかねばならぬ年頃には、その身を売ってお金を稼がなければならなかった。


 そうこうしている内に女の両親は死に、女の居場所は何処にもなくなってしまった。自棄になった女は行きずりの男と関係を持ってしまったが、それをきっかけに子供を孕んでしまった。それ自体は何でも無く、流せば良いだけの話だったが、男に産めと強要され、産まざるを得なかった。


 その結果生まれた赤子は、生まれた時から泣かなかった。


 当時、泣かぬ赤子は厄災を招くとまことしやかに囁かれていた事もあり、男は赤子を殺そうとした。しかし産んでしまった事で愛着を持ってしまった女が庇った結果、母子共々追われる身となってしまった。




 細部は忘れたが、大体こんな感じの話だ。女―――天畧の母親はその逃げる道中に命様の神社へ足を運び、これらの事情を語ったとされる。情報が所々不明瞭なのはツッコんではいけない。俺も知らないし、命様も野暮な詮索はしない主義らしい。五百年も前の人間の一から十を全て知っている訳が無いのだから、責められてもどうしようもない。これは俺だけに限ってはないが、五百年どころか同じ時代を生きてる人間の全てを知っている人間はこの世の何処にも居ないだろう。そういう事だ。


 出来もしない事を要求するべきではない。


「……にしても空花の奴遅いですね」


「女子とはそういうものじゃ。お主も妾と共に入ったら出られなくなるじゃろう?」


「そりゃあ勿論―――って何言わせるんですか! 思春期の男の子は大体そうですよッ。だから決して今の発言は俺が変態である証左にはなりませんからね!?」


「必死じゃのう?」


「自己弁護しないと変態扱いされそうですもん!」


 これでも変態扱いしてくるなら、もう否定はしない。不可視の存在とじゃれ合っている時点で一般の人から見たら変態どころか奇人だ。


 俺を弄り続けて段々調子を取り戻してきたのか、命様が悪戯っぽく笑みを深めた。


「ほほうッ? では紛れも無い紳士を自称するなら一つ問うてみるとしよう。もしも妾の乳房が零れ出たら、お主はどうする?」


「………………………………………揉みます」


「―――変態♪」


「それは質問が悪いんでしょッ!? そんなシチュエーション聞いた事ありませんし、命様の服は意図的に出さなきゃ見えないじゃないですか!」


 ただし本来の姿は例外に入る。あれは着物を着崩しているせいもあるが、単純に大きいので本当に零れ落ちそうだ。


 月喰さんと対峙して思い知らされた。神やそれに準ずる存在が本気で手籠めにしようとしてきたら俺は勝てない。月喰さんは初手の行動こそ容赦なかったが、それ以降は真面目に話を聞いてくれたり、存外に良識があった。


 『魔』に身体を乗っ取られそうになったあの時、命様みたいに着物の内側に俺を入れて生の感触を味わわせるなり、そのまま性行為に持ち込むなり、幾らでもやりようはあった。それをされた時点できっと俺は二度と元には戻らなかった。快楽の虜になっていた未来は容易に想像出来る。


 同様の理由で、命様とそんなシチュエーションで二人きりになった時点で、それは彼女が本気で誘惑してきている証拠だ。受け入れる他あるまい。


 据え膳食わぬはなんとかかんとかだ。


「俺ちょっと見てきます。命様はお菓子でも食べてて下さい」


「む? 天畧の話はもう良いのか?」


「そんな訳無いでしょ。でも空花を交えた方が何となく良い案が出る気がしませんか? アイツって、確か特別な家系に生まれてるんでしょ? 水鏡家なんて寡聞にして知りませんけど」


「お主の家系が神職でもない限りは早々耳にはせん―――うむ。承知した。しかしあまり待たせると寂しさで泣いてしまうから、早めに帰ってくるのじゃぞ?」


「え、そこまでですか?」


「妾はもっと創太と一緒に居たいのじゃ! 一分一秒も無駄な時は過ごしとうない! 神の意向が理解出来たならば疾く行くのじゃッ。さあさあ!」




 早く帰ってこいと言う割には背中を押され、何故か早足で行く事になった。




 しかし吝かではない。俺だって男の子だ。俗にラッキースケベと呼ばれる幸運に恵まれないかと、実は期待している。その可能性が限りなく低いものだとしても、それでも期待に胸が膨らんでしまう。人はこれをロマンと呼ぶ。 


 洞窟に差し掛かると、心臓の高鳴りが悪化した。空花の気配は感じない。やはりまだ水浴び中なのかもしれない。声を掛ければそれで確認は可能だが、男としてその消極的な確認方法はどうかと思う。やはり自分の眼で確かめてこその確認ではないだろうか。


 背徳感を正当性で捻じ伏せる事に成功した俺に、最早敵は居なかった。天井に開いた穴を上り、恐る恐る顔を出すと―――誰も居ない。


「あれ?」


 期待の翻った安堵は転じて落胆となる。空花は上がったどころか、姿が見えなかった。


「は?」


 泉の先は未知の領域だ。好奇心一つで行くには無謀が過ぎる。すると空花は端から水浴びなどしていなかったのか―――



「だーれだーッ」



 不意に声を掛けられると同時に、俺の両目が塞がれた。声音からして正体は明らかだが、背中に感じる柔らかさと震えが俺の思考をかき乱した。多分身長差がギリギリなので背伸びをしているのだろう。


「…………なあ。お前もしかして今」


「裸だと思う? それとも湯帷子を着てると思う? 私が誰か当てられたら目隠し撮ってあげるから、それで確認するといいよー」


「…………空花だろ?」


「ピンポンピンポーン! じゃあ目隠しを取ってあげるから、おにーさんも振り返って良いよー」


 中学生の裸体を見る事になるかもしれない。たったこれだけでも犯罪の臭いが香ばしい。しかし観察者こと俺は高校生だ。年齢差は一、二歳程度。それが果たして犯罪か? テレビの見過ぎではないか? 昔なら空花の年齢でも十分成人だ。結婚する事も出来た。


 何よりここは神の支配する場所。人の理に従わずとも―――文句は言われない!


 己の中の倫理観を叩き潰し。俺は煩悩のままに振り返った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る