時間遡行の権能
「命様、おはようございますッ」
「うむ。その挨拶は明らかに遅れているが、妾は気にせんぞ。しかし随分遅かったのう。普段のお主なら朝から来ると思っておったが」
「済みません。実は折り入って命様にご相談があるというか……まあ、はい」
「お主が相談とは。大方メアリに関わる事かの。本来の姿に戻れぬ妾がどれだけ力になるかは怪しいが、聞いてやるとしようッ!」
命様はパタパタと社の方へ移動し、縁側に座る。隣には弁当と幾らかのお菓子や飲料水が入ったレジ袋が置かれており、遅まきながら空花の来訪を知った。
「あれ、空花はもう帰ったんですか?」
「空花は裏で水浴びをしておるぞ。何じゃ、お主も行くか?」
「…………いや、行きませんよ。犯罪者にはなりたくないので」
「見たくはないか?」
「見たくはないと言ったら嘘になりますね。でも犯罪なので見ませんよ俺は。不可抗力以外には抗います」
例えば椅子に縛り付けられて目を閉じる度に背中を鞭で引っ叩かれる状況なら俺は遠慮なく見るだろう。やはり中学生という絵面が酷い。せめて高校生になってくれれば……いや、全く駄目なのだが。
神様と接触している以上、ここが法律の適用される場所とは思えない。そう考えたら途端に煩悩が囁いてくるものの、意思は堅い。仮に何らかの間違いで空花と関係を持ってしまった場合、俺はループを利用して何度でも関係を持つ可能性が……味を占める恐れがある。
それはメアリとは何の関係も無い。横道にそれるな。
「メアリは不可抗力ではないのか?」
「俺だけは抗えますからね。むしろ何が何でも抗いますよ」
周防メアリには屈しない。
アイツ自身が、信者が、何をどうしようと屈してはいけない。
彼女にはない唯一の力を最後の砦として、それだけを胸に俺は今も抗っている。俺が屈する時が訪れるとすればそれはアイツに『俺』が理解されてしまった時だが、そんな日は一生来ない。何故なら周防メアリは完璧だからだ。
俺はアイツを完璧とは思っちゃいないが、傍から見て完璧なら、きっと完璧なのだろう。そして完璧とは、これ以上の伸びしろは無いという意味でもある。つまりはそれこそが絶対的な隔たりであり、完璧は同時に『完壁』でもあるという訳だ。
その壁を乗り越えさせてたまるか。
「……それで、相談とは何なのじゃ? 空花を待たねば話せぬか?」
「いや、そういう訳じゃないです。単にコンビニで買ったと思わしき物があるのが気になったので――実はですね」
俺はありのままの状況を命様にぶちまけた。今日という一日が繰り返される恐れがある(現に一度繰り返された)事を重点に、メアリが生まれながらの怪物ではなかったという情報と周防アマラの存在を付け加えて。
命様は黙って俺の話を聞いてくれたが、周防アマラの名前を聞くや否や目を見開き、食い気味に尋ね返した。
「何じゃとッ? お主、今アマラの名を出したか?」
「ん? 出しましたけど、知ってるんですか?」
「知ってるも何も…………いや、良い。順を追って話すとしようかの」
時間遡行については特別な反応は見られなかったが、わざわざ順を追って話そうとする辺り、何か解決策か心当たりがあるのは間違いないらしい。普段なら彼女の隣に座ってじゃれ合いながらでも話すが、事態が事態故、俺はこの場を動けなかった。
「……実を言えばな。最初から引っかかっておったのじゃ」
「何がですか?」
「周防メアリの現状が、かつての妾に酷似している事じゃ」
「は?」
「言ったじゃろう。かつて妾には多くの信者が居た。メアリとは違いここを動けはせぬが、それでも多種多様な人物が妾の下を訪れた。信者達は妾を盲目的に崇拝していた。全幅の信頼を置いていたと言い切っても良い。妾の発言に異を唱える者など居なかった」
俺は彼女の全盛期を知らないが、それは偶然ではないだろうか。この町の歴史からするに、昔は神様こそ絶対の指標だった筈だ。何故ならそれこそが嘘から生まれた真実の神『常邪美命』の誕生経緯に他ならないから。この町を興す為、住人は本気の信仰を余儀なくされた。結果論的に命様は生まれてしまったが、しかしそれまでは居ない筈の者を盲目的に信じていたのだろう。
命様への信仰心はその名残ではないだろうか。
「……メアリが命様の力を奪ったとでも言いたいんですか?」
「そうではない。それでは時代が合わぬ。じゃが…………ツキバミ祭りの日は、妾がかつての姿に戻れる日でもあったな。そしてあの日は、唯一おかしな日でもあったのを覚えておるか?」
「おかしな日?」
…………『闇祭り』に迷い込んだ事を言っているのか?
いや、しかし『闇祭り』を話題にするとメアリとは関連性が無くなってしまう。強いてそこに関連性があるとすれば周防アマラが月喰さんを見てしまったくらいであり、それは今年の話ではない。
おかしな日?
仮にも騒動の中心人物だが、心当たりは終ぞ見つからなかった。
「おかしな日って何です?」
「何じゃ、分からんのか。少し考えれば分かるであろうに」
「少し考えた結果分からなかったんですよッ!」
「むう、そうか。お主は気付かなかったか―――あの日、周防メアリは何かしたか?」
「え? …………握手会とか、してませんでしたっけ」
「そういう事ではない。あやつはお主に関与出来ると知る度に執拗に付き纏ったり、目の前で異常な行動を起こしていた筈じゃ。それがツキバミ祭りに限って、何もしてこなかった。おかしいとは思わなかったのか?」
「あーそう言われると……でもアイツ、自分の信仰のせいで『闇祭り』の噂が消されるのを恐ろしく思ってたくらい月祭りには思い入れがありますし。別に不思議な事とは思いませんでしたけどね」
「じゃがあの日に限ってはお主と全く関わっておらぬ。無論、妾達が避けたのもあるじゃろう。しかし避けたくらいで逃げられるならお主は今日まで苦労を味わっておらぬ。違うか?」
違わない。
確かにそうだ。メアリにしてはあまりにもあっさりとし過ぎている。
「あの時はそれまでじゃったが、しかしお主が時に囚われているという話を聞き遂に合点がいったぞ。周防メアリが妾の力を奪ったとは言わぬ。しかしながら―――」
「時隠しは妾の権能じゃ。それを用いておる時点でメアリが現在の力の保有者なのは違いない。ツキバミ祭りの日に限ってお主に関わらなかったのは、力の一部が妾に返され、お主の目の前で当たり前の様に見せていた権能の一部が制限されるからじゃ」
時隠し。
俗にループの事を指しているのは分かるが、命様の力だったのか。疑うつもりはない。現在まで生き残っている神様は命様只一人だ。
しかし奪わずして力を保有しているとはどういう事だろう。命様が自主的に与えた―――ならこんな事にはなっていないだろうし、そもそも彼女が覚えていないとは思えない。仮にも神様で、しかも自分の力を分け与えるくらいだから、たとえ何百年と経過しても余程覚えているのが道理というものだ。
人間的に言えば、臓器提供をした様なものなのだから。
「―――命様の仮説が正しかったとして。奪ったのは誰なんですか?」
「…………時代的に、心当たりは一つしかない」
命様は順を追って話してきたが、次の言葉はようやく当初の反応に結び付いたと言えるだろう。
「かつてお主に泣かぬ赤子を抱えた女の話を聞かせたな? その泣かぬ赤子こそ―――周防アマラという名じゃった。もう、五百年以上も前の話ではあるがの」
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